私たちの教会で行う牧場は、人々を家に招いて開く小グループです。大まかな流れはこのような感じです:①食事を共にし、②賛美し、③教会の報告を分かち合い、④説教を要約し短く語り合い、⑤最後は人生を分かち合い祈り合う時間を持ちます。ある人々にとって、これは週に2-3時間行われる教会の一つのプログラムに過ぎないでしょう。教会が“やるべきだ”と勧めているから何となくやっていると思う人も少なくないと思います。でも、想像して見てください。私たちの教会に家の教会・牧場が存在しなかったとしましょう。皆さんはどんなことをして信徒同士信頼関係を築いていきますか?日曜日の礼拝や数年に一回参加する勉強会程度で人間関係を深めることが出来るでしょうか?それは難しいことです。

  改めて考えてみましょう。家の教会とか牧場を離れて考えても、私がクリスチャンである限り、私はどこへ行っても人々を家に招き食事を共にし、人生を分かち合うと思います。クリスチャン同士で集まるなら賛美をすることもあれば、また必ず一緒に祈る時間を持つと思います。それがクリスチャンのライフスタイルだからです。そして、これが新約聖書の示す初代教会の姿でもありました。私たちは時にはピクニックに行ったり、BBQに行ったり、交流を楽しむために色々なことをします。牧場はその延長戦だと言えます。牧場を信徒の義務だと考えると牧場は重荷になることがあります。でも、牧場はイエスキリストの愛を人々に示すライフスタイルであると考えると、これは主が下さる特権でもあり、チャンスです。

 私たちの教会で実践している牧場はそのようなことです。それをさらに聖書的根拠を持って弟子訓練と魂の救いを意識してやっています。皆さんの牧場に対するビジョンが足りないのであれば、なぜ私には他人に施す、時間を共にする心がないのか聞いてみて下さい。それはキリストにある信仰には、キリストのからだと一つにされた霊性があるからです。私たちには人生を分かち合える素晴らしい兄弟姉妹たちが与えられています。牧場の交わりを深め、弟子訓練と魂の救いに用いられる牧場を共に作っていきましょう。

チョ・ドリュー師

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 聖書が語る福音を知った人は自分自身を最も良く認識することの出来る人になります。聖書が言う福音は、“私たちは私たちが想像する以上に罪深く汚れている、でもそれと同時に私たちは私たちが願っていたよりはるかにイエスキリストによって愛され受け入れられている”と言う事実です。私たちが罪人だと言う事実は私たちが高ぶることがないようにさせてくれます。同時に、そんな罪深い私たちのために一人子をお与えになったほどに神が愛された事実は私たちを自尊心の低い人にさせるのではなく、一生の安堵感を与えてくれます。この福音によって私たちにはこの世が与えることの出来ないバランスの取れた自我を持つことが出来ます。

 その人は大学受験に失敗して悲しんでも挫折しません。なぜ?自分の価値は受験成功が決めるものではないからです。福音を自分のものにした人は自分のビジネスが破綻して悲しんでも挫折しません。人生の価値はその人の仕事の成功にあるわけではなくもう既にイエスキリストを通してもらった価値にあるからです。福音は人にどんな境遇にも耐えられる耐久性をくれます。同時に、福音を悟った人は他人に寛大になる柔軟性をくれます。福音を通して永遠の栄誉を得たクリスチャンは、この世の栄誉を最終目的としません。すると、その人は同僚がプロジェクトを台無しにして悲しむことがあっても挫折しません。自分の人生をダメにしている他人に対しても恵みを持って接する余裕を手にいれます。 

 福音を悟ると私たちは人の評価から自由になります。福音を通して私たちは自分をあざける自分の声から自由になります。そして、人生を自分の栄光のために生きることから自由になります。そこで初めて人生を神の栄光と人々に仕えるために生きられるようになります。あなたはこんな福音的自我(アイデンティティ)を持っていますか?私たちの教会が皆この福音を自分のものに出来ることを願います。 

チョ・ドリュー師