8月15日に日本は終戦75周年を迎えました。戦争について感がる時、私が小学校2年生の時に「月光の夏」という太平洋戦争で帰還することができた特攻隊員の映画を家族で見たことが忘れられません。小2の子どもが見るには分からないところも多く「怖い映画だった」という印象しかないのですが、大人になって考えると戦争責任を覚えた教育というのはとても大切であると思わされます。悲惨な歴史は繰り返さないために、過去に起きたことを覚えて未来を良くするために学ぶことはとても大切です。私たちも聖書から学びますし、歴史から教えられることは沢山あり、未来を良くするためには欠かせない事柄です。

 教会で行われる“戦争責任の教育”ということを少し考えてみたいと思います。私が生まれてから26歳まで教会席を置いていた日本キリスト改革派(通称:改革派)の教会では、1946年(戦後9か月後)に戦争責任を重く考えて創立した教会です。戦前、日本の教会は天皇を神として歩でしまいました。この対応を悔い改め、みことばに立ち返ることを大切にしてきたのが日本の改革派の特徴です。ですから教会生活の所々で「戦争を繰り返してはならない。それ以上に、天皇ではない本当の神であるイエスキリストを礼拝しなさい。」ということを強く教えられました。今では当たり前のようなことになっていますが、当たり前を当たり前として受け取れないことは問題だということです。

 時に「戦争は昔のことで、今の私たちに関係があるのですか?」と言ったり、疑問に思ったりする方がいます。そう思ってしまう気持ちも分かる部分があります。しかし、時間や世代が過ぎ去っていくことで、過去の問題は解決されるのでしょうか?はっきりこれは「解決しません」と答えることができます。そもそも過去の問題を時間が解決してくれるのであれば、初めに神によって造られたアダムの罪の影響がどうして私たちにも残っているのでしょうか?大きな問題は後々にも影響が及んでいることを私たちは聖書から知ることができます。そして主なる神は、その問題で人を苦しめるために、罪の影響が残るようにすることがしたかったわけではありません。そこから神の前に立ち返り、過去の大きな問題に縛られて生きるのではなく、神と共に歩むことによる喜びを望んでおられるお方です。そこに主の十字架の苦しみがあったことを覚えさせられます。課題には人が解決を試みても限界があります。それぞれが主の十字架の苦しみを覚えて悔い改め合い、復活の主を喜び合うことでしか解決はないのです。その解決を共に覚えたいと願っています。

吉村恵理也伝道師

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 ルカ10章で、ユダヤ人たちはイエスを試すために私たちが愛すべき“隣人”は誰ですかと質問しました。その質問に対してイエスは「良きサマリア人」の話をされます。イエスは助けを必要としていた半殺しにされていたユダヤ人に手を差し伸べたサマリア人が良き隣人だと話されました。私たちの隣人は誰なのでしょうか?私たちは誰かの良い隣人になっているでしょうか?

 2015年品川に開拓した後、2017年から幼稚園に入ったばかりの娘の友達や近所の子どもたちを誘いマンションで英語教室を始めました。生徒たちや保護者をVIPに繋げたいのはもちろん、英語教室を通して近所の子どもたちに仕えたかったからです。英語教室の募集をかけて多い時は15-16人ぐらいが登録していました。クラスが始まっていろんな子供たちが入って来ましたが、その中に一人とても無口でおとなしい4歳児A君がいました。この子には事情があり最近品川にいるおばあちゃんの家に引っ越して来たばかりでした。A君のお母さんは突然病気が悪化して数か月の入院生活後亡くなり、お父さん一人で育てることが出来ないのでおばあちゃんと新生活するようになったのでした。4歳の男の子に取っては理解出来ないとても悲しい出来事だったでしょう。A君は兄弟もなく私立幼稚園に通っていたので、唯一英語教室の子たちが近所の友達でした。英語クラスでも、普段のA君はいまいち元気のない表情で明るい様子はあまり見せませんでした。  私にとってそんなA君との思いでは、英語教室でのクリスマス会と夏の英語VBS(夏季学校)です。子供たちと溶け込み無邪気に遊ぶA君の姿、またプレゼントを渡された時に普段は見せない蔓延の笑顔を浮かべてくれたことは未だに私の記憶に鮮明に残っています。最近もA君とおばあちゃんは近所でよく見かけて話をします。特に私の妻はおばあちゃんとお土産を交換するなど親しくさせてもらっています。‘私が少しでも元気を与えられる隣人は誰だろう?’と意識し始めると私たちの周りにはA君のような人たちが沢山いると思います。あなたが仕えることの出来る隣人は誰ですか?例えそれが道端で会った時に軽くハイタッチをして上げることであっても私たちはクリスチャンとして周りの人々にエネルギーを与える存在になっていきたいものです。今日からもう一度良い隣人になることを意識して生きて行きましょう。 

チョ・ドリュー師

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