去年私たちの教会を訪問したある信徒と交わる機会がありました。その信徒はいろんな良い聖書的な教会観を持っていました。教会では誰も差別されることなく平等に扱われ、また互いへの愛であふれるべきだと言いました。牧師は聖書を忠実に教え、人々を愛で牧会し、人々を強制的に奉仕させず、まずは牧師がイエスキリストを現す模範として生きるべきだと言いました。そして、信徒は互いに愛し合い、赦し合い、また犠牲を払って教会を支えて行くべきだと言いました。私もその教会観に100%同意しました。 

 でも、私が同意出来なかったのはそこからの展開でした。その信徒はその基準を持って一度だけ訪問した私たちの教会を批判し始めたのです。信徒が牧師を“先生”と呼ぶことは教会内に階級制を設けることで、純粋な兄弟愛を壊すことだと言い始め、教会が信徒に献金促したり、奉仕順番を決めて奉仕させたりするのは律法主義だとも言いました。信徒全員が新来者に対して笑顔で挨拶しないのも愛が足りないとか、それを指摘していない牧師も実は親しめない存在ではないかと批判は続きました。それをそのまま聞いていた私がその信徒に聞きました。“あなたはあなたが夢見るような教会に行った経験がありますか?”その信徒は何も答えませんでした。私はもう一つの質問をしました。“あなたが牧師だったら、そんな理想の教会を始められるでしょうか?” 

 私は5年半前に新しい教会を始めたことの経験のある牧師ですが、どんなに聖書的教会観を持って教会をスタートさせても、理想の教会の姿を作り上げるのは難しいことです。現実はそんなあまくありません。不完全であることを正当化したくありませんが、もし、1世紀の使徒たちが建てた教会に問題があったなら、21世紀にある私たちの教会内に問題があるのも当然のことです。皆さんに完璧な配偶者がいますか?皆さんに完璧な子供たちがいますか?皆さんに完璧な同僚や友人たちがいますか?完璧な人がいたら紹介して頂きたいです。でも、まだ罪が残っているこの世であれば教会も完璧な所はありません。 

 私たちにとって重要なのは、理想を求めいつも失望することではなく、理想を持って実践に移すことです。聖書は教会から満足を得なさいより教会を愛するように教えています。教会が温かくなって欲しい人は教会で温かい人になって下さい。教会が寛容であって欲しいと思う人は寛容さを分かち合って下さい。教会がもっと明るくなって欲しいと思う人は明るく礼拝し明るく挨拶をして下さい。この地上に完璧な教会はありません。それでも、主イエスキリストはその教会のかしらであり、弱い教会を用いられます。私たちも愛の実践を通して共に教会の成長を経験しましょう。 

チョ・ドリュー

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 私は29歳の独身の時に牧師按手を受けました。その直後、牧師になったばかりの私がノンクリスチャン女性と結婚を前提に交際を始めていたらどうなっていたでしょうか?正直、もしそんなことがあったなら、当時奉仕していた教会の教職を辞めさせられたと思います。教会に来て間もない方でも、牧師は少なくても同じ信仰観や価値観を持つ人と結婚すべきだと言う概念を持っていると思うのです。では、この質問を一般信徒に適用して聞きましょう。クリスチャンはノンクリスチャンと結婚しても良いでしょうか?答えはそんなに簡単に白黒に分けられるものではないので、この答えはそれぞれが出しましょう。

 人がクリスチャンになると人生の目的は神の栄光を現わすことに変わっていきます。クリスチャンは人生の欲望を満たすためより、神の御国を優先的に考えることになります。それは、どんな学問も道に進むか、キャリア選択、住む場所、時間の使い方、人間関係の作り方、またどのようにお金を使うかにも大きく影響を与えます。つまり、クリスチャンは一週間に数時間やるものではなく24時間365日の人のあり方(生き方)だと言うことです。クリスチャンが結婚相手を探す時には、それを理解してくれる人を見つける必要があります。ただ、“あなたのことが好きだから宗教のことは何とかなる”とか、“愛は宗教の違いも克服できる”とかナイーブに考える人も多いと思います。でも、考えて下さい。クリスチャンがノンクリスチャンと結婚するのであれば、自分にとって命よりも大切な“神への信仰と福音の喜び”を共有することが出来ないと言うことになります。それはつまり私にとって人生で最も大切な領域を相手に理解してもらえないと言うことです。結婚相手が私の人生の目的と一番の喜びを理解しないまま二人が結ばれるなら、取り返しのつかない葛藤が生じて来ます。

 独身のクリスチャンの人生目的は神の栄光を現わし喜ぶことです。それは結婚しているクリスチャンも全く同じです。夫婦として、また家族として神の栄光を現わしその歩みを喜ぶことです。クリスチャンがノンクリスチャンとの交際を悩んでいるなら、まずは伝道する段階からスタートすることは重要です。伝道が進み、また相手がその信仰を一生通して理解する覚悟が出来ているかを確かめるべきです。またクリスチャン本人も、“私は一生涯の霊的重荷を負って生きて行く” という覚悟がなければノンクリスチャンとの付き合いを再考すべきです。しかし、自分の信仰が揺れることがなく、一生涯この人を伝道しながら証の模範を示すことが出来る信仰者なら、真剣に主が一番喜ばれる道は何かを祈りながら先に進んでいくことをお勧めします。

チョ・ドリュー