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あるクリスチャン企業として知られている会社に勤めていた人が、次のような話をしていました。「私たちの会社はキリスト教の価値観を大切にする会社なので、ここで働くと、むしろ教会に通わないでいる方が大変になります。」しかし、10年以上この会社で働きながら教会に行かない人がいました。その人に、どうしてそんなに頑なに耐えられるのかと聞いてみたら、こう答えたのです。「クリスチャンたちの生活を見ると、私より優れている点が一つもないので、キリスト教を信じたいと思えなかったのです。」残念ながら、多くのクリスチャンの生活は未信者にとって魅力的に見えず、イエス・キリストを信じるどころか、かえって拒むようになってしまうことがあります。
しかし不思議なことに、聖書的な教会の姿を回復しようとする家の教会では、人々が変えられていきます。信じていなかった人が主イエスを信じて変えられた姿を見て「自分もイエス様を信じたい」と思うようになったという証をよく聞きます。なぜでしょうか。
それは家の教会が、聖(宗教的)と俗(世俗的)を区別しないからです。私たちは、家庭生活や職場生活も、教会生活と同じく、自分に任された奉仕であると考えています。ですから、家庭では親として、子どもとして、また配偶者として誠実に生きようとし、職場でも上司として、社員として最善を尽くそうとします。そうすると、生活が少しずつ変えられていきます。
少なくないクリスチャンが、罪悪感に苦しみながらも、みことばのとおりに生きる勇気を持てずにいます。このような方にとって日曜日は、霊的なお風呂に入る日のように感じられるでしょう。日曜日に礼拝堂に来て、一週間の罪を悔い改め、牧師の説教を通して叱られ(?)、少し清められた気分になります。そして月曜日になると社会へ戻り、また同じ生活を繰り返します。
しかし家の教会の信徒たちは、説教を実生活に適用しようとします。それは教会と世の中の間に「牧場」という緩衝地帯があるからです。世の中に出て、みことばを実践する前に、まず牧場の仲間と練習することができるからです。もし世の中でどのようにしたら、みことばのとおりに生きられるのかわからないときは、牧場の集まりで知恵を求めることができます。失敗して傷ついたときには、牧場に行って慰めを受け、癒やされることができます。
家の教会の信徒にとって日曜日は、お風呂の日ではなく、霊的に充電される日です。日曜日に示されたみことばを頂いて世の中に出て行って戦いながら生きます。そして、力が尽きたときには、再び主日礼拝に来て神の臨在を体験し、慰めを受け、みことばを通して、新しく歩み出す力をいただきます。日曜日は、そのために充電する日なのです。もし霊的な充電がうまくできていないなら、礼拝堂を離れる前に、もう一度示されたみことばを心に刻み、新しく歩み出してみてください。
趙 南洙師
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私はまだ行ったことがありませんが、韓国の大田市に聖心堂という有名なパン屋があります。昨年の売上は1,937億ウォン、営業利益は478億ウォンだったそうです。地方の一都市だけを拠点とするベーカリーとしては、驚くべき成果と言えるでしょう。私はその秘訣が気になりました。会社名の「聖心」はご存じのとおり「イエス・キリストの心」という意味です。聖心堂の社訓は、「すべての人が良いと思うことを行いなさい」(ローマ人への手紙12:17)という聖書の教えです。この社訓は、1999年にキリスト教社会運動団体であるフォコラーレ運動(イタリア語で「炉床」や「家庭」を意味する)の指導者、キアラ・ルービックの影響を受けて生まれました。彼女は「すべての人のための経済(共生の経済/Economy of Communion)」を提唱し、企業は社会の貧困に積極的に向き合いながら、共同体の回復を導く使命感を持つべきだと強調しました。
聖心堂は会社のすべての意思決定を、この基準に基づいて慎重に判断してきました。近くの露店商が使えるように水道の蛇口をわざと通り側に設けたこと、新しい店舗を出すときには周辺に打撃を受ける店がないか先に調べること、有名百貨店がソウル本店や海外支店への出店を好条件で提案しても、あえて断ったこと――これらはすべて「すべての人が良いと思うこと」を基準にした決定でした。
また、社員の多くは一日中白いパティシエの制服で働いています。最近は洗濯量が倍以上に増えたため、他の業者を探す必要がある状況でした。しかし昔から関係を築いてきた高齢の店主が経営するクリーニング店を利用し続けました。数年前にその店主は亡くなりましたが、息子が店を引き継ぎ、今も聖心堂の制服を洗っています。聖心堂はその店と「共に成長する」ために関係を保ち続けているのです。
聖心堂が大切にしてきたのは「関係」でした。聖心堂がキアラ・ルービックの「すべての人のための経済(EoC)」を経営理念として受け入れたのは、会社が最も苦しかった1999年のことだったそうです。聖心堂がある大田市の経済は深刻に衰退しており、さらに社長の弟の事業が倒産して数十億ウォンの借金を背負うことになった時でした。事業をたたんでも不思議ではないその時に、むしろ関係を重視する社会的経済を会社のアイデンティティとして採用したのです。
一地方のパン屋が大企業の経営実績を超えるほどの成果を上げたことは確かに驚きですが、それ自体は最も重要な点ではありません。そういうことは時々起こるものです。本当に重要なのは「どのようにしてそこに到達したのか」という点です。聖心堂は「富」ではなく「関係」を積み重ねることで、今日の成果を生み出しました。だからこそ、聖心堂の実践が社会経済に投げかけるメッセージは決して軽いものではありません。EoCの権威である経済学者のルイジーノ・ブルーニ教授は、「聖心堂の哲学と経営方式が他の地域へ広がり、多くの中小企業が生まれるなら、大企業中心の社会経済の構造そのものが変わるだろう」と断言しています。
趙 南洙師