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 私たちは、自分自身には寛大である一方で、他人に対しては非常に厳しい目を向け、些細な過ちさえも許せない心で過ごすことがあります。時には、自分や家族に直接的な損害があるわけでもないのに、強い憎しみの感情を露わにし、隣人に対して攻撃的な言葉を吐き、「絶対に許せない」と断言してしまうこともあります。
 脳科学者の中野信子博士は『人はなぜ他人を許せないのか?』という著書の中でこう述べています。「人間の脳は、裏切り者や社会のルールから外れた人といった、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。他人に『正義の制裁』を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。この快楽にはまってしまうと簡単には抜き出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになるのです。こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、いわば『正義の中毒』と呼ぼうと思います。この認知構造は、依存症とほとんど同じだからです。」
 では、どうすればこのような「正義中毒」から抜け出し、他人を許せる人として歩むことができるのでしょうか? 赦す心で生きるためには、三つの過程を通る必要があると考えます。第一に、自分も神の前に多くの欠点を持つ罪人であるという事実を認めて生きることです。自分の過ちを隠そうとし、「自分はいつも正しい」と思っている人ほど、他人を簡単に批判してしまいやすいのです。第二に、自分の罪を神の前に正直に告白し、神から赦されたという確信を持って生きることです。そのとき、罪悪感に縛られていた自分自身を赦し、受け入れることができるようになります。赦された人だけが、他人を赦すことができるのです。第三に、神が自分に傷を与えた人々さえも赦し、救ってくださったのだから、「私が彼らを裁くことができるのか」という謙虚な心で、私たちも彼らの罪を赦し、憐れむことです。
 赦せない心は「魂のエイズ」のようなものだと言われます。エイズは人の免疫システムを徐々に破壊していく病気です。最終的には免疫力が極端に低下し、些細な病気とも戦えなくなってしまいます。赦せないということは、まさにそれと同じです。赦せないという病にかかると、愛、親切、受容、正義といった人間関係の中の「免疫システム」は機能を失ってしまいます。キリスト者とは、日々の生活の現場で赦しを実践し、キリストを表す人々ではないでしょうか。

趙 南洙師



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 音響の世界には反射体と吸収体があります。音が反射するのを望まないコンサートホールのような場合、建物の壁を吸収体で覆います。金属のように音をはね返すものは反射体であり、布のように音を吸収するものは吸収体です。音だけでなく、噂にも反射体と吸収体があると言えるでしょう。噂の反射体や吸収体は物体ではなく、人です。反射体のような傾向の聖徒が多く集まっている教会は、多くの困難を経験します。噂を反射して増幅させ、手がつけられない状態にまで発展させてしまうことがあるからです。反対に、吸収体のような傾向の聖徒が多い教会は平安です。否定的な言葉、批判的な意見、根拠のない噂話を聞いたとしても、それを吸収して、それ以上伝えないからです。
 模範的な家の教会を目指す牧場であれば、吸収体のような人たちが集まっているはずです。人間関係で悩んでいる人がやってきて、第三者に対する不満や非難をぶつけても、ただ聞くだけで他の人には伝えません。そうすると、その人はたまった感情をすべて吐き出してすっきりして帰り、その話はそれ以上広がることなく、牧場は平安になるのです。
 以前、聞いた話をすべて私に伝えてくれた人がいました。私に対する不満や教会に対する不平を、そのままの形で私に伝えてくれたのです。それを主任牧師である私が知っておくべきだと感じたから、伝えてくれたのだと思います。しかし、その内容の大部分は、私が知ったからといってどうすることもできない内容でした。ですから私はその方に、「私が何らかの対処を取れる内容だけを話してくださり、私が知ってもどうしようもないことは話さないでください。私も人間なので、そういった話を聞くと落ち込むこともありますし、精神的にとても疲れるのです。」と伝えました。その後、その方は考えを変えたのか、反射体から吸収体になりました。
 願わくは、私たちの教会のすべての聖徒が、周囲の人の愚痴を聞いてあげる吸収体となることを祈ります。そして、誰かが不満をぶちまけても、それが周囲に広がらないよう吸収することができる、そんな吸収体の聖徒になってくださることを願っています。

趙 南洙師