今週はお盆休み期間中なので多くの信徒たちが故郷と休養地へ出かけると思います。暫く離れた所で「沈黙と孤独が与えてくれる8つの有益」を黙想するために、カナダ・ウェスト パック教会のチャルス・ストン牧師のコメントを引用して紹介します。

⑴沈黙と孤独は、忙しい日常生活を止めることで、何かをしなければという強迫観念か 自由にさせる。何をしているか、していないかによって人を評価することではなく、 神様は私たちの存在そのままを愛しておられる。神の前に孤独になることで自分の 存在を確かめて見る時間が必要である。

⑵沈黙と孤独は、私たちの心と精神、たましいを新しくしてくれる。詩篇から学ぶように信仰の人々には神の前に静まる時間が多かったのが特徴である。

⑶沈黙と孤独は、「自分がいない世間(会社)は不可能に見える」自分だけの思い込みから解放してくれる。自我の尊重はとても大切ですが、自己中心的になるのはいけない。 自分がいなくてもこの世界が良く回っていることを覚えるのも大切である。

⑷沈黙と孤独は、慎重な思考と正しい選択のためにその人の判断を助ける。主イエス様も弟子たちを選び出す前、山に登りお一人で祈りの時間を持たれた。重要な選択を 下すために、主イエス様も孤独の時間が必要であった。

⑸沈黙と孤独は、神の御声を聴くために自分の内側を整えることになる。神様は 私たちのために絶えず語っておられるが、その細い御声を聴き逃したまま過ごしているキリスト者たちには自分の内側を清めて、神様へ向かわせる日常の態度を変えることによって神の御声に集中できることになる。

⑹沈黙と孤独は、私たちに強烈な影響を与えているこの世の様々な機器から解放して くれる。テレビ、ラジオ、本、新聞、ゲーム、携帯、パソコンなど、私たちの実生活に影響を与えているこれらのものから自由にしてくれる。

⑺沈黙と孤独は、言葉の失敗から私たちを守ってくれる。ヤコブの手紙1:19に「だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。」と教えている。言葉の失敗と暴力から自分を守ることができるだけでなく、慎重な言葉使いのために 良き訓練にもなる。

⑻沈黙と孤独は、信仰の他の訓練と共に私たちを忠実な人として導いてくれる。私たちが沈黙を通して祈りとみことばの黙想、断食へ導かれるなら、私たちの信仰はより深く、より広くなるだろ。 日本語の週報 ダウンロード↓↓
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4433430db有名なオペラ「セビリアの理髪師」の第1幕第2場のアリアの中で「中傷とはそよ風です」という曲があります。音楽教師であるバジリオが医師バルトロへ提案します。彼の姪ロジーナを狙っているアルマヴィーヴァ伯爵を追い払うには「中傷」より良い方法はないと言い、世間に悪い噂を広めるのが一番の上策である、と歌うアリアがあの「中傷とはそよ風です」という曲です。

 「悪い噂はそよ風のように、軽く始まりますが、どんどん大きくなり、後には大砲や雷の ようにとんでもない爆発力を持つ」と、歌うように、たとえ話そうとする内容が真実で あっても、その純粋性が疑われる噂にすることはその当事者を苦しめる中傷になるわけ です。

人間が動物と違う特別な要素の中の一つが、多様な意志疎通の能力です。この能力とは 即ち、言葉を喋れると言う事であり、人間に与えられた大きな祝福です。ただ人間だけが 複雑な思考と繊細な感情表現、哲学的な概念などを分かち合うことができるのではないかと思います。ところが、このような素晴らしい神の贈り物で愛を伝え、良い人間関係を作り、不義を正すためにだけ用いてきたのかを静かに吟味すべきです。そして、互いに傷つけ、 遠ざけさせたり、悪口を言いその人格を無視し、その歩みを妨害するために用いた事は なかったのか、正直に自分自身に問いかけてみるべきです。他の人々に「あの人」について、褒めてあげる言葉が見つからないなら、あえてノーコメントの沈黙を守るのが良いと 思います。

一度は聞いておくべき次のような言葉があります。「他人を非難し、中傷する者は刀で 人を刺し殺すよりもその罪が重いです。刀は近付かない限り、相手を攻撃できないけれど、中傷は遠くからでも人を傷つけることができるからです。殺人は一人の人間だけ殺すが、 中傷は必ず三人の人を殺します。中傷を広める人、それを否定せず聞いている人、そして 話題になっているその被害者です。」

 牧場の分かち合いを通して知るようになった他人のプライバシーを勝手に噂にして 広めるのは中傷であり非常に悪い行為です。これは聖霊によって一つになるべき牧場の 恵みを妨害しようとするサタンが私たちの寂しい感情を刺激して、困らせることで、私たちみなが警戒すべきです。他人の弱さが見えるなら静かに祈ってください。彼の長所が見えるなら他人にそれを褒めてください。