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 信仰によって生きるとは、神の御心に従って生きることです。したがって、キリスト者にとって神の御心を求めることは非常に重要です。そして、神の御心を求めることは決して難しいことではありません。なぜなら、神の御心の大部分は聖書に明示されているからです。例えば、偽物の商品を売るか売らないかで悩む必要はありません。聖書に明確な答えがあるからです。人の物を盗むか盗まないかについても考える必要はありません。聖書がすでに答えを与えているからです。
 でも、神の御心を見出すのが難しいときがあります。それは、聖書に直接書かれていない状況に直面したときです。例えば、会社のお仕事を続けるか、それとも辞めて新しい事業を始めるべきか、二者択一を迫られるときのような場合です。
 聖書に明確な答えがないときは、聖霊の導きに依り頼むべきです。聖霊に頼るとき、心に平安が伴います。しかし、一つ覚えておかなければならないのは、心の平安が絶対的な基準ではないということです。聖霊の御心に反する決断をしても、自分の心に平安を感じることもあり得るからです。ハーバード大学の心理学者ウィリアム・ジェイムズが著した『宗教的経験の諸相:人間性の研究』という本には、このような例が出てきます。深刻な宗教的葛藤を経た末に無神論を選択した瞬間、正しいかどうかに関わらず心の平安を味わうことがある、というのです。
 ですから、私たちが神の御心を求めるときには、聖書の御言葉と心の平安に加えて、もう一つ必要なものがあります。それが愛です。昔、誰かが送ってくれた小冊子を読んだ記憶があります。その本には、有名な伝道者ビリー・グラハム牧師や、大学生宣教団体の代表であるビル・ブライト博士など、よく知られたキリスト教指導者たちを異端だと攻撃する内容が書かれていました。聖書の多くの箇所を引用しながら、彼らがなぜ異端なのかを証明しようとしていました。
 しかし私は、その書物のすべてを読む必要はないと判断しました。なぜなら、そのような文章を書いて送りつけること自体が神の御心にかなっていないと結論づけたからです。その文書には愛がなく、憎しみばかりが溢れていたからです。
 信仰生活をする中で、隣人の誤った考えや行動を正さなければならない時もあります。けれども注意が必要です。たとえ聖書的な確信があったとしても、ブルドーザーのように押し通してはなりません。まず自分自身をよく省みるべきです。もし自分の心に愛がないなら、外から見れば正しく見えることであっても、それは神の御心に反していると言えるのです。

趙 南洙師



 わが教会が礼拝堂の一番前の席を空けている理由は、礼拝の後に信仰の決心と献身を表したい方々のために、招きの席として備えているからです。公に決心と献身を表すことは聖書的です。使徒パウロもローマ書10章9〜10節で「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」と教え、救われるためには口で告白することを二度も強調しています。私たちが公に決心し、献身を表すなら、そこにはいくつかの恵みがあります。
 ⑴信仰生活の飛躍を経験できます。恥ずかしがり屋の人にとって、礼拝堂の前に出るのはとても勇気のいることです。しかし、その恥ずかしさを乗り越えて一度でも前に出るなら、信仰が大きく飛躍し、生活に大胆さが与えられます。
 ⑵決心したことを実行に移しやすくなります。誰にも知られずに決心したことはうやむやになりやすいものです。しかし前に出て公に決心すると、人々の前で約束したことと同じなので、その決心を実行に移す可能性が高まります。
 ⑶従順を学ぶことができます。わが教会では、洗礼を受けたい方や教会の家族になりたいと思う心を「神からの召し」と理解し、前に出て決心と献身を表していただくように勧めています。そして、それを従順のしるしとして理解しています。 信仰の決心はしたいけれど、前に出るのは嫌だと思うなら、信仰を訓練する機会を逃すことになります。
 ⑷みことばを解き明かす牧師の祈りを受けることができます。私たちが決心し献身しても、それが実を結ぶためには神の助けが必要です。みことばを伝える説教者(牧師)の祈りは、その決心と献身が実を結ぶよう助けてくれます。書き出した決心と献身の内容は、説教者が1週間、毎朝の早天祈祷の中で祈るでしょう。
 ですから、わが教会の信徒であれば、年に二度以上は前に出て決心と献身を表してほしいです。信徒の中には何年もの間、決心や献身を表していない方もいます。形式的に礼拝をし、説教を聞き流してしまうのではなく、いつでも決心し献身する思いを持って説教を聞いてください。「神は今日私に献身を求めておられるのではないか」と心を集中させ、説教を通して神の御声を聞いてほしいです。

趙 南洙師



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