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 ジョン・パイパーと言う牧師が始めたDesire God団体の記事を読みますと、40年前のアメリカでは教会礼拝に行く際約80%の男性がスーツとネクタイを身に着け、90%の女性はドレスを着ていたと書かれています。しかし、それが1990年代の30年前になって来るとスーツを着る男性は40%、ドレスを着る女性は50%以下になり始めたと言われます。 今ではスーツを着て行く礼拝は特別行事がある時だけだとも言われます。 

 詩編29:2には「聖なる装いをして主にひれ伏せ」と言う箇所があります。(聖なる装いとは、神の義を着る霊的服を意味しています。) 創世記41:14では、牢屋にいたヨセフがひげを剃り着替えをしてからファラオの前に出ます。それらの箇所から、過去の私たちには主の前に出る時に‘最高の服’を身に着けるべきだとの言う認識が強くありました。しかし、アメリカでは今ほとんどの教会の牧師がスーツを着なくなったとも言われます。 それは、教会だけでの現象ではなく、世界のビジネス業界でも脱スーツが増えて来ているからだとも言われます。 AppleやFacebookの社長がTシャツで記者会見やプレゼンテーションをする姿を見ると時代が変わって来ていることを感じさせます。 教会文化も時代の流れに沿って変わって来ているのは事実です。 

 私は個人的に教会でスーツやドレスを着るのは人々に好感を与えることだと思っています。 しかし、それが一つの絶対的条件や文化として根付くのはいろんな背景から教会を訪問するVIPたちに士気を高めることになると思います。 良い服を買う余裕のない人が教会のレギュラーとなった時に、‘ある程度質の良い服を身に着けなければ、ここには居づらい’と考えることがないようにしたいのです。1ペテロ3章でペテロは派手な服を着飾っている女性たちに対して、外面ではなく内面を柔和と穏やかな霊で飾りなさいと言います(3-4節)。5章5節でも謙遜を身に着けるように強調します。ペテロが教える服装は控えめに慎み深くと言うガイドラインでした。心が謙虚な人はそのまま服装にもそれが表れるからです。

 教会に着て来る服装は普段着を自由に着て頂いて良いと思います。 ただし、人々をつまづかせることなく、皆の視線を引くこともなく、皆が礼拝に集中出来る格好が良いことだと思います。 それは国と文化によってかなり差があると思います。 私たちは日本にいますから出来るだけこの文化と風潮を考慮しながら行動すべきだと思います。 ただし、教会の服装の基準によって今の時代のVIPたちが入りづらい教会にならないことを願います。 今日のメッセージであるように、教会は絶対的に変わることのない聖書の教えと時代によって変わる人間の伝統を混同しないようにすべきです。 福音を時代に合わせて発信出来るように時々教会の伝統を見直して行くことも必要でしょう。 

 チョ・ドリュー師

 先週の木曜日からコロナの感染者数が倍増し始め4都県は緊急事態宣言が発令されました。 それでも金曜日の出勤様子は発令前と何も変わらず東京都心はいつも通りの満員電車だと報道されています。 知人の中にはこれにいらだちを感じる人も少なくなく、1月中にあったイベントを全て延期させる動きもありました。 また、今週目にとまったニュースは、太平洋を越えたアメリカでの出来事でした。 トランプ大統領が選挙で敗れることを阻むためトランプの支持者たちの多くがワシントンの連邦議会議事堂に乱入するという世界をびっくりさせた前例を見ないことが起きてしまいました。 これらのニュースを見て感じたのは今世界で起きている亀裂と分裂です。 人々の間で意見がぶつかり合い、互いに対する批判が増し、やがてそれは憎しみを生むような連射となっているように見えます。 

 菅首相のコロナに対する甘い認識は医療従事者や国民たちから大きな批判を呼びました。 しかし、逆にコロナで騒ぎ過ぎだと主張する人々も多くいます。 教会内でも一緒です。 こんな感染者数が多い中礼拝を行っていること自体が、社会に対して証になってないと思う人もいれば、逆に、仕事に出勤するぐらいなら礼拝に行くのも当然だと考える人もいます。 この温度差をどのようにすれば良いのでしょうか? 今の時期、教会のリーダーシップは非常に難しい局面に立たされています。 人々の間にある意見の違いは人々を大きく分裂させる要因になっています。 

 私たちは皆、幅広い育ちと文化背景から来ています。 そして、信仰のカラーや成熟度も違います。 どんなに聖書を基準にしていたとしても、現代社会問題においては物事の捉え方で違いが出ると思います。 私が思ったのは、少なくても今は、誰が100%正しいのかを知ることが難しい時期です。 以前から緊急事態宣言を早く出すように促す動きがあったのですが、逆に自粛疲れでうつ病や健康を崩す人々の方が多いと言う声もあるからです。 今、コロナで私たちは今まで以上に敏感になっています。 教会として、立場の違う人々を十分配慮し尊重し合う雰囲気を作りましょう(ピリピ2:2−4)。 コロナは過ぎ去ることでしょう。 アメリカの政治問題も時間が過ぎれば少し落ち着くでしょう。 でも、今私たちが傷つけ合うならば、その傷の癒しの方がもっと時間がかかるかも知れません。

 教会が今一致すべき点は、こう言う時だからこそもっと神の前で祈り、霊と真を持って礼拝を捧げるべきだと言うことです。 皆さんがネットで礼拝を捧げていようが、礼拝会場で礼拝を捧げようが、今は神に寄りすがる時であり、霊的にぼうっと眠っている時期ではありません。 だから神を一緒に慕い求めることにおいては一致しましょう。 そして互いを愛することと尊重することに努めていきましょう。 

 チョ・ドリュー師