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 家の教会の牧場の集いが、一般的な親睦会とどう違うかご存じでしょうか。もしこの違いを知らずに牧場に参加すると、それは単なる親睦会と同じになってしまうかもしれません。ぜひ以下の内容を牧場で確認してみてください。
 一つ目に、牧場の集まりは、お互いの必要(ニーズ)を満たし合うものです。世の中の親睦会は、便利な場所で集まり、会話をしながら親交を深めることが目的ですが、牧場は、お互いの必要を満たす仕えるために集まります。例えば、順番に自宅を開放して夕食を準備し、お客様としてではなく、霊的な家族として共に喜びを分かち合います。牧場のメンバーが感じている霊的・肉体的な飢え渇きを見て、それを満たすために喜んで仕えます。仕える側は仕える喜びを経験し、仕えられる側は神の愛を体験する。これが牧場集いです。
 二つ目は、共通のテーマを持ってお互いの人生を分かち合うことが大切にされています。一般的な親睦会では、話題に特定の決まりはありません。しかし、牧場では心の内側やその週の生活を分かち合う共通のテーマがあります。たとえば、「この1週間で感謝したこと、または大変だったこと」「先週の主日の御言葉を生活にどう適用し、どんな恵みや神の臨在を感じたか」「自分の祈りの課題や伝道しようとしているVIPの霊的状態、今週はどう仕えようとしているか」などを正直に分かち合いながら、聖霊による内側の癒しと神の力を体験するのが牧場です。
 三つ目に、牧場はお互いを見ながら学び、訓練を受ける場所です。世間の親睦会は、飲み会や宴会を通してストレスを発散することを目的とし、時には他人を悪く言ったり、陰口をたたいたりすることもあります。しかし、牧場の目的は違います。新しく参加したVIP(未信者)や、最近イエス様を信じたばかりの初心者が、互いに愛をもって仕え合い、自分の人生を率直に分かち合う姿を見て、人間の力ではどうにもならないことも諦めたり不満を言ったりせず、励まし合いながら熱心に祈るのです。その中で神様の力を共に体験し、お互いを見て学び合いながら、イエス様に似た弟子へと成長していくのが牧場の目的です。
 ですから、牧場の集いは、カフェやレストラン、教会堂など便利さを重視した場所では行いません。なぜなら、そうした場所では神の臨在を共に体験するのが難しくなり、次第に世の親睦会のようになってしまうからです。皆さんが牧場の集まりを正しく理解し、聖書の教え通りに皆さんのお家で集まり、神の豊かな恵みを受けられるようお祈りします。

趙 南洙師



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 ユダヤの宗教指導者たちと群衆からの告発を受けたローマの総督ピラトは、罪のないイエスを十字架に架けるように命じました。十字架刑はローマで最も残忍な罪人に対する最悪の刑罰でした。しかし、処刑され、葬儀が行われた後、イエスの遺体は3日後に死者の中で唯一よみがえられました。人類史上前例のないイエスの復活は、受け入れがたいミステリーとして認識されています。
 そのために、長い歴史の中で多くの人々がイエスの復活を操作された宗教的論理だと批判し、否定してきましたが、次のような代表的な証拠のゆえに、私たちはイエスの復活を信じています。まず、空の墓です。イエスの死刑執行はローマ政府の下で行われた歴史的な事件です。死亡が確認されたイエスの遺体は岩の墓に葬られ、墓の入口を1.5〜2トンの岩で封じ、総督の印が押され、ローマの兵士たちがその墓を警備していました。しかし、その墓の岩戸が開いており、イエスの遺体は墓の中からなくなっていました。遺体のない空の墓でした。
 次に、目撃者の証言です。最初の目撃者は、墓参りに行ったマグダラのマリアを始めとする女性たちとローマの警備兵でした。イエスの復活を証言したのは女性たちだけでなく、警備兵たちさえも厳しい処罰の危険があるにも関わらず、イエスの復活を事実として証言したという記録は本当に驚くべきものです。
 三番目に、復活したイエスの出現です。復活したイエスは天に昇られる前に40日間地上にとどまり、人々に会いました。お墓参りに来た女性たちを始め、エマオに向かっていた二人の弟子にも現れ、ペテロに会い、トマスを除く十一人の弟子にも現れました。復活を信じられないと言っていたトマスにも、自分の復活したお体を触らせながら確認させてくださいました。そして、弟子たちの前で一緒に食事をされたこともありました。
 四番目に、自分たちの命をかけた弟子たちの変化です。イエスが処刑された時、弟子たちは自分たちの身分が暴露されることを恐れて全員逃げてしまいました。しかし、復活したイエスに出会った後から、彼らは自分たちの命を犠牲にしてまでイエスの十字架と復活を証明する教会を築き、その事実を述べ伝える宣教のわざを今日まで継続しています。イエスの復活は事実です。

趙 南洙師