今日から7週間に渡って家の教会説教シリーズを語って行きます。家の教会の牧会哲学として四本柱(教会存在目的、弟子訓練方式、奉仕分担、仕えるリーダーシップ)があり、またそれを実際教会のミニストリーに当てはめると三つの軸(人の情に触れる牧場、知的部分に触れる聖書勉強、意志に触れる主日礼拝)でミニストリーを表すことが出来ます。この説教シリーズで一番問われることは教会論であります。聖書が語る教会とは何であり、また今日の教会はどんな姿を持っているべきかが問われると言うことです。

今週考えるテーマは教会の最優先順位です。子供を育てるお母さんの優先順位は子供を育てることです。自分がダイエットをしたいためにフィットネスクラブに通うことも出来ますが、小さい子供を育てるお母さんであれば、それは優先順位から外し子供と共に過ごす時間を持ちます。家族を持つお父さんも優先的にやるべきことは家族を養うことです。どんな事情があっても家族を養う仕事をしないのは無責任と言われてしまいます。お母さんとお父さんに優先順位があるように、教会にも優先順位があります。マタイ28:19を見るとイエスキリストは昇天される前に弟子たちに向かってこう言われました。「ですから行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。 父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け」そして使徒の働き2章を見ると弟子たちは聖霊に満たされ教会コミュニティを作っていきます。このイエスキリストの教えを持って伝道・宣教に“行きます”。そしてあらゆる所でユダヤ人と異邦人にバプテスマを授けて行く場面が出て来るのです。

この初代教会の姿は教会に与えられている存在目的が“行く”ことにあり、また人々(バプテスマを受けている人々)を弟子にして行くものだと言うことをそのまま表しています。“行く”とはまだ救い主であるイエスを知らない人々に行くことです。つまり伝道を意味しています。 教会が伝道を最優先にするとは教会の関心をそこに注ぐことです。“どうすれば私たちの隣人に福音を届けられるだろうか?” “どうすれば教会に新しく訪れたVIPが福音を学び、教会コミュニティを通して福音を体験出来るであろうか?” “彼らが教会に来た時に歓迎されているだろうか?” “また彼らに聖書を教えるプログラムはあるのだろうか?” “誰がVIPに寄り添って続けて霊的ケアをしているだろうか?” “私はVIP伝道のためにこの1-2年何をして来たのだろうか?” など質問しながら教会がどれだけ伝道に関心を持つ教会なのか考えることが出来ます。 

聖書的に言うと、私たちの教会は既存信徒中心に教会作りをしてはならないと思います。 福音コミュニティの一員になれるように、VIPがいつでも入れる教会を作らなければならないと思います。この説教シリーズを通して忘れられていた本来の教会の姿を思い起こす貴重な時間になることを願います。ケアをしているだろうか?” “私はVIP伝道のためにこの1-2年何をして来たのだろうか?” など質問しながら教会がどれだけ伝道に関心を持つ教会なのか考えることが出来ます。 

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4433430db小学6年生の時に初めてフィリピンで一か月滞在する期間がありました。当時のフィリピンでは毎日停電と断水の時間帯があり、日中も半分の時間は電気も付けられずトイレも流せない時間帯があります。そして、一か月ぶりに日本に帰って来て水道の水でシャワーを浴び、これはなんと幸せなことなんだろうと感動を覚えた記憶があります。 

3年半前にアキレス腱を断裂しました。そして松葉づえで約6週間の生活をするわけですが、その時に覚えた不便さはとてもつらいものでした。一人で冷蔵庫から物を取り出してもそれを持ってあそこにある食卓に運ぶことも出来ない。複合印刷機でコピーをとっても、紙を持って自分の部屋まで歩くことも難しい。家の中でも物を運ぶには背中にカバンをしょって動くしかありませんでした。普段はいとも簡単に出来る作業でも怪我をすると本当に大変になることを経験したのです。そして、また松葉づえを使わずに歩ける感動はとても大きなものでした。歩けることがどれだけ幸いなことか、また何の不便もなく電気と水道を使えるのは何と幸いなことか。普段はあまり気づかない部分かも知れません。ヤコブ1章17節で、全ての良い物は主から来ていると言うように、今私たちに健康と私たちを支える環境があることは当たり前のことではありません。主の恵みがあり今も守られていることを忘れるべきではありません。

収穫感謝と言う概念は出エジプト23章と申命記26章に記録されていますが、今世界中にある収穫感謝祭を広めたのはアメリカの清教徒たちの影響があると見られています。17世紀にイギリスから信仰の自由を求め1620年にアメリカに降り立った清教徒たちは厳しい冬をむかえ、何と半分以上の人々が命を落とすと言う悲劇を経験します。そんな彼らがアメリカ先住民のインディアンたちに助けられ少しずつ生活の安定を得て行きました。その翌年の秋収穫時期になった時に、人々は自分たちの命が守られたことを覚え主に感謝を捧げる儀式を持ったことがアメリカの収穫感謝祭の始まりだと言われています。 

これらを見ると分かるように、今私たちが恵まれた環境に置かれ生かされていることは決して当たり前のことではありません。今日は収穫感謝礼拝ですが、皆さんは神様に感謝すべきことを当たり前だと勘違いしていませんか。今本当に主に感謝を捧げられるべきものは何なのかを覚えながらこの時期に主に感謝を表しましょう。これからも私たちの口から感謝が絶えないことを願います!  

 チョ・ドリュー牧師