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 私は長い間、家の教会を実践しながら、多くの先輩方を通して学んできたことがあります。それは、大げさに振る舞うことなく自然に表れる霊性と、プログラムに依存するのではなく、日常生活の中から自然に湧き出てくる献身です。このような教会になるためには、教会全体に「ゆとりのある雰囲気」が必要だと思います。
 アメリカのある教会では、毎年、牧師たちの働きを評価し、期待される水準に達していなければ解雇するところがあるそうです。教会は御国の使命共同体であると同時に、全ての人々を支え、癒やす共同体でもあります。教会では、働きの成果や能力だけで人を評価するのではなく、誰もが肩の力を抜いて安心していられることが大切です。ですから、牧師を招聘するときには慎重を期す必要がありますが、いったん迎え入れたのであれば、働きの成果や能力だけを理由に評価し、安易に解雇すべきではないと思います。神の働きを効率的に行うことも必要です。しかし、効率だけをあまりにも重視すると、軍隊のような堅苦しい雰囲気を作ってしまうことがあるからです。
 教会には、失敗を通して学ぶことのできる余裕が必要です。季節が巡るように、私たちの信仰の歩みも力強く歩める時があれば、立ち止まってしまう時もあります。献身・奉仕も、積極的に取り組める時もあれば、思うようにできない時もあります。そのような時も、必要以上に危機感を抱くのではなく、祈りながら互いに見守る余裕が必要です。
 礼拝にも、深く恵みを感じる時があれば、そう感じられない時もあります。説教にも、よく語れる時があれば、思うように語れない時もあります。いつも最高のもの、完全なものだけを追い求めていると、教会の雰囲気は次第に硬直してしまいます。
 もちろん、だからといって不誠実に働いてもよいということではありません。教会を通して主の働きを担うことは、神様から与えられた大きな恵みであり、特権です。しかし、それは自発的に行うべきものであって、無理やり、強いられて行うなら、長く続けていくことは難しいでしょう。
 私自身が一生懸命働いているからといって、他の牧会者たちに「私と同じように働きなさい」と要求することはありません。また、自分には厳しくても、隣人には寛容でありたいと思います。自分自身は主に似た者となることを願って歩みつつ、まだその歩みの途中にある人を受け入れる心を持つことが大切です。自分は与えられた賜物を最大限に活かそうと努めつつ、それぞれの賜物や違いを認め、ゆとりをもって互いを受け入れることが大切です。そうしてこそ、教会の雰囲気にゆとりが生まれ、自然な霊性と、生活に根づいた献身が育まれていくのだと思います。

趙 南洙師



 저는 오랫동안 가정교회로 섬기면서 많은 선배들을 통해 배워 온 것이 있습니다. 그것은 법석 떨지 않으면서도 자연스럽게 표출되는 영성과, 프로그램에 의존하지 않고 생활 속에서 우러나오는 헌신 입니다. 하지만 이러한 교회가 되기 위해서는 먼저 분위기가 넉넉해야 한다고 생각합니다.
 미국의 어떤 교회는 매년 목사들의 활동을 평가해, 기대치에 미치지 못하는 목사를 해고한다고 합니다. 하지만 교회는 일을 위한 사명 공동체인 동시에 모두를 살리는 치유 공동체 입니다. 교회에서는 유능한 사람 뿐 아니라, 능력이 부족한 사람이도 기를 풀 수 있어야 합니다. 그렇기 때문에 목회자를 뽑을 때에는 신중을 기해야 하지만, 일단 맞이 했다면 능력이 조금 부족해도 성경이 명시한 죄를 짓거나 교회에 큰 피해를 주지 않는 한 해고하지 말아야 한다고 생각합니다. 하나님의 사역을 효율적으로 하는 것도 중요하지만 그렇다고 지나치게 효율만 중시 하다 보면 군대 같은 딱딱한 분위기를 만들 수 있기 때문입니다.
 교회는 실수를 통해 배울 수 있는 여유를 허락해야 합니다. 계절에도 순환이 있듯, 믿음 역시 뜨거웠다 식었다 하며, 헌신도도 높아졌다 낮아졌다 하는 법 입니다. 식었거나 낮아졌다 할지라도 너무 위기감을 느끼지 말고, 회복 될 때를 기도하며 기다려 주는 여유가 필요합니다. 예배도 은혜로 울 때가 있고, 덜 은혜로울 때가 있습니다. 설교도 좋을 때가 있고 안 좋을 때가 있습니다. 항상 최고의 것, 완전한 것을 추구하다 보면 분위기가 경직될 수 있습니다.
 그렇다고 해서 불성실하게 임해도 괜찮다는 말은 아닙니다. 교회를 통한 주님의 일은 하나님의 상급이 따르는 특권이 있습니다. 자발적으로 해야지 억지로 강요하면 오래가지 못합니다. 제가 열심히 일을 해도 다른 사역자들에게 나처럼 하라고 요구하지 않습니다. 또 나 자신에게는 가혹하더라도 이웃에게는 관대해야 합니다. 자신은 주님을 닮으려고 몸부림치더라도 주님을 닮지 못한 사람을 용납 할 수 있어야 하며, 자신은 은사를 최대한 발휘하려고 노력 하더라도 능력이 부족한 사람은 넉넉히 수용 할 수 있어야 합니다. 그래야 교회 분위기가 넉넉해 지고 자연스러운 영성과 생활화 된 헌신이 이루어집니다.

조남수 목사



 日本には古くから「和をもって貴しとなす」という精神があります。この「和」の文化は、互いを思いやり、争いを避け、協力しながら社会を築いていく上で、大切にされてきた価値観です。そのため、日本人の礼儀正しさや、周囲との調和を大切にする姿勢は、海外からも評価されています。このような文化は神が日本人に与えてくださった尊い賜物と言えるでしょう。
 しかし聖書が語る平和は、単に争いがない状態や人間関係の調和だけではありません。イエス・キリストは「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです」(マタイ5:9)と教えられました。聖書の平和(シャローム)とは、神様との和解を土台として、人との関係が回復され、心にも平安が与えられる、完全な平和を意味します。
 日本人が大切にしてきた「和」は、対立を避けることを重んじる傾向がありますが、そのために時には真実を語ることや問題を直視することを避けてしまうこともあります。一方、キリスト者が目指す平和は、真理を犠牲にして成り立つものではありません。愛をもって真実を語り、赦し合い、壊れた関係を回復していく積極的な平和です。それは十字架によって神様と私たちの間に和解をもたらしてくださったキリストの歩みに従う生き方です。
 終戦(敗戦)81年を迎える今、私たちは過去の侵略戦争を振り返るだけでなく、自分自身が平和をつくる者として歩んでいるかを問い直したいと思います。家庭で、教会で、職場や地域社会で、赦しと愛を実践し、分断ではなく和解をもたらす存在となることこそ、現代のキリスト者に与えられた使命です。
 日本人が大切にしてきた「和」の精神は、福音への美しい架け橋となります。しかし、その和が真の平和として完成するのは、神様との和解をもたらすイエス・キリストに出会うときです。終戦記念の日に、私たちは平和の尊さに感謝するとともに、キリストの平和をこの国と次の世代へ証しする「平和をつくる者」として、新たな決意をもって歩みたいと思います。

趙 南洙師