日本語の週報 ダウンロード↓↓

4er450db

韓国語の週報 ダウンロード↓↓

4433430db
 苦難に直面すると、その困難な状況からひとまず逃れたいと思うことがあるかもしれません。聖書でも、主が私たちを耐えられない試練にあわせることはなく、むしろ耐えられるように神が脱出の道をも備えてくださると教えていますので、ひとまず逃れたいと思うことは誤ってはいないのかもしれません。しかし、どうして神を信じる者に耐え難い苦難が訪れるのでしょうか? いくつかの理由があると思いますが、簡潔にまとめてみると三つのことで説明できると思います。
 第一に、何よりサタンによる霊的攻撃のゆえにです。この世はサタンの支配下にあり、それまで支配下にいた人間がイエス様を信じようとする時、サタンはそのままにしておくことはしません。信じることができないように妨害したり、信仰生活に目が向かないように職場の上司や同僚を通して人間関係をこじらせたり、周りの人々を扇動して揶揄し、あざ笑うように仕向けたり、信仰に関心を持たせないようにします。それでも人がイエス様を受け入れようとすると、事故や災難を招き、神に対する疑いの思いを与え、信仰から離れさせようとしたり、教会を去らせたりするように誘導します。
 第二に、イエス様の似姿に変えられていくためです。投げ技が多い柔道を始め、全ての格闘技で共通する、はじめに学ばなければならない技があります。それは、「受け身」という技です。受け身とは、相手から床に叩きつけられる攻撃で、受けるダメージを軽減するための技です。入門者は怪我を防ぐために、この受け身を多くの時間を費やして学びます。そして上級者であっても、常に実戦と同じように稽古を通して多くの経験(練習)を重ねていきます。イエス様の弟子になるのも同じです。聖書を学ぶだけでは弟子になることはできません。環境や周りの人々を通して経験する困難や苦痛を伴う訓練により、イエス様の似姿に変えられていくのです。
 第三に、霊的に勝利するためです。多くの場合、霊的戦いは苦難を通してのみ勝利を得ることができます。イエス様も十字架の苦しみと死を通して、罪と病と悪霊と死を征服されました。旧約聖書の義人ヨブも、神の真実さを証しするために理由もわからない苦難を受けました。同じように、イエス様を真実に信じる者が理由もわからず苦難を受けるのは、こういう霊的戦いを闘っているからではないかと思います。
 当然のことですが、苦難そのものは決して楽しいものではありません。恐ろしくて避けたいものです。しかし、神様は私たちに耐えられない苦難にあわせないと約束してくださいました。そして、耐えられるように試練と共に脱出の道を備えてくださるとも約束してくださいました(Iコリント 10:13)。このような約束があるからこそ、苦難の理由が何であれ、私たちは最後まで耐えることができ、堂々と立ち向かうことができるのです。

趙 南洙師



日本語の週報 ダウンロード↓↓

4er450db

韓国語の週報 ダウンロード↓↓

4433430db
 家の教会(牧場)が良く機能するためには、まず牧者夫婦が良好な関係を築き、牧者として立たなければなりません。我が教会の32の牧者がこうなってほしいという願いを分かち合いたいと思います。
 第一に、隣人と真の友情を築く夫婦になってほしいです。友情とは、シンプルに友だちになることです。友情を分かち合えることです。何かを教えようとしたり、信仰的に判断し批判したりすることなく、ただ単に友情を分かち合うことです。そのような人の心からは温かさを感じます。時には「友情を守るために犠牲もいとわない」と思う夫婦であれば、その牧場は心配の必要はないと思います。譲り合う気持ちがあるなら、互いにより良い関係を築くことができるからです。
 第二に、同労者である他の牧者夫婦との関係も大事にしてほしいです。上辺だけ挨拶するような関係ではなく、心と心が良く通じ合う心の姿勢が大切です。快く引き受ける心、温かさと思いやりの心、犠牲を払う覚悟で先に仕える心、多くの時間をささげて忍耐し献身する心、などです。このような心がまえの牧者として隣人との関係を築いているなら、間違いなく神の御前において同じ生き方をされていることでしょう。
 第三に、主任牧師とも祈祷課題を気軽に分かち合えるような牧者夫婦であってほしいと願います。主の働きである奉仕と自分の思いを、気軽に分かち合える成熟した人格的な関係を期待します。一緒にいると気が重く、必要以上に気力が削がれ、我慢し、納得いかなくても理解せざるをを得ない状況が続く場合、そのような人は良い牧者だとは言えないように私個人としては思います。主任牧師との関係が難しいなら、牧場メンバーとの関係も難しいだろうと思われます。
 時には、戸惑うような、気が滅入る牧者たちの姿に遭遇する時があります。自己中心的傾向がとても強く感じられる時。利己的で打算的な時。牧場メンバーたちとの良い関係を築けず、奉仕を仕事として捉えているような時。自分の思いと高い理想に囚われて、現実とのギャップで何も実現できず、それを人のせいにしてさばく時。牧者夫婦が仕えないので、牧場メンバーが愛を感じられず、むしろメンバーたちが良く仕えて労しているにもかかわらず、逆に牧者夫婦がメンバーのせいで苦労していると言う時。このような状況が続くと、主任牧師として私は胸が痛みます。
 どうか32の牧者夫婦(独身の方も含めて)が幸せな牧者として生き、皆さんを牧者として召された神のみこころにかなった、神に喜ばれる人生となることを心から祈ります。我が教会の全信徒も皆、自分のためにとりなしの祈りをささげる牧者夫婦を尊敬し、惜しまず互いをなぐさめ、励まし合うことができますようにと願います。

趙 南洙師