私が小さい頃周りの大人から良く聞かされたのは、“悪い子とは遊んではならない”と言うことでした。実際、子供は他人に影響されやすいため、その話も十分理解出来ます。しかし、大人になってまで周りの人たちに簡単に影響されてしまうと どうなるのでしょうか?その人は自分の人生観と信仰観がしっかりとしていない人かも知れません。クリスチャンにとって理想なタイプは、影響を受けやすい人になるより、自分の基準が明確で他人に良い影響を与えられる人になって行くことです。

 イエスキリストはこの地上に来られた時、二種類の罪人の間に来られました。律法主義的で罪人たちを見下す宗教指導者たちと常に聖書を論じ合い、また社会から排除されていた取税人や病人たちとも時間を共にされました。しかし、イエスキリストは、影響されるより、影響を与える方でありました。彼らの罪がイエスに燃え移るより、イエスの聖さが彼らを少しずつ変えて行くのを見ることが出来ます。宗教指導者たちの中にもニコデモやアリマテヤのヨセフなど、イエスキリストに従う人たちがいました。また、マタイやザアカイのようにイエスの良い影響力によって改心した取税人出身の人たちもいました。

 興味深いのは、真の光りであられたイエスキリストは弟子たち(会衆)に向かって、“あなたがたは世の光りです。また塩です”と言われました。このことをまとめて言えばまさにクリスチャンとしての影響力を指し示す教えです。光は枡の上に置かれ周りを照らします。塩は料理の味付けには欠かせないものです。塩の味付け無しに料理を食べたことがありますか?醤油の無い寿司や、どんなに美味しいステーキでも塩の味が無くては残念な味がするでしょう。そのように、クリスチャンの影響力はこの世を照らし、人々を温かく包むと言うことです。少し理想的に代えて言えば、クリスチャンの貢献なくしてはこの世は暗くなり、クリスチャンの友情なくしてはこの世は寂しい所になって行くと言うことです。そして、もう一つ重要な点は、光りは暗い所を照らすものであり、塩も味気のないものに使われるものです。 

 クリスチャンが最も光と塩らしくいれるのはイエスキリストを必要とする罪人たちの間であります。もちろん、まだ未熟なクリスチャンは逆影響を受けて世俗的にならないように気をつける必要があります。皆さんは今誰に良い影響力を与えていますか?誰に光を照らしていますか?どんな愛のない所で塩気を出して人々を包んでいますか?今年のクリスマスはイエスキリストが暗闇を照らすためにこの世の光りとして来られたことを黙想しながら、私たちがどのようにこの世の光と塩になれるのかを考えていきましょう。

 チョ・ドリュー師

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