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 先週アメリカで有名牧師のスキャンダルが大きな注目を浴びました。ニュースは、ニューヨークシティで最も大きな教会の一つと言われるHillsong教会の主任牧師であるカール・レンツ(42歳)が妻以外の女性との浮気関係を持ちHillsongの本部から解雇されたというものでした。彼はアメリカの有名芸能人ジャスティンビーバーを洗礼し弟子訓練をしたことで知られ、その他にも有名芸能人が通う教会の牧師として名声の高い人でありました。そんな影響力のある牧師のスキャンダルに全世界にいるクリスチャンコミュニティは驚きを隠せません。 

 なぜこれだけの霊性を持つ牧師が一気に落ちたのでしょうか?正直、神のみ心に叶う男と呼ばれたダビデ王がバテシェバ事件を起こせるならこの牧師のスキャンダルにそう驚くこともないかも知れません。悲しいことは過去にもこう言うニュースは多くあったからです。一つ重要な教訓は、牧師もサタンの誘惑を受ける弱い一人の人間であり、続けて励まされ信仰に立っていなければいつ罪に走ってもおかしくない存在だと言うことです。もしかすると、サタンは戦略的に牧師や牧師家庭をもっと攻撃するでしょう。この牧師はこれからカウンセリングを受けてHillsongの中で(牧師以外の)他のポジションに復帰する可能性があります。しかし、彼が牧会していた5000人以上の群れはどうなるのでしょうか?彼のメッセージを毎週のように聞いていた全世界にいる数万人の人々はどうなるのでしょうか?失望感におおわれ、もう二度と教会を探さなくなる人たちも現れるかも知れません。 

 パウロが“私のようになりなさい!”と教えたように、信徒は牧師を模範にすることが出来ます。しかし、牧師が完全な信仰のお手本ではなく、続けて霊的励ましと成長が必要な存在であることを覚えないといけません。牧師がいつもその霊性を祈り時間や聖書を読む時間を通して(1から10までのスケールで)8か9で保てられていると思っているならそれは大きな勘違いです。時には心が折れそうになりその霊性が2か3まで落ちることもあります。もっと辛いことは、そんな疲れを持っていても毎週のように説教を準備し神のみ言葉を(霊性がいつも9以上のように)教会に伝えなければなりません。その霊的プレッシャーとストレスによって夫婦関係や家族関係に不調和が起きることも当然起きて来ます。 

 信徒たちにお願いしたいのは、牧員に“最近元気ですか?夫婦関係はどうですか?家族は元気にしていますか?”と聞くように牧師の近況に関心を持つべきです。何か異変に気付くようであれば励まし祈るべきです。決して牧師が自分の弱みを出して祈り課題を出せなくする教会の雰囲気を作ってはならないと思います。私は普段早天祈祷やそれぞれの牧場で皆さんが私のために祈って下さることを知っています。だから今日まで私も私の家族も守られて来ています。これからも私が主にあって成長し続ける聖徒の一人になっていきますように祈り支えて下さることを願います。

チョ・ドリュー師

 特別早天祈祷会を共にしていく中で、主と共に生きる喜びを分かち合える一週間だったと思います。そして本日は収穫を与えてくださる主に感謝の喜びを現す収穫感謝礼拝です。

 収穫感謝祭の由来は、17世紀のイギリスの清教徒(ピューリタン)たちによる移住がきっかけです。彼らが困難で苦しみの中にいたとき、原住民のインディアンたちが彼らの生活を助けました。そして、その移動した地で収穫物が与えられ、満たされる喜びをインディアンの人たちと分かち合い、感謝したことが祭りの始まりです。これがアメリカにおける収穫感謝祭に大きく関係しています。

 ですが、もともと聖書の中に “秋の収穫をお祝いしなさい。” と出エジプト記に記されています。

 また、あなたが畑に種を蒔いて得た勤労の初穂を献げる刈り入れの祭りと、年の終わりに、あなたの勤労の実を畑から取り入れるときの収穫祭を行わなければならない。出エジプト記23:16

 これはイスラエルの民を導くモーセに言われたことですが、当時イスラエルの民は荒野での生活をしていました。収穫が目の前には見えない状態で言われたことです。ですから私たちも、目先には見えない収穫も主が満たしてくだることを知り、信頼をもって収穫が与えられることを期待することができます。

今はコロナの影響で仕事場が失われたり、“収入が減りました。”という声をニュースや人々の相談の中で聞いたりします。このような状況の中でも主が満たしてくださることを思い起こすにはどうしたらいいでしょう。経済的に日々の食卓のことで苦しんでいる人がいるのであれば、僅かでも自分のお弁当を分かち合えることをしたいものです。

 C・H・スポルジョンは「伝道とは、一人の物乞いが仲間にパンのありかを教えることだ。」と言いました。そして、ティム・ケラー師はコロナの状況を見て「現在の私たち(クリスチャンリーダーたち)は少ない資源の中で、多くの供給を求められる。」と言っています。それは苦しみを凌ぎあうという意味よりかは、与えられているものを喜びあうことが求められているのではないでしょうか?

 主は何も与えないところで “与えはしないけどお祝いはしなさい” という方でしょうか?絶対にそんなことはありません。自分の愛するひとり子を世に与えたほどに私たちを愛してくださっている方ですから、私たちに必要なものを与えてくださる方です。満たされている人は感謝の賛美をささげ、物質的に求めが必要な方であれば、与えてくださる主に信頼をもって祈りをささげていきましょう。

吉村恵理也伝道師

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