イザヤ58:13-14

「もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「栄えある日」と呼び、これを尊んで、自分の道を行かず、自分の好むことを求めず、無駄口を慎むなら、そのとき、あなたは主をあなたの喜びにする。わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。――主の御口がそう語られる。」

 私が幼い頃クリスチャンの間で日曜日に買い物をしたり、遊園地に遊びに行ったりすることは霊的にタブー視されていました。それは宗教改革の立役者の一人ヨハン・カルビンを始め西洋の清教徒たちがイザヤ58章をベースに安息日(今日の説教を聴くと主日との関連が分かります)には“自分が好むこと”(娯楽)をしないことが望ましいと捉えていたからだと言われます。19世紀後半からアジアの教会にはこの清教徒たちの影響が広まった傾向があります。しかし、反対に、プロテスタントの中には、このイザヤ58章の“自分が好む”ことは娯楽ではなく安息日に商売をして利益を得ようとする行為だと解釈する人々も多くいます。この解釈では、日曜日にも体を休ませるために娯楽を楽しんでも良いと主張していると言うことです。

 歴史的にこんな面白いエピソードがあります。イギリスの牧師ジョン・ノックス(John Knox)がヨハン・カルビン(John Calvin)を日曜日に訪問した時にカルビンが芝生でボールを転がすボーリングをやっているのを見てびっくりしたと言う話があります。(RC Sproul引用)もし、これが本当ならば、カルビンはスポーツをやることが安息日を破る行為ではないと見たわけです。しかし、重要なポイントはカルビンの安息日に関する説教(申命記5章)で、神を礼拝することを妨げる娯楽は第四の戒めに反することだと語ります。 

 21世紀のクリスチャンたちが日曜日に買い物をすることを良心的に気にする人たちは少ないでしょう。でも、イザヤ58章を今日適用させるなら、重要な点は、神を“喜ぶ日”にショッピングに行くことや、遊ぶことで頭が夢中になるのであれば、それは主日を尊んでいないと言うことです。21世紀に主日を守るとは、“これはやっても良くて、あれはやってはだめ”と言うような律法主義的なものではありません。むしろ、主日は主の恵みを思い巡らし主にあって本当の安息を得る日のことです。私たちの教会が主の聖日に主を純粋に喜ぶことの出来る教会になることを切に祈ります。

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 品川で集まるニューコミュニティチャーチにはウェブサイトで教会を検索して繋がった方々が多くいます。 その中には教会を訪れる前に私の説教を数本(もしくは数十本)聴いてから来られた方々も少なくありません。時々私の語る説教を聴いてメールや電話を通し、褒めて下さる方々がいます。私はもちろん人間的に嬉しくても、その反面、そんな誉め言葉に重荷を感じることが良くあります。それは以下のようなケースが良くあるからです。 

 私の“互いを愛する”と言う説教を聴いてある人々は期待感を持って私たちの教会に来ました。‘私たちもそんな共同体を求めていたのです!’と言わんばかりに、すぐさま教会の人々と関わり始めます。最初はとてもスムーズに見えるのですが、大体問題は数か月後に見え始めます。それは、この教会はまだ説教で語られていた理想的な互いを愛する共同体でないと言うことが明らかになるからです。人間的に見れば弱さばかりが目立つ人々がいたり、教会の人々同士に抱えている葛藤を目のあたりにすることで霊的試練が襲って来ます。さらに追い打ちをかけるかのように、‘この牧師も全然思っていたほど理想的ではない’と気づきます。そして思うことでしょう、‘なんだ、この語っている理想とのギャップは?!’と。  

 私も正直な思いを言うと、自分自身牧会をしながら同じことを思うことはしばしばあります。でも、一つ確実に言えることは、私が過去に経験した教会どれも理想に近い教会はありませんでした。思えば常に信徒同士にトラブルが生じたり、リーダーシップの中にはにらみ合いが続いた教会が良くありました。しかし、そんな中、霊的に成長し続けた教会を見ると一つの共通する特徴がありました。それは、今は理想でなくても主のみ言葉と向き合い、理想を目標として常に悔い改め、また愛することを実践しようと意識(努力)した教会です。教会にとって重要なのは現状より、進んでいる方向性かも知れません。現状を見れば誰でも失望しますが、信徒たちが皆向いている方向性を見ると希望がわいて来ます。 

 皆さん、教会は罪人が集まる病院です。牧師も例外ではありません。“私は完全に聖化した人間です”と言える人は教会の中に誰もいないからです。だから、私たちは教会に通う全員が福音によって悔い改め、いつも新しくされて行くことを願っています。そう言った面で私たちの教会は正しい方向に進んでいるでしょうか?皆さん自身も、理想の目標に向かって着々と進んでいますか?もしそうであるなら、私たちの5年、また10年後は楽しみにしつつ共に歩み続けましょう。 

チョ・ドリュー師

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