先週テクノロジーを友達にしようとコラムを書きましたが、今週は一つだけ注意すべきことをお伝えします。インターネットは今では日常に欠かすことの出来ないとても便利な道具になっています。しかし、インターネットにはいろんな落とし穴があります。もちろんネットでニュース記事を読んでいると私たちをいろんな方向に誘惑する記事や宣伝が沢山あります。正直子供を持つ親としては一日も早く、国がこれらを厳しく規制することを願っています。でも、インターネットのSNSはもう一つの危険性を持っています。それは誤解、自己嫌悪、また他人への怒りを覚えることの出来るツールになることです。
最近のスマホはほとんど通知機能があり、メールが飛んでくるとすぐに音と共に知らせてくれます。専門家によると、テキストメッセージやショートメール、またFacebookのコメント通知音は私たちの体を少し興奮させるアドレナリン物質のあるドーパミンを放出するそうです。つまり、誰かから連絡が来ること自体に、何らかの肯定的な反応を見せることになると思われます。Facebookで私たちの友達が‘いいね’を押してくれたり、また励ましのコメントを残してくれたりするのはとても心の癒しになります。でも、もし誰かが皆さんを批判するメールやコメントを載せたとしましょう。皆さんの心はどうなると思いますか?最初は“そんなこと気にしない!”と思いながらも、どうしても気になるのがネット上の記載です。それは不思議に一度読んで、二度三度考えさせる効力があるからです。だから、これらの受け取り方によっては人を自殺に陥れるような衝動まで与えるのです。
最近日本のリアリティー番組の女優が自分の命を絶ちました。報道によるとその主な原因は視聴者たちから寄せられた批判の投稿に苦しんでいたことだと言います。なぜ人はそれだけネット上の人々の評価に左右されるのでしょうか?人には皆“認められたい”、“好かれたい”と言う欲が非常に強くあります。クリスチャンであっても、SNSで自分が言ったことをスルーされたり、Facebookでも誰も‘いいね’を押してくれないことに非常に気を落とす人もいるでしょう。しかし、私たちがまず覚えるべきことは、‘私たちはイエスキリストにあって、神様に完全に愛され、完全に受け入れられた存在である’と言う事実です。インターネットが普及される前の時代は神の愛、また家族や周りの友人の愛情だけでも幸せを感じたかも知れません。でも、今ではSNSで皆から愛されなきゃいけないと言うような妙な空気があります。もちろん、SNSを通して私たちは主の愛を分かち合うべきです。でも、それにあまり期待しすぎると私たちの自我EGOは酷く傷つきます。皆さん、インターネットSNSを正しく使うには福音メッセージを離さないことは重要です。そしてインターネットを自分のアピールして人々から愛されるツールと言うより、愛と祝福を与えるツールとして使って行きましょう。

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4433430db 今日はペンテコステ主日です。2000年前に、イエスキリストが弟子たちを福音の証人に なれるように聖霊を送って下さいました。聖霊が注がれた120人の信徒たちは突然他国のこ とばを話し福音を語り始めました。その光景を見た海外出身のディアスポラ・ユダヤ人や、神 を礼拝する異邦人(改宗者)たちの多くが、福音を聞き入れ3000人が救われました。新約 時代の教会の誕生の瞬間です。このようにペンテコステは人種を超えて神の救いの恵みが全地 に届くと言うことを教えてくれます。
 私自身、韓国で生まれ、9歳から日本で育ち、11歳からアメリカの教育を受けた背景を持 つことから、他の人よりこの3つの文化を比較することに慣れています。私が過去に大学で出 会ったユダヤ人たちは‘神の民’としてとても高い誇りを持っていました。でも、それに劣る ことなく韓国、日本、またアメリカ人たちもとても強い民族中心主義(ethonocentric)意識を 持っています。私の中国の友人に聞いても中国(Central Nation)も同じ認識があると話してい ました。愛国心は決して悪ではありません。パウロが自分の同胞を愛したようにクリスチャン も母国を愛することは当たり前のことです。しかし、異国の人々に対して少しでも差別や嫌悪 感を抱くならこれはクリスチャンらしくないことです。アメリカでも9.11のテロ事件後ア ラブ系の人たちは皆テロ組織の人のように怪しまれた時期があります。日本でも未だに在日の 人たちへの差別や外国人に対する偏見は課題として残っていると思います。私たちの教会はど うでしょうか?国籍や人種には関係なく全ての人々を歓迎する教会となっているでしょう か?招待教会の近くには韓国以外にもインド、タイ、また中華レストランが並んでいます。近 年ではコンビニの従業員たちもほとんどが外国出身という現状です。私たちの彼らに対する視 線はどうでしょうか?
 2020年に川崎の地でペンテコステが起こるなら招待のメンバーが全て外国語で福音を 語り始めたと言うシーンになります。そして、その姿を見た近所の外国人たちが集まって来る ような場面になるのです。さて、私たちは彼らを温かく向かえ入れ、教会の仲間として受け入 れられるでしょうか? それが問われるのがペンテコステであります。私たちが主の御心を行 い、福音を分かち合うなら、教会はその町の人種構成を反映する教会になって行きます。それ がペンテコステの証であり、“私たちは皆イエスキリストの福音によって一つとされました” と言うことを世に示すことになります。このペンテコステ主日に私たちが人種の壁を崩す教会 になることを願い、心を合わせて行きましょう。

チョ・ドリュー師