人は本能的に仕えることより、仕えてもらうことを好みます。隣人に仕えることができないことを惜しむより、自分が認めてもらえない時、仕えてもらえない時に心が寂しくなります。しかし、主は「人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。」(マタイ7:12)と教えます。私たちの主は、当然仕えられるに値する神でありながら、「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために」(マルコ10:45)来られたとおっしゃいます。私たちはこのようなイエス様の姿からまことの霊的権威が何かを教えられます。
権威は自ら作るものではありません。そのような権威は、独善的な悪い権威主義になるだけです。まことの権威は、隣人に謙遜に仕える時、その隣人を通して神様が与えてくださる祝福です。これは人から尊敬され、その仕える姿に似たいと願うことからくる権威です。私たちが、共に信仰生活をし、互いに仕える時、神様が私たちの関係の中に与えてくださる「霊的権威」を体験するようになります。
また、隣人に仕えることを通して、「人にしてあげる方がもらうより幸い」であることを体験できます。私たちは人に何かをしてあげるより、してもらう方がもっと幸せだと思いがちです。しかし主は、「受けるよりも与える方が幸いである」(使徒20:35)と教えます。もし、隣人に楽しく仕える機会を作るのであれば、この主の教えを自分の人生において実現できる祝福を味わえると思います。誰か、何かを必要とする人に、それを与えることができるのは、神から来る祝福をいただいたというクリスチャンとしてのアイデンティティを確認できることであり、また隣人と共に味わう喜びでもあります。
さらには、仕える人生を通して、天においていただく報いも与えられます。ある日、イエス様の弟子たちは誰がより偉いのか論じ合っていました。その時に、主は弟子たちを伝道のために送りながら、「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。…預言者を預言者だからということで受け入れる人は、預言者の受ける報いを受けます。…わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません。」と約束のことばを与えられました。
暖かい心を分かち合うことができる良い季節です。イエス様の誕生の知らせと共に、隣人に仕え、分かち合える具体的な計画を立てて実践してみましょう。
趙 南洙師
本日から12月3週目まで、来年度の教会での奉仕について、全信徒で共に計画を立てる期間を持つことを提案します。その目的は、神様が私たちに与えてくださった賜物(タラント)を見つけ、いただいたタラントを怠け者のように地に隠さず、その賜物を通して神と人とに仕える機会を設けるためです。それと同時に、教会のために共に仕える喜びを体験する時になればと願っています。
先月行われた教会総会において、来年度の教会奉仕を導く役員たちが選出されました。言うまでもないことですが、選ばれた10人の役員だけが奉仕するのではありません。選ばれた役員と全信徒が共にひとつとなって奉仕する教会が健康的な信仰の共同体といえるでしょう。
まずは、教会が必要としている奉仕の内容を見つけてみてはいかがでしょうか。礼拝のために必要な奉仕があります。受付、会場案内、聖歌隊、賛美リード、奏楽、通訳、PA、とりなしの祈りなどです。教育のためには、CS教師、アワナクラブリーダー、道コース支援、勉強会(学習指導、食事奉仕)、GCA支援などがあります。建物管理のためには、建物メンテナンス、電気・消防点検、美化作業(礼拝堂、生花)、掃除などがあります。宣教のためには、宣教地ネットワーク、宣教献金管理、宣教記録、救済活動、短期宣教奉仕などがあります。慶弔のためには、葬儀、結婚式、出産などがあります。信徒の交わりのためには、買い物、調理、皿洗い、厨房管理、高齢者訪問、春と秋の特別早天祈祷会での食事奉仕などがあります。事務のためには、パソコン作業、週報作成、翻訳、教会歴史記録、写真撮影、新来者記録、法人関連事務などがあります。会計のためには、帳簿記録、入出金計数、出費管理、会計監査などがあります。家の教会ミニストリーのためには魂の救いのための企画、あらゆるセミナーの準備、牧場支援などがあります。
これ以外にも、さまざまな奉仕の機会があります。先週お配りした奉仕のリストをよくご覧いただくと、関心のある分野が見つかるはずです。見つけたら、その奉仕内容について主のみこころを尋ねて祈りをささげてください。そして主のみこころであるなら、従う心をもって、担当の役員や教職者に声をかけ、仕えてくださればと思います。
時間に余裕がない方でも、主日礼拝の前後の時間を割いて、礼拝堂の周りの掃除や点検、花壇メンテナンス、子どもの世話などの奉仕に携わってくださることを願います。教会での奉仕は、キリストの体である共同体に仕える祝福の時であり、他の牧場メンバーとも豊かに交われる、喜びの時となるからです。
趙 南洙師
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