毎週の牧師コラムを楽しみにしてくださる信徒の方々がおられ、また牧場の交わりで話題になる時があると聞きます。ですから、私にとって毎週の週報に掲載するコラムを書くことは、とても喜びであり、感謝な奉仕です。
 それだけでなく、信徒の皆さんと牧会者の考えや心を分かち合うことは何より大切なことだと思っています。そのため、一週間の黙想を通して感じたことを文章に表現してきました。文章は学びや人生の歩みが反映され生まれるものですが、時には多くの本を通して賢者の知恵を得たり、同じような悩みや課題を抱える牧師からの助言を参考にしたりすることもあります。今日はアメリカで仕えているある牧会者の言葉を引用して共有したいと思います。
 あなたの人生において、一番目が自分のしたいことで、二番目がしなければならないこと、そして三番目が神様との交わりになっていませんか。私たちの人生を振り返ってみましょう。したいことをすべてして、しなければならないこともすべて終えて、その後、もし余裕ができたら神様との時間を持つ…ということになっていませんか。そうであれば、あなたにとって神様はいつも三番目の待機者になっているということです。
 困難なことが起こったときも神様は三番目です。自分の力で一度試して、それでもだめなら周りの人々の助けを求めて、それでもだめなら、その時ようやく神様を求めます。そうであるならあなたの神様は三番目の存在だということです。
 関わりの距離感についても神様は三番目です。自分に一番近い存在は自分自身で、その次が自分の気持ちを理解してくれる人、その次になって遠い天におられる神様なのではありませんか。そうであるなら、あなたの神様はいつも三番目の存在です。
 それでも神様は私のことを一番目にしてくださいます。何があったとしても、私が求めたときには助けてくださいます。私が苦しんでいるときは、何があってもまず駆けつけてくださいます。私のそばには誰もいないと感じるとき、神様だけはいつも私のそばで慰めてくださいます。神様にとっては私がいつも一番目です。
 私たちも神様のことを一番目にしたいと思います。他のことはすべて置いて、まず神様と交わり、小さな困難が訪れるたびに助けを求めるのも、まず神様であってほしいと思います。常に私のことを一番目にしてくださる神様を、私も一番目にして生きましょう。
 「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイの福音書6:33)

趙 南洙師



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 使徒の働き18章1〜8節をみると、アテネを離れ、西に約100キロ離れたコリントに行った使徒パウロは、そこでアキラとプリスキラ夫妻に出逢います。ローマにて天幕製造業に従事していたアキラは、皇帝クラウディウス1世によるユダヤ人追放令により、妻のプリスキラとともにローマを離れ、コリントにやってきたのです。ここで彼らはパウロと出逢い、一生の信仰の同労者となりました。ですが、この出逢いを予期した人は誰もいませんでした。アキラ夫妻は、あれほど広く、多くの都市があるローマ帝国の中で、どうしてコリントに移住したのでしょうか。これこそ誰も想像できない、神の驚くべき摂理による導きだと言えるでしょう。
 古代ギリシャ都市国家のスポーツ競技の中で、もっとも有名だった祭りは、海の神であるポセイドンを祀るオリンピア祭典でした。ご存知のように、オリンピア祭典は現在のオリンピックとして発展し続けています。ですから当時のコリントは、祭典が開催されるたびに、競技に参加する選手や多くの観客によって非常に混雑しました。しかし当時は、宿泊施設が非常に不足していたため、選手や観客たちは仮の宿泊先として天幕を使用するしかありませんでした。西暦51年、コリントにて祭典が開催されましたが、歴史書の記録によれば、クラウディウス皇帝がユダヤ人にローマから出て行くようにと命じたのは西暦49年末から50年初めであったようです。この時、ローマから追放されたアキラ夫妻が、多くのローマ帝国都市の中からなぜコリントを選んだのか、おそらく大規模な祭りによる天幕の需要を見込んだからではないかと思われます。アキラ夫妻は西暦50年頃にコリントに来たと思われます。それからほどなくパウロもコリントに到着し、同じ職業を持つ者同士が偶然のように出逢ったと推測できます。これは本当に驚くべき出来事で、決して偶然とは言えません。多くの歴史的な出来事が起こったのは決して偶然ではなく、この世を統治なさる神の驚くべき摂理なのです。
 さらに驚くべきことは、これらの出来事はパウロとアキラ夫妻だけではなく、今の私たちにも起こっているという事実です。神はこの世界と私たちの人生の中に起こるあらゆる出来事を通して、主の善きみわざを成就なさっているのです。このことに私たちは驚かざるを得ません。現在を生きる私たちの人生にも、素晴らしいタイミングで驚くべきみわざを行われる神の摂理により、このような美しい出逢いの祝福が与えられるように祈るべきではないでしょうか。

趙 南洙師



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