神様を信じ、教会を愛している信徒たちにも葛藤は生じます。そのひとつに、聖なる教会を建てたいという願いと、平和のある教会を建てたいという二つの願いの間で生じる葛藤があると思います。きよさを追求するためには、健全な批評をしなければなりません。しかしその一方で、これらの批評は分裂をもたらすこともあり、教会外の人々の目にはそれが争っているかのような印象を与える恐れがあります。平和のためには互いを受け入れ、認める必要がありますが、その一方で、不正や不条理に対してまで沈黙するような印象もあるため、これらの対立の中で妥協点を見つけることは容易ではありません。つまり、信徒たちの中に「さばいてはいけません」(マタイ7:1)という戒めと、「兄弟たち。もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら・・・その人を正してあげなさい」(ガラテヤ6:1)という戒めと、双方の戒めに葛藤する人々がいるということです。これらの葛藤を解消するために、いくつかの原則があると思います。
 まず何より大切なことは、私たちの間で生じる葛藤を恐れたり避けたりしないことです。使徒の働きを見ると、初代教会は葛藤を経験することにより神様のみこころに気づき、成長していくことがわかります。エルサレム教会においても、ユダヤ人のやもめとギリシア人のやもめたちの間で、食料配給の葛藤が生じた時、これらのことをきっかけに「祈りとみことばの奉仕に専念する」使徒たちの役割が確立され、優れた執事たちが選ばれることになりました。
 旧約の戒めを守るべきだという人々と、守る必要がないという人々の間で生じたアンティオキア教会の葛藤は、エルサレム会議を開かせ、この会議を通して福音がより明確に定義されることになりました。このように、教会が「健康」であるためには、葛藤が必要かもしれません。葛藤を通して問題点を発見し、見直すきっかけとなるからです。ですから私たちは、葛藤そのものを恐れてはいけません。また問題をごまかしたり隠したりしてもいけません。葛藤を認め、あらわしながら解決策を見つけていく必要があります。
 「葛藤を通して成長する」という言葉が理解できるでしょうか。神様は私たちを変えるために、私たちの変えるべきところをまず教えてくださいます。その教える方法が葛藤という側面としてあらわれるのです。例えば、高慢な人は高慢な人を引き寄せます。葛藤の原因が自分の高慢であることに気づかせ、相手の姿を通して、高慢さがどれほど愚かなものかを示してくださるのです。高慢な隣人との間で生じた葛藤を解消する過程を通して、私たち自身がようやく高慢さから抜け出すことができるのです。

趙 南洙師



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 先日の12日、ブレッシング・フェスが開催されました。その日、多くの新来者と訪問者の方々が来訪されたため、礼拝中の献金の時間が気になった方もいらっしゃったかもしれません。実際、私たちが信仰生活を送る中で、過敏になる時があるとしたら、献金をささげる時かもしれません。もちろん献金をささげる喜びもあると思いますが、同時に負担に感じることもあると思います。
 皆さんはどう思われますか?もし誰かが「なぜ教会で献金をささげなければならないのですか?」と質問した時、何と答えるでしょうか。主任牧師である私は皆さんが良くご存知の通り、クリスチャンとしての仕える生き方は強調するものの、献金生活については強く伝えたことがありません。神様に正しくささげる献金は、私たちの信仰の告白であり、信仰の成長においてとても大切な関係があります。またこれは、神様が私たちの生活に、富や財を多く与えるか少なく与えるかの基準に非常に密接に関わっています。そのため次の3つの理由から、惜しまず、充分にささげられないことを嘆きつつ、しかし喜びをもって神様に十一献金と他の献金をささげられると良いと思います。
 第一は、聖書に書いてある通り信じる信仰のゆえです。私たちは「銀はわたしのもの。金もわたしのもの。万軍の主のことば」(ハガイ2:8)とおっしゃるみことばをその通りに信じているため、喜んで神様にささげています。「私の全ては私の所有物ではなく、神のものです」という信仰の告白と共に、信仰の証しとして、主日ごとに献金袋に自分の信仰を込めてささげます。
 第二は、主をより愛そうとする心のゆえです。「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。」(マタイ6:21)とみことばは語っています。私たちは日常の中で、お金の力を常に肌で感じながら生きています。そのため神様とマモン、この二つの主に仕えようとする心の誘惑に打ち勝つのは、神様にささげる道です。お金よりも主を愛する心を込めて、主日ごとに献金をささげるのはとても大切なことです。
 第三は、すべてに感謝して生きるためです。「すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(1テサロニケ5:18)とみことばは語ります。私は今まで、主からあまりにも多くの恵みをいただきました。ですから、神の御旨を成し遂げる全てのことのために、感謝をもって仕えていきたいのです。こういうわけで、神様からいただいた恵みと祝福に感謝しつつ、主にささげる献金生活に感謝しています。今まで生きてきたことは、すべてが主の恵みだからです。

趙 南洙師



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