私たちクリスチャンは、日曜日を主日と呼び、主日を聖なる日として守り、生活を営んでいます。主日とは、文字通り主の日ですので、主に礼拝をささげながら、私たちの歩みがさらに神を仰ぎみるものとなるように願いつつ、安息することを意味します。
 神は天地万物の創造を完成された後、最後の日に安息されました。そしてこの日を聖なる日として定め、すべての人々にこの日を覚えて休むようにと命じました。安息日で最も大切なことは、人間が神の創造と救いを覚えながら神に感謝して栄光を帰し、神の恵みのもとで憩いながら、より敬虔な道を歩めるようになることです。
 新約教会の信徒たちも安息日を聖なる日として守り、ユダヤ人の会堂で共に礼拝をささげました。しかしユダヤ人たちは、イエス・キリストの十字架と復活を信じなかったため、共に礼拝することができなくなりました。イエス様は十字架で死なれたのち、安息日のあと、週の初めの日に復活され、人類の救いを成し遂げられました。そのためこの日を「主の日」と名付け、記念し、共に集まって礼拝をささげながら安息したのです。身も心も魂も休ませるためです。
 私たちが日曜日を主の日として守ることは、単に日曜日だけが特別で、この日だけを聖なるものとして守ればいいという律法的なことではありません。私たちはすべての日が神のものであると信じ、そして主日を聖なる日として守ることで、7日間すべての日を神の御旨(みむね)に従って生きるべきなのです。すべての日は神によって造られました。そして私たちの人生の主は神のみです。ある日だけを特定して区別することは、別の偶像となり得ます (ローマ14:5-6) 。
 使徒の働きでは、初期の新約教会の信徒たちは日々共に集い、礼拝をささげ、聖餐を分かち合ったと語られています。その後、イエス様が復活された日曜日は主の日として区別され、礼拝する日として守るようになり、神の中で安息することの意味が正しく確立されたのです。
 ヘブル人への手紙10:25に「ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。」と書かれています。我が教会は新約教会の信仰の伝統を正しく受け継ぎ、主の日(日曜日)を正しく守り、熱心に集まるべきです。
 主の日として定められた日曜日にクリスチャンが共に集い、神に礼拝をささげることは、最も大切な私たちの信仰のアイデンティティなのです。

趙 南洙師



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 アメリカの代表的なキリスト教メディアであるクリスチャン・ポストが、フロリダ州にあるウェスト・ブレイデントンバプテスマ教会のサム・レイナー(Sam Rainer)牧師のコラムを掲載しました。「5年以内に消滅する教会の5つの理由」というタイトルのコラムを簡単に要約しますと「①死んでいく教会は魂を救う伝道の働きを諦めている。②死んでいく教会は些細なことに命をかけている。③死んでいく教会は耐え難い中傷と葛藤に巻き込まれている。④死んでいく教会はコロナ禍によって悪化した緊急性に気づいていない。⑤死んでいく教会は牧会者を全ての問題の解決策と見なしている。」という内容でした。
 私はこの文章を読みながら、我が教会の現状について考えざるを得ませんでした。皆さんはどう思われるでしょうか。もし我が教会のうちに、これらの死んでいく教会の特徴が一つでもあるのなら、私たちは目を覚まし、覚醒しなければなりません。
 私は7月の役員会で、去る6月にGCAを訪問し、生徒たちに大きな感動を与えてくれたクリスチャン音楽家を招く提案をしました。川崎市民の方々を祝福する「ブレッシング・フェス(Blessing Fes.)」を開催するためです。近隣の人々を教会に招いて、クリスチャン音楽を通して感動を伝え、祝福し、彼らが神の救いを受け入れられるよう助けるのが目的です。これは基本的な宣教活動と言えるでしょう。
 我が教会は毎年11月の第2週目を収穫感謝礼拝としてささげていますが、今年は11月12日になります。そして、この主日礼拝を「ブレッシング・フェス・デー(Blessing Fes. Day)」とし、私たち全員が隣人に祝福を伝える福音伝道のチャンスにしたいと考えています。
 私たちは過去3年以上、コロナ禍で自分を守ることに精一杯でした。そのため、隣人に目を向け、手助けすることを疎かにしてしまいました。これからは、救われる魂の足音が絶えることなく訪れていた本来の我が教会の姿に回復することを願います。
 11月12日の「ブレッシング・フェス・デー(Blessing Fes. Day)」を覚えてください。そしてぜひ、神の愛によって救われることを願っている隣人の名前を覚え、御霊の働きを望みつつ祝福の祈りをささげてください。ダニエル書12章3節には「多くの者を義に導いた者は、世々限りなく、星のようになる。」と記されています。神が最も喜ばれる隣人を救いに導く皆さんこそ、祝福された神の子どもです。

趙 南洙師



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