日本語の週報 ダウンロード↓↓

4er450db

韓国語の週報 ダウンロード↓↓

4433430db
 旧約聖書の士師記には、出エジプトしたイスラエルの民が約束の地カナンに定着した後、神を捨て勝手気ままにふるまう内容が記されています。出エジプトの世代が去り、カナンに定着した世代に引き継がれて別の世代に交代したということです。「その世代の者たちもみな、その先祖たちのもとに集められた。そして彼らの後に、主を知らず、主がイスラエルのために行われたわざも知らない、別の世代が起こった。」(士師記2:10)。士師記の著者は、この変わってしまった新しい「別の世代」の特徴を①神を知らない世代、②神のみわざを覚えていない世代、として表しています。
 なぜそのような問題が起こったのでしょうか? ひと言で言えば、信仰を次世代に引き継ぐことができなかったからです。時代が変わっても、次世代への期待と希望は常に続いていくべきです。このような時こそ、本質に集中して次世代を築き上げねばなりません。次世代を支えることは、今の世代の未来を準備することとも言えます。ですから、すべての信仰者は次世代を支えることに献身するのは大切なことです。神様がどのようなお方であり、その神様が成してくださったことを見て学び、その御業を覚え、感謝する次世代を支えなければならないと思います。
 次世代を支えるという聖書的理念を共有するアメリカの家の教会を実践する韓国系の青少年たち27名(引率者を含む)が、6月24日から1週間、GCAをはじめ私たちの教会を訪れる予定です。最初の4泊5日はGCAに宿泊し、共にキリスト教の古典であるジョン・バンヤンの『天路歴程』を学び、討論します。それぞれ異なる文化で成長してきた若者たちが、イエス・キリストにあって一つであることを体験する、いわば共同体の信仰訓練を実践します。残りの2日間は、私たちの教会の青年たちと共に賛美集会を行い、互いの中に臨在している聖霊の恵みを分かち合います。最後の主日礼拝を共に捧げ、彼らはアメリカに帰国する予定です。
 次世代の将来を祝福し、彼らを支えることに共に協力してくださる家庭を探しています。具体的には、6月28~29日(金~土の2日間)、宿泊場所を提供してくださる家庭を探しています。食事は教会で準備して提供する予定です。彼らは韓国系のアメリカ人として生まれ育った若者で、日本の文化や礼儀を知りません。しかし、クリスチャンのアイデンティティを持つ家の教会に属する若者たちです。幼い天使のような彼らを主の名によってもてなしてくだされば、主が大いに喜ばれると思います。そして来年には、私たちの教会の若者たちがアメリカを訪れ、彼らの家庭でお世話になる予定です。こうして祝福の輪が広がっていくのです。次世代を支えることは、私たちに与えられた祝福です。

趙 南洙師



日本語の週報 ダウンロード↓↓

4er450db

韓国語の週報 ダウンロード↓↓

4433430db
 苦難に直面すると、その困難な状況からひとまず逃れたいと思うことがあるかもしれません。聖書でも、主が私たちを耐えられない試練にあわせることはなく、むしろ耐えられるように神が脱出の道をも備えてくださると教えていますので、ひとまず逃れたいと思うことは誤ってはいないのかもしれません。しかし、どうして神を信じる者に耐え難い苦難が訪れるのでしょうか? いくつかの理由があると思いますが、簡潔にまとめてみると三つのことで説明できると思います。
 第一に、何よりサタンによる霊的攻撃のゆえにです。この世はサタンの支配下にあり、それまで支配下にいた人間がイエス様を信じようとする時、サタンはそのままにしておくことはしません。信じることができないように妨害したり、信仰生活に目が向かないように職場の上司や同僚を通して人間関係をこじらせたり、周りの人々を扇動して揶揄し、あざ笑うように仕向けたり、信仰に関心を持たせないようにします。それでも人がイエス様を受け入れようとすると、事故や災難を招き、神に対する疑いの思いを与え、信仰から離れさせようとしたり、教会を去らせたりするように誘導します。
 第二に、イエス様の似姿に変えられていくためです。投げ技が多い柔道を始め、全ての格闘技で共通する、はじめに学ばなければならない技があります。それは、「受け身」という技です。受け身とは、相手から床に叩きつけられる攻撃で、受けるダメージを軽減するための技です。入門者は怪我を防ぐために、この受け身を多くの時間を費やして学びます。そして上級者であっても、常に実戦と同じように稽古を通して多くの経験(練習)を重ねていきます。イエス様の弟子になるのも同じです。聖書を学ぶだけでは弟子になることはできません。環境や周りの人々を通して経験する困難や苦痛を伴う訓練により、イエス様の似姿に変えられていくのです。
 第三に、霊的に勝利するためです。多くの場合、霊的戦いは苦難を通してのみ勝利を得ることができます。イエス様も十字架の苦しみと死を通して、罪と病と悪霊と死を征服されました。旧約聖書の義人ヨブも、神の真実さを証しするために理由もわからない苦難を受けました。同じように、イエス様を真実に信じる者が理由もわからず苦難を受けるのは、こういう霊的戦いを闘っているからではないかと思います。
 当然のことですが、苦難そのものは決して楽しいものではありません。恐ろしくて避けたいものです。しかし、神様は私たちに耐えられない苦難にあわせないと約束してくださいました。そして、耐えられるように試練と共に脱出の道を備えてくださるとも約束してくださいました(Iコリント 10:13)。このような約束があるからこそ、苦難の理由が何であれ、私たちは最後まで耐えることができ、堂々と立ち向かうことができるのです。

趙 南洙師