リーダーになることを簡単だと思う人はいないと思います。また、誰もがリーダーになれるのだと思う人もいないと思います。むしろ、リーダーになることを避けたり、拒んだりする人の方がより多いのではないでしょうか。いずれにせよ、リーダーとして立てられたならば、人々を成功に導くリーダーになるのが、自分自身にとっても、共にするすべての人々にとっても、幸せだと思います。私は、我が教会の牧場のリーダーである牧者の皆さまが、牧場のメンバーや周囲の人々の成功を助けることにより、幸せになれることを常に祈っています。
 しかし、私を含めてリーダーである方が人々を立てるのではなく、むしろ人々を傷つけてを失ってしまう時があるため、とても残念な思いをすることがあります。そのような時は、リーダーが高慢になっている時です。
 聖書が語る「高慢さ」とは、神様が忌み嫌われる行動と態度です。そのため聖書では「心の高ぶりはすべて主に忌み嫌われる」(箴言16:5)と語られています。
 では、リーダーとなった人が注意すべき「高慢さ」にはどのようなものがあるでしょうか?一般的なリーダーシップの教えから学んだ内容ではありますが、10の要素を紹介します。
  ①自分がリーダーだからと常に他人の話だけをあげつらね、自分の素直な話はしない。
  ②共に働きながら、責任の一部を他の人に委ねることができず、他の人を立てることをしない。
  ③決して「間違いました」と事実を認めず、常に自分だけが正しいと頑固な主張をする。
  ④決して「申し訳ありません」、「許してください」という言葉を口にしない。
  ⑤多くの言葉や事を誇張して表現する性質がある。
  ⑥他人が自分より認められたり、名誉を得たりすることに耐えられない。
  ⑦有名な人々の名前を用いることで、自分の立場を高めようとする。
  ⑧自分の事を批判する人をできる限り避けて生きる。
  ⑨自分の発言に対し、人々からの肯定や励ましがない時にはすぐに失望する。
  ⑩このようなリーダーは神の前で祈る時間を無駄だと考える。
 聖書は、「高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ」(箴言16:18)と語ります。私たち皆が謙遜なリーダーとなり、私たちが仕える隣人の成功を見ることを喜びとする幸せな人生になるように祈ります。

趙 南洙師



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 自分を知り、自己のアイデンティティを認識することはとても大切です。「アイデンティティ」とは、変わらない存在の本質を悟る性質、またはその性質を持つ独立した存在であると定義されています。最近注目されているChat GPTに「自分のアイデンティティを見つけるためにはどうすればいいですか?」と尋ねてみました。すると「アイデンティティは、個人が自己を認識し、理解する方法を示しています。それを見つけるためにはいくつかの問いが必要です。『私は誰か』など、自分について考え、持っている特徴や能力、性格などを書いてみるのも良いです。または『自分が望んでいることは何か』など、自分の価値観や目標を考え、どのような人生を望むのか、その方向を整理してみるのも良いです。」と答えてくれました。
 しかし私は、このような方法で自己のアイデンティティを見つけるより、私を造られた神様が、自分のアイデンティティについてどう語っておられるかがもっと重要だと思います。「いのちの道」コースの学びで伝えた内容でもありますが、次のようにまとめることができます。
 第一に、私たちは神様との関係において「愛されている神の子ども」です。これは、エペソ人への手紙5章1節において確認できます。「ですから、愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい。」私たちは自分の人生の救い主としてイエス・キリストを受け入れた時から、自分の行いとは関係なく、神の偉大な愛をいただく子となりました。今は自分の内に神の似姿に変えられていくDNAが宿っている尊い存在となっています。
 第二に、私たちは御子イエス・キリストとの関係において「キリストの花嫁」です。これは、コリント人への手紙第二11章2節において確認できます。「私は神の熱心をもって、あなたがたのことを熱心に思っています。私はあなたがたを清純な処女として、一人の夫キリストに献げるために婚約させたのですから。」私たちはイエス・キリストとの聖なる結婚を約束された者として、ますます主を愛する心が大きくなりました。私たちの人生の最後は、最も喜ばしい結婚の祝宴において完成されるため、日々聖なる生き方を望むようになりました。
 第三に、私たちは御霊との関係において「神の聖なる宮」です。私たちの体は自分のものではなく、キリスト御自身の血潮により贖われた、イエス・キリストのものとなりました。これは、コリント人への手紙第一3章16節において確認できます。「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。」私たちの内には神の御霊が共におられることにより、神の栄光を現す「神の宮」として日々歩む存在となりました。そのゆえ、神の臨在と栄光をますます望む生き方へと変えられます。これらのすべては、神の愛であり、恵みなのです。

趙 南洙師



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