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私たちがよく知っているマタイの福音書28章19-20節で語られている弟子とは、「御父と御子と御霊の名によってバプテスマ(洗礼)を受けた人」を指します。ご存知のようにバプテスマとは、「自分の罪を告白し、イエス・キリストの十字架によって罪が赦され、新たに生まれ変わること」です。つまり、その人の存在自体が変えられることを「救い」と言います。
しかし、イエス様がおっしゃる弟子になることは、単に救いの確信に留まることを意味しているのではありません。救いの確信とは、ある意味、一種の基本的な確認であると言えます。弟子になることは、「時間が経つほどに、ますます師の教えに従い、証しする継承者」であり、同時に「真理の証し者として生きること」を意味します。そのためイエス様は「わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。」と命じられました。弟子とは、イエス様の御教えを学び、守り、教えなければなりません。
また同時に、弟子になることには重要な意味があります。それは、「主イエス・キリストによって救われた自分は、人生をどう生きていくべきか」という使命についての認識を明確にすることです。ですから、弟子になることは、「与えられた使命が自分の人生の目的となって生きること」を意味します。従って、イエス様の弟子として生きますと告白する私たちは、使徒パウロが告白したように、キリストから与えられた召しを走り尽くすまで、自分のいのちは少しも惜しいとは思わない(使徒20:24)「召命者としての歩み」を生きると決心するのです。
誤解してはいけないのは、弟子訓練の一環として行われている道コースを修了しただけでは、弟子として生きているという称号が与えられるわけではないことです。イエス様に従い、その御教えを自ら守り、そして隣人にも模範を示しつつ、教えて共に守ろうとする生活のすべてが、弟子としての歩みであるということです。
とはいえ、弟子として生きることが「牧師や宣教師になること」を意味しているわけではありません。救われたすべてのクリスチャンの究極の歩みは、どのような職業であろうが、与えられた場所でキリスト者として生きることを意味します。救いの本来の意味である「いのち」と「使命」は、貨幣の表裏のようなものです。救いの確信を持って生きる真のクリスチャンであるならば、当然、与えられた使命の道を歩む弟子としての人生を生きることになるでしょう。
趙 南洙師
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数年前、アメリカ最大の未来戦略研究所であるレンド・コーポレーション (REND Corp.)が、未来の雇用形態を変革させる決定的な要因は、「急速に発展する科学技術」と「単一化されるグローバル世界」という二つの要因であると発表しました。先端科学技術の発展により新しい産業と新しい労働力が生まれる一方で、必要がなくなる労働力も多くなるでしょう。過去100年間で達成された技術は、技術の進歩により20年以内で達成可能となり、更に技術が革新され、14年で達成可能となりました。さらに今となっては7年で達成できています。
予測ができないほど急速に変化する未来に、私たちクリスチャンはどう備え、どう生きるべきなのか悩むかもしれません。その答えはどこで見つけることができるのでしょうか?そのすべての問いに対する答えを聖書の中で見つけるのがクリスチャンです。
聖書は未来を開拓しようとする人々に神を信じなさいと勧めています。神を信じるというのは、天を仰ぐだけでなく、信仰の先駆者たちのように「信仰の創始者であり完成者であるイエスを見上げながら生きる」ということです。イエス様が生きたように、私たちも生きることが正しい信仰です。
また、聖書は未来を開拓する人々に目を覚ましているようにと勧めています。「目を覚ましていなさい」という言葉は「祈りなさい」とも解釈できますが、それと同時に「世界の変化を洞察しなさい」という意味も含まれています。マタイ24章において弟子たちが「主の再臨と世界の終わりに起こるしるし」、すなわち未来について尋ねた時に、主は「目を覚ましていなさい」と言われました。クリスチャンは急速に変化する未来に対して、ただ見守るだけではなく、変化の流れを信仰の目で見通し、洞察して生きるべきです。
その一方で、未来を開拓していく自分がすべきこと(使命)を見つけ、知恵を持って遂行する必要があります。使命とは、神に対する信仰と洞察力の上に建てられた家のようなものです。使命とは、神の喜ばれる御旨を成し遂げるために、神が私たちの心に語られる御心を悟り、それ(使命)を達成することです。ですから予測ができない危機の時代である将来に備えるクリスチャンは、この世とは違うべきなのです。聖書が示す正しい信仰と洞察力、そして自分がなすべきことを見つけ、遂行する使命の人でなければなりません。
趙 南洙師