日本語の週報 ダウンロード↓↓
韓国語の週報 ダウンロード↓↓

去年、我が教会で洗礼を受け、キリスト者となった方は7人です。この中に幼児洗礼者は含まれていません。一人の魂がイエス・キリストを受け入れ、救われて神の子となるために、牧場と主日共同礼拝、そして道コースの学びが重要な役割を果たしています。家の教会では、これらの三つを「三つの軸」と名づけています。未信者の方に信仰が与えられる時だけでなく、信じた後も、イエス様の忠実な弟子として立てられ、信仰が成長していくためには、この三つの軸を中心として信仰生活を誠実にする必要があります。
イエス様を信じると告白したにもかかわらず、なかなか信仰が成長しない方は、この三つの軸の中のいくつかを怠っているはずです。主日共同礼拝には毎週参加しても、道コースを受講せず、牧場の交わりにもあまり参加しないなら霊的に成長できません。また、牧場にはよく参加しても、主日共同礼拝をたびたび休み、道コースもほとんど受講していない方が、信仰成長しているのを見たことがありません。同様に、道コースが開講されるたびに欠かさず学んでも、牧場の交わりにあまり参加せず、主日共同礼拝もよく休むのであれば、やはりイエス様の忠実な弟子として成長することは難しいのです。
なぜ三つの軸のうち一つでも怠ると信仰が成長できないのでしょうか?それは三つの軸が、私たちの信仰のそれぞれ異なる側面をカバーしているからです。信仰が成長するということは、私たちがイエス様の似姿に変えられることなのです。イエス様の似姿に変えられるということは、キリストの人格に似ていくことを意味します。人格とは、魂(soul)であり、魂とはすなわち、「知性・感情・意思」を意味します。つまり、知って(知)、感じて(情)、望む(意)ことが人格なのです。家の教会の三つの軸は、まさにこの三つを満たすのです。牧場で自分の人生を分かち合い、互いに愛し合うことで「感情」の側面が満たされ、道コースの学びを通して「知性」の側面が満たされます。そして主日共同礼拝で、神様から受けた恵みに応え、自らの「意思」で決心、献身を持って進むのです。ですから、信仰が成長すること、つまりイエス様の忠実な弟子として着実に成長することを心から望むのであれば、道コースと牧場と主日共同礼拝にきちんと参加しつつ、バランスをよく保つことが大切です。
ですから、普段から主日共同礼拝と牧場の交わりに真面目に参加し、年に1度には道コースも必ず受講しましょう。それが信仰の成長のためには不可欠なのです。
趙 南洙師
日本語の週報 ダウンロード↓↓
韓国語の週報 ダウンロード↓↓

互いに励まし合い、共に信仰生活を歩む牧場のメンバーの中には、様々な事情から短い間だけお金を借してほしいと頼んでくる人がいるかもしれません。いったん事情を聞いてしまった以上、メンバー同士なので知らないふりをすることは難しいと思います。とはいえ、簡単に貸せるお金があると言うのも難しいこともあり、人にはそれぞれ考慮すべき事情があると思います。断れない時には、次のように決断して貸すといいかもしれません。
第一に、何の条件もなしに貸し出すことです。これは、信仰の家族を愛し、助けたい気持ちがあるからこそ、何の条件もなしにお金を貸し出せる場合です。返さなければならない期間の約束や条件もない貸し出しです。
第二に、返済する条件で貸し出すことです。しかし、この場合は問題が生じる可能性が高いです。お金を借りる人は様々です。どのような状況でも必ず約束を守る人がいれば、巧妙な手口で返さない人も時にはいます。意図的に人をだましてお金を借りた後、姿を消したり、知らん顔をしたりする人もいます。また貸した人が返金するよう催促すると、逆に攻撃してくる場合もあります。このような場合、関係維持のためにお金を貸さない方が有益かもしれません。
一方、お金を借りる人も守るべき倫理があります。それは、何より約束を厳守することです。人間と動物の違いは、言語と文書によって様々な約束ができることです。その約束を守るか守らないかによってその人の人間性が現れます。国際社会においても約束を守らない国の人々は、主に暴力的な独裁集団であるか、倫理性が欠けた開発途上国である場合が多いように思います。
そしてもう一つ、お金を借りる行為が習慣になってはいけないということです。借りることが当たり前になったり、返さないことを正当化したりしてはいけません。いくら事情があるとしても…です。むしろお金を借りることを恐れ、慎重になるべきです。
また、借りるよりむしろ与える人になれるように努力しましょう。「受けるよりも与えるほうが幸いである」という聖書のみことばが実現できるように、日常生活の中で節約する努力をしなければなりません。
牧場でお金のやりとりをすることは、信仰生活の罠になる可能性があります。ですからお金を貸すとしても、返ってこなくてもいいという思いで貸してください。たいていの場合、お金も戻らないし、人間関係も失います。そのような事例が多くありました。お金を貸すことでは、決して人の心を掴むことはできません。そのお金が人間関係を難しくさせ、人を欺くからです。
趙 南洙師