2月22日から、教会歴の四旬節(受難節、Lent)が始まりました。四旬節とは、イースター(今年は4月9日)の前、日曜日を除く40日間、十字架を負う主の苦難と死を黙想しつつ、イースターを待ち望む期間です。クリスチャンたちはこの四旬節を通して、「十字架と復活」に象徴されるキリスト教信仰を内在化し、人生を通して現すために励んできた伝統があると思います。
 ですから四旬節の期間は、十字架のもとで復活の人生を生きるクリスチャンたちにとって、巡礼の道標のようなものと言えます。宝の入った土の器として召されたクリスチャンたちは、苦難の人生の中でも、十字架と復活という逆説的な信仰をもって生きますが、その道しるべとなるのが四旬節なのです。
 使徒パウロの告白にあるように、十字架の苦難を復活という望みをもって生きる神のしもべとしてクリスチャンたちは召されました。四旬節は、キリストの苦難、貧しさ、痛みに、復活の希望と信仰によって忍耐し乗り越えるのです。苦難の中で、清さと知識と忍耐と良心を失うことなく、聖霊の助け、偽りのない愛、真理のみことばと神の力によって、生きる信仰のアイデンティティーを確認する期間なのです。
 我が教会がこの四旬節を福音のリバイバルの期間として、イエス・キリストの十字架の愛と復活の力により、神さまと隣人との関係を回復するために励むことを願います。
 そのために、コロナ禍によって萎縮してしまった交わりが回復するよう具体的に提案いたします。まず一つは、礼拝の場に積極的に出てきましょう。牧場の交わりをはじめとして、信徒との交わりを回復しましょう。礼拝とは神のご臨在を体験し、その神の御名をほめたたえる信仰者の基本であり、祝福の歩みなのです。礼拝する者に神の恵みが豊かに与えられ、主のご臨在を体験するからです。
 もう一つは、必ず救われて神の国へ共に行きたいと願っている隣人を一人、食事するたびに名前をあげて祈ってください。もちろん、我が教会の4月9日のイースターの礼拝に神の導きにより参加できるように祈りましょう。隣人に福音を届け、救われるように助けることこそ、人生最高のプレゼントを渡すことになります。
 我が教会のすべての皆さん、特にイースター礼拝に備えておられる方は、救われる隣人の魂を温かく受け入れる準備をしてくださるように願います。

趙 南洙師



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 私は弟子訓練を基盤とする牧会をしてきました。かつては、1年から2年の訓練カリキュラムを通して、信徒をイエス様の弟子として立てるやり方を実施したこともありました。他の牧会者の方も、信徒をイエス様の弟子として立てる訓練を中心に牧会をされていると思います。
 弟子訓練の方法には二つの教えがあると言えます。一つは、「福音書にあらわされる弟子訓練」です。イエス様を中心として一番近いところにペテロ、ヨハネ、ヤコブがいて、他の九人の弟子たちがいます。そして、伝道旅行へ派遣された七十二人の弟子たち(ルカ10:1)も登場します。この弟子訓練では、誰が誰の弟子であるかがはっきりとわかり、弟子たちの系図も描けます。このような構造は、ほとんどの学生宣教団体で用いられている訓練方法のように思います。
 もう一つは「使徒の働きにあらわされる弟子訓練」です。その中心に教会があり、個人が弟子を立てるのではなく、教会が弟子を立てます。これが初代教会の弟子訓練の方法でした。しかし、福音書と使徒の働きにおいて使われていた弟子という単語はパウロによる手紙では使われていません。それは、イエス様が地上で働いておられる間は福音書にあらわされる弟子訓練の方法が用いられていたからであり、イエス様が復活され、昇天され、御霊様を送って教会が始まってからは、使徒の働きにあらわされる弟子訓練の方法が用いられたからだと思います。
 家の教会では「使徒の働き的弟子訓練の方法」を用いています。例えば、未信者(VIP)たちは、牧場のメンバーによって牧場に招かれます。そして牧場で牧者から仕えられ、教会に対する誤解や不信感がなくなり、信仰生活に興味をもつようになります。その後、牧師が導く「信仰告白の集い」や「いのちの道」という聖書の基礎の学びを通して福音を悟り、主イエスを受け入れます。また、他の教師たちが導く聖書勉強を通して養育されます。このように、ある特定の人の弟子なのではなく、キリストの体である教会の弟子なのです。
 「福音書的弟子訓練の方法」を教会で用いてもある程度の実りはあります。しかし、この方法では少数のエリート信徒に限られ、教会の全信徒を弟子として立てるのは難しいのではないでしょうか。全ての信徒を弟子として立てるためには、「使徒の働き的弟子訓練の方法」を用いるべきだと思います。そのうえで「福音書的弟子訓練」と「使徒の働き的弟子訓練」を理解し、キリストの体である教会を通した弟子訓練が行われなければならないと思います。

趙 南洙師



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