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 信仰によって生きるクリスチャン同士であっても葛藤は生じるため、先月、「葛藤を通して成熟します」というコラムを書きました。今日は、私たちの中に起こるさまざまな葛藤をどのように解決すれば良いかについてお伝えします。
 第一に、葛藤を覚える対象が、信仰の兄弟・姉妹であることを覚える必要があります。ほとんどの葛藤が解消できず、むしろ争いになってしまうのは、信仰の兄弟・姉妹を敵と見なしてしまうからです。敵と見なすと感情的な要素が絡み、「なんだ、やるのか?!」という妙な闘気が出て、憎悪の念まで抱くようになります。しかしこのような心もちでは、葛藤を建設的に対処できると期待するのは非常に困難でしょう。葛藤が生じている相手が、自分とは違う思いと意見を持っていたとしても、私たちは父なる神によって兄弟・姉妹であることを覚えなければなりません。ですから、相手に向けて露骨に敵対したり、非難したりしてはなりません。葛藤があっても、それを露見させ、サタンと世の人の笑い者にならないようにすべきです。
 第二に、相手の視点を理解しようとする努力が必要です。葛藤が解消できず、争いと紛争にまでに拡大するのは、相手の視点を理解しないからです。私たちは、相手の立場をよく理解しようともせず、攻撃することが多いのではないでしょうか。攻撃された相手が理不尽に思い、激しく反発するのはしごく当然なことで、結果的に葛藤が拡大していくのです。葛藤を解消したいなら、相手を理解しようと努め、相手の言葉にも耳を傾けなければなりません。
 第三に、私たちは不完全な解決の中で生きる方法を学ぶべきです。現実で直面する多くの問題はそれほど単純ではありません。多くの問題は複雑に絡み合っています。葛藤が生じる時も、一方は完全に正しく、他方が全て間違っているということはありません。両方に正しい面と誤った面があります。ですから、双方が完璧に満足できる解決策はないと考えた方が良いでしょう。むしろ完璧な解決策を見つけようとすればするほど、葛藤をより深刻化させる結果をもたらします。不完全な解決の中で生きることは、ある意味成熟するという意味でもあります。ある人が成熟について「曖昧な中で生きる能力(the ability to live with ambiguity)」と表現しました。とても素晴らしい定義だと思います。互いのための配慮が感じられます。

趙 南洙師



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 今日のコラムでは、国際家の教会の働きを指導し、適切なガイドラインを示してくださる、チェ・ヨンギ先生の記事を引用し、紹介したいと思います。この牧師を含め、我が教会の全信徒が適用すべき教えではないかと思います。
 「多くの牧師たちは聖書を教える説教に命を懸けています。なぜなら、信徒たちの人生が変えられるのは『ただみことばのみ』と信じているからです。もちろんその通りです。しかし、牧会経験が少しでもある牧会者であるなら、どれほど感動ある説教を語り、聖書の奥義を教えても、ほとんどの信徒がなかなか変わらないという現実を認めざるを得ません。
 信徒の生き方がなかなか変わらないのは、聞いたみことばが足りないからではありません。今日、私たちは情報氾濫の時代に生きています。インターネットにアクセスすれば立派な説教がいくらでも聞けますし、深みのある聖書勉強も十分できます。今日のクリスチャンたちが変わらないのは、学んだみことばを実践できる練習の場がないからです。
 みことばを過剰に教え、伝えることは、信徒たちにとって助けになるというよりも、害になる場合もあります。例え、栄養不足の人にはうなぎのようなスタミナ食が助けになりますが、肥満症の人には逆効果になることもあります。聞いたみことばが実践できる練習の場を設けず、みことばだけを続けて与えることは、肥満症の人にカロリー高い食べ物を続けて食べさせることと同じです。
 家の教会には学んだみことばを実践できる場があります。家で集まる平日の牧場の交わりです。牧場のメンバーたちは、牧場の交わりを通して愛し、仕え合うことを訓練し、また互いにぶつかり合いながら赦し、受け入れ、待ち望むことを学びます。このプロセスを通して私たちは、キリストに似た者へと変えられていきます。
 牧会者たちは、自分の教会の信徒たちにこのような練習の場を設けているかを真剣に考えなければなりません。このような場がなければ、いくら力を尽くしてみことばを備えて教えたとしても、『籠で水を汲むようなもの』だということに気付くべきです。信徒たちの慰めにはなるかもしれませんが、生き方に変化をもたらすことはできません。」
 全き同意する痛烈な教えです。我が教会の全信徒は、家の教会を取り組んでいる理由と目的を明確に理解すべきです。したがって、家で集まる平日の牧場の交わりを通して、全信徒がキリストに似た弟子へと変えられることを願い、お祈りしております。

趙 南洙師