私を含め多くの牧師たちは、17〜18世紀頃、フランスをはじめ、ヨーロッパの多くの国に影響を及ぼした啓蒙思想に多くの影響を受けているように思います。科学技術の急激な発展という時代背景から生まれた啓蒙思想は、社会の悪を批判し、改革を主張する一つの流れを形成しました。啓蒙思想家たちは、人類の限りない進歩のために、理性の力によって前近代的な秩序を打破し、社会を改革しようとしました。つまり、啓蒙思想家たちは、人間が持つ問題の原因を無知と考えていたのです。そのため、教育によって人間の理性と合理性を養育すれば、人間の問題は解決され、理想的な世界に変わると信じていました。
 しかし、教育レベルも高く、多くの哲学者と思想家を輩出していたドイツがナチズムに陥り、多くのユダヤ人を虐殺したことによって、啓蒙思想は崩れはじめたと言えるでしょう。ところが、このような啓蒙思想は今日の牧会者たちに脈々と受け継がれているように思えます。
 多くの牧会者たちもまた、信徒の問題の原因を無知と考えているのです。ですから、聖書を一生懸命教え、説教を通して悟らせることで、信徒の生き方は変えられると信じています。そのため、牧会の大部分を教えること、悟らせることに割いています。
 しかし、今日の信徒の生き方が変わらない理由は、無知のためでも、悟らないためでもありません。実際的で、具体的な生き方を知らないからです。大切なのは、聞いて、教えられたことを実践することであり、問題なのはその実践する場がない現実です。
 生き方の変化は、共に生きる共同体の中で可能となります。性格、品性、職業、育った環境がさまざまな人と関わる中で、葛藤を味わいながら互いを受け入れ、仕え合い、愛し合う努力を通して、変えられていくのです。自分が変えられない限り共に生きることは難しい、と気づかされることにより、少しずつキリストに似た者へと変えられていくのです。
 我が教会の牧場は、互いの葛藤を認め合いながら共にする、という実践的に仕えて生きる信仰生活を求めています。葛藤が生じたから牧場を移るという考え方は、実践的に仕えることを避けたいという、己の欲望を優先することになります。「私は日々死んでいるのです」と告白した使徒パウロが意図したことは、主にあって共にする兄弟・姉妹たちが、誇りを持って互いに仕えることにありました。これこそイエス様が教えてくださった生き方であり、主の弟子たちに与えられた霊性によって、実践してきた自然な生き方なのです。

 趙 南洙師



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 神様は、昼には仕事をし、夜には眠るようにと私たち人を造られました。1日の疲れを解消し、体をリセットし、再び新たな1日を始めるために睡眠を与えてくださいました。休みが必要な時にゆっくりと眠れることは、私たちにとって大きな祝福であり、薬となります。睡眠障害によって眠れない夜を過ごした人ならよくわかるのではないでしょうか。それでソロモンは、「実に主は愛する者に眠りを与えてくださる。(詩篇127:2)」と主を賛美しました。
 寝る時によく眠れることは祝福された睡眠ですが、しかし、寝てはいけない時に居眠りをするのは、危険なことです。例えば、旧約聖書で登場するヨナは、預言者でありながら主のみことばに逆らい、反対方向の船に乗って船底で寝ていました。それで神様は船の方向を変えるために激しい暴風を起こし、船底で寝ていたヨナを起こし、神様が願われている道へと行かざるを得ないようにしました。
 イエス様はゲツセマネにて、一緒に祈るよう弟子たちに、「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。」とおっしゃいました。しかし、弟子たちは眠気に負け、そのまま寝てしまいました。その結果、イエス様が十字架にかかって苦しまれた時、弟子たちはイエス様を否定し、逃げてしまいました。また、使徒の働き20章に「ユテコ」という青年が登場しますが、彼もまた説教の間、窓に腰掛け眠り込んでしまい、三階から落下して死んでしまう事故がありました。ですが、主はパウロを通してユテコを生かしてくださいました。
 神様にささげる礼拝の時間に居眠りをするのはとてもよくない習慣です。礼拝時に居眠りをするのは、まるで、車の運転しながら居眠りをするほど危険な行動なのです。一度居眠り運転を始めると、繰りかえすことになりやすいです。強い眠気に勝てる人はいないのです。
 聖書では、私たちは死ぬと主の御前で眠り、主が再び来られるその日に起こされると記されています。私たちの体も、死から復活された主の栄光のからだのように変えられ、キリストの聖なる新婦となって、主と共に小羊の婚宴に招かれます。それで聖書は「主にあって死ぬ死者は幸いである(黙示録14:13)」と語ります。
 祝福された睡眠があれば、不幸を招く睡眠もあります。目を覚ますことができない深い眠りは人の人生を不幸にします。最近眠りについての悩みはありませんか。神の人、ダビデのように歓喜に満ちて叫んでみましょう。「私のたましいよ目を覚ませ。琴よ竪琴よ目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。(詩篇57:8)」

 趙 南洙師



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