2022年9月に発表された日本の総人口は1億2,471万人ですが、その内67歳以上の人口は3,627万人だそうです。高齢者が占める比率はなんと29.1%です。人口高齢化現象は、出生率低下とともに社会の危機的現象と言われています。しかし私は、むしろ人口高齢化は出生率低下とは違い、むしろ医療と経済の発達によって与えられた天からの恵みを味わう美しい祝福の形だと思っています。
 しかし一般社会だけではなく教会の中であっても、これらの高齢化現象を見る視点は、多くの場合、高齢化社会が招く否定的な問題を提示し、年老いた高齢者は早く過ぎ去るべき世代として見ているように思います。
 様々な調査によると、一般的に考えられる健康寿命は75歳で、期待寿命は85歳だと言われます。ですが、これらの現実が十分認識できておらず、備えられていないまま、なすがまま今の高齢化社会をただ否定的に見ている傾向が強いようです。
 アクティブ・シニア(Active Senior)という言葉があります。引退した後の人生を消極的に過ごしてきた過去の世代とは違って、もっと積極的に社会活動を行いながら、自分のための人生を送ろうとする新たな老人世代を指す言葉です。
 超高齢化社会を生きる今日の教会は、自己開発や余暇活動、または新たな関係作りに積極的に向き合うアクティブ・シニアの方々にさらなる関心を持ち、備えていくべきだと考えています。なぜなら、引退後には休むという過去の生き方から、健康寿命や期待寿命の短ければ20年、長ければ30~40年を生きる十分な人生へと切り替えられたからです。
 その結果、引退した多くの方々は、新たな仕事を見つける第二の人生を求めるようになりました。引退後にも健康が与えられる限り、活動的で創造的な人生を送ることが高齢化時代の魅力となったということです。このような社会的変化の中で作られた新しい造語がアンコールキャリア(Encore Career)です。この言葉は、人生の後半に単純な収入確保としての仕事ではなく、個人の人生の意味ややりがい、そして社会的な影響と価値全てを満たす仕事を意味します。つまりこれは、単純な職業としての仕事の域を超えて、持続可能なボランティア活動や社会的貢献活動、または宗教的活動を含み、今の引退世代はこれらの仕事を求めているのです。
 これからは引退した高齢者に対して、社会的負担を招く世代としてではなく、大切な社会的人的資源として、また新たな機会を作っていく世代として、よく理解すべきだと思います。みなさん、我が教会はどのように理解しているでしょうか。

 趙 南洙師



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 ある方から「救いは神の主権によるみわざだから、神様が送ってくださらない限り、伝道の対象者に会うことはできない。」という話を聞きました。神様は未信者の魂をケアしようとする人に会わせるが、そうでない人には会わせないという意味です。もしこれが本当なら、伝道する対象者に出会えていない人は、未信者と会う備えができていないということになります。その場合、伝道の対象者に出会うために、その魂を神様が安心して預けられる者となるのが優先かもしれません。それから、「未信者に出会わせてください」と祈る必要があるでしょう。
 だとしたら、「伝道の対象者が見つかりません。」という方の意見に同意するのは難しくなります。なぜなら、私たちが出会う8〜9割の人が未信者だからです。伝道の対象者がいないというよりは、自分でも気づかぬうちに高い壁を立て、未信者の方が近寄りにくくしているのではないでしょうか。神様は未信者の方を送りたいと願っているのにもかかわらず、それが障害物になっている可能性があります。
 障害物の中のひとつは、神様が送ってくださった方なのに、自分とは合わないと思うことかもしれません。また別の障害物として、助けが必要な人ではなく、牧場を助けて支えてくれる人だけを求めていることかもしれません。教会のケアが必要な方より、教会の役に立つ人を求めることは正しいとは言えません。
 これより大きな障害物となるのは、伝道の対象者を、自分と似ている人に限定しようとする考え方です。近い年齢、類似した職業、よく似た社会的境遇などを求め、これらの条件の中に合う人だけを見つけようとすることです。
 主が安心して未信者の魂を預けられる者となるために、これらすべての壁を打ち砕かなければなりません。若い人が年輩者に対し、自分の親のように仕えてもよいではありませんか。年輩者が若い人に対して、自分の弟や妹、または子どものように面倒をみてはいけないのでしょうか。サラリーマンが事業家に仕えてもよいではありませんか。逆に事業家がサラリーマンに仕えてもよいではありませんか。このような私たちの心の壁を打ち砕き、神様が送ってくださる方であるなら誰にでも仕えますという覚悟を決める時、神様は安心して救われる魂と出会わせてくださると信じます。

 趙 南洙師



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