毎週、同じ場所で礼拝をささげていても、恵まれる方がいれば、恵まれない方もいます。賛美をささげる時も、ある方は感動しながら歌う一方、ただ映された歌詞を読むように歌って終わってしまう方もいます。
 では、どうすれば礼拝で恵まれることができるのでしょうか。一番簡単な方法は礼拝堂の前の方に座ることです。後ろの方にいると、自分も気づかないうちに礼拝をささげる者ではなく、傍観する人になりがちです。そうすると、礼拝する者ではなく、礼拝を評価する者になってしまいます。誰かが代表祈祷をささげると、「今日の祈りは長過ぎですね。」と言ったり、報告の時には「ただ週報の内容をそのまま読みあげればいいのに、なぜ説明を付け加えるのだろう。」と言います。また聖歌隊の賛美が終わると「今日の賛美は全然ダメだなあ」と言ったり、説教を聞きながらも「私はそうは思わないけど」と言います。そして礼拝が終わって献身する時間に人々が前の席へ進んで出ると、「今日は早く帰れないなあ」と不満を言います。このような落ち着かない心で礼拝をささげると、礼拝を通して恵まれることができないのです。
 前の方に座ると、傍観者の態度から礼拝に参加する態度へと変わります。すべての礼拝の時間を自分のものとして受け入れるようになります。それで、自分も知らないうちに礼拝に夢中になって、集中できるようになります。これは私が長年経験しながら気づいたことです。すべての集会は、前の方に座れば座るほどもっと多くのものが教えられます。その反面、後ろの方では単に見て帰る時が多いのです。
 そのため、私はすべての集会に参加する時、可能な限り前の方に座ることを勧めています。ですから、もし信仰生活を始めた方の中で、単に教会に行き来だけすることだけを願わないのなら、礼拝の時間には必ず前の方に座ることを勧めます。また、時間に間に合うことも大切です。遅く来ると、傍観者になることが多いからです。礼拝の時間に遅く来る誤った習慣があるなら、早く直した方が人生の祝福につながります。特に、献身の時間に献身したいという霊的な感動(心の動き)がある時には必ず前の方に座ることを願います。後ろの席にいて献身したい心が与えられた時に、長い通路を歩いて出てくる勇気を出すのもなかなか簡単ではないからです。しかし、最初から前の方に座っていたならば、神の恵みに答えて決断し、献身するのははるかに簡単です。

趙 南洙師



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 教会に通う方々の中に、趣味生活と信仰生活の違いについて、その差をわからない方が多いように思います。では、自分がきちんと信仰生活をしているか、もしくは、単なる趣味として信仰生活をしているかを見分ける方法は何でしょうか。それは、「神を愛しているからこそ、自分の人生を犠牲にしているかどうか」を見ればすぐわかると思います。趣味生活とは、自分が願い、したいことだけをすることを意味します。しかし、信仰生活とは、自分の願いやしたいと思うことのためではなく、何より主が願われることのためなら、自分の犠牲を特権として考え、喜んで従順し、神体験をするものです。
 正しい信仰生活をする人であるなら、時には主を信じ、従うために払う犠牲を躊躇わず、喜びを持って従います。趣味生活ではなく、信仰生活をしているからです。残念なのは、周りのクリスチャンの中に、趣味のような信仰生活をしていながらも「自分は正しい信仰生活をしている」と勘違いする人がいるということです。
 我が教会がいつも求める姿は、主が夢見ておられる「新約聖書が教える家の教会の姿を回復する」ことです。これは主が再び来られるその日までに続くでしょう。皆さんが所属しておられる牧場が、本当の意味で新約聖書の家の教会の姿を回復するための信仰生活をしているか、もしくはいまだに趣味生活をしているかを見分ける方法は何でしょうか。それは、牧者とそのメンバーたちが「一つの家族となったか、もしくはまだ客なのか。」を見ればわかります。「家族」はどのような苦しみと苦難の中にいても牧場のメンバーが家族として感じられますが、「客」の場合、いかなるおもてなしをしても、心の中で単なる客に過ぎないからです。
 家の教会は今まで客として考えてきた人をキリストの中で家族として受け入れ、互いの必要を満たすために仕え、互いを祝福します。イエス・キリストの血をもって買い取られた神の霊的な家族だからです。そのため1世紀の新約の家の教会では、到底一つの家族にはなれないユダヤ人たちと異邦人たちが、超え難い壁を乗り超えて一つの家族となりました。男尊女卑の文化の中でも、男女がキリストの中で互いを尊敬する兄弟・姉妹となりました。主人と奴隷でさえ、十字架の愛によって霊的な家族になり、互いを兄弟・姉妹として受け入れる神の家族となりました。あなたは家族ですか、それとも客ですか。

趙 南洙師