今日のコラムは、我が教会の全信徒が共に成長できることを望みつつ、私が尊敬する方の文書から引用して書きます。
 クリスチャンであるなら、誰でもキリストの似姿に変えられることを願っているのではないでしょうか。しかし、イエスさまの似姿に変えられた自分の姿が頭に思い浮かばないのなら、それはまるで、的がある場所を知らずに命中させようと弓を射る人のようだと言えるでしょう。
 使徒パウロは、ガラテヤ人への手紙4:19において「あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」と書きました。そして続く5章においては「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。(5:22~23)」と言いました。
 このような実りは、ギリシャ哲学者たちが求めた徳目ではありません。これはイエスさまの品性を表す内容です。そして、キリストの品性が私たちのうちに形造られる時、私たちに現れる品性について使徒パウロは書き連ねているのです。
 キリストの品性は、私たち自身が懸命に聖書を研究したり、または宗教的修養を経たりすれば得られるというものではありません。それは私たちの人生の中で働いてくださる聖霊によって与えられる結果なのです。そのため、この品性を聖霊の実と言うのです。
 聖霊の実がイエスさまの品性を現す描写であるなら、これらの実りは関係の中に結ばれるものだと認識すべきです。例えば、「平安」の場合、人の内側の平安というより、人との関係の中で与えられる平和だと理解するのが正しいでしょう。互いの性格が合わずに共にすることが難しいけれど、互いに愛し合うことが平和です。これは人間の意志の力によってできることではありません。御霊の働きがあるからこそ与えられる平和です。だからこそ聖霊の実なのです。
 「喜び」もまた、内側で味わう喜びの意味も含まれているかもしれませんが、人と共に味わう喜びとして理解するのが正しいでしょう。苦しみの中にいる隣人のために共に苦しむのはある程度可能です。しかし、自分に与えられていない祝福が隣人に与えられた時、心から喜ぶことは難しいのではないでしょうか。それは聖霊の働きによってのみ可能になるのです。だからこそ聖霊の実なのです。
 このような聖霊の実が私たちの人生に与えられた時、私たちはキリストの似姿に変えられたと言います。ですから聖霊の実は、徳目ではなく、私たちの人生の中で働いてくださる聖霊によって与えられる結果なのです。願わくは、皆さんの関係(交わり)の中に、多くの聖霊の実が与えられることを祈ります。

 趙 南洙師



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 我が教会の牧場に初めて参加される方の中には、1週間の感謝を分かち合う姿に疑問に感じる方がいらっしゃるかもしれません。繰り返される日々の生活の中で、特に感謝だと思ったこともないのに、なぜ毎週、感謝を分かち合うように促されるのか、無理矢理ひねり出すように分かち合うことは、果たして良いことなのかと疑問に思うかもしれません。
 もしこのように思っているのなら、「神の恵みによって、私は今の私になりました」(第一コリント15:10)と語る聖書の告白に基づいて、クリスチャンとして生きることをもう一度考え直し、感謝を通して実際に多くの益が与えられ、祝福の人生となることを願います。
 私たちは、腹を立てて不満を言うことやたいして重要ではないことのためには時間を使う反面、神に感謝するためにほんの数秒も時間を使っていないような気がします。
 脳を研究する学者たちによると、人が怒る時には脳内に怒りの根のようなものができて、さらに怒りやすくなり、激怒の脳内回路ができるそうです。そして、それがその人の品性となり、しまいには怒りっぽい人となるのだそうです。その反対も然りです。小さなことであっても感謝する時には、脳内に感謝の根のようなものができて、さらに感謝しやすくなり、感謝の脳内回路ができるようになります。そうなると、感謝する品性を持つ人となるそうです。
 毎週牧場へ行くたびに、「今日は何の感謝を分かち合おうか」と考えつつ、1週間に与えられた感謝を見つけ、また他の兄弟・姉妹の分かち合う感謝を聞いていたら、いつの間にか以前は感謝だと思ったこともない小さなことにも感謝できるようになり、いつも感謝する人に変えられたという話を聞いたことがあります。小さなことでも感謝を見つけ、それを告白しながら日々を送っていたら、生活(言葉と行動)から不平不満がなくなり、状況がどうであれ、心の奥底から満足できる生き方に変わったとのことでした。
 ですから、牧場の交わりは「出来事や情報」だけを単純に分かち合うのではなく、そのことを通して与えられた「感謝なこと」を必ず一つ以上分かち合ってください。感謝は状況に対する反応ではなく、自分で考え、選びとる意志の領域なのです。感謝を続けて訓練する時、私たちの人生は変えられ、幸福となるからです。

 趙 南洙師



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