旧約聖書は、神に選ばれたアブラハムの子孫たち、すなわち信仰共同体としてのイスラエルの民の姿を現す教会の影だとしたら、新約聖書は、イエス・キリストにより救われた神の民が、世界の果てまで拡大していく姿、つまり実際的な教会の姿を現していると言えるでしょう。ですが、新約聖書で記されている教会は、組織として順風満帆なものではありませんでした。
 新約聖書に描かれている教会は、主イエスの弟子だったペテロのように「あなたは生ける神の子キリストです(マタイ16;16)。」と告白する人々の集まりでした。彼らは食卓を共にし、使徒の教えを受け、祈り、人生を分かち合い、再び来られると約束した主のみことばを信じて待つことを生きる喜びとしていました。
 とはいえ、彼らに「教会はこのような組織であり、このように運営していくべきです。」といった具体的なマニュアルが与えられていたわけではありません。ただ信じる者たちが家で集まり、そこに共におられる神の霊(聖霊)の導きとみことばに従って生きた時、新約教会の姿が完成したのです。
 私たちが「家の教会」を形成する理由は、新約聖書で教会の始まりの姿が「家の教会」だと教えているからです。有名なジョン・ストット(John Stott) 牧師が書いた「ローマ書講解」の序文を見ますと、ローマ書は使徒パウロが「ローマにある家の教会 (House church)へ書いた手紙」だったと説明しています。私たちは毎週、礼拝堂で共に礼拝をささげていますが、これは「家の教会」が連合した共同礼拝であり、家で集まる「家の教会」が基本なのです。
 なぜなら、「教会を建てます」と宣言された主イエスの望まれる教会は、家族共同体だからです(マタイ12:49-50) 。家族共同体となるために、信じる人々が家で集まるのは当然でした。そして神の霊(聖霊)が家族共同体の中に激しく下り、ノンクリスチャンも彼らの愛によって心が動き、教会はますます拡大していったのです。4世紀、ローマのコンスタンティヌス大帝がキリスト教を国教とした時、当時ローマ市民権を持った人の半数がクリスチャンだったという驚きの歴史の記録があります (The Rise of Christianity)。
 新約教会がローマ帝国を変えたのは、武力による力ではなく、愛と喜びによる犠牲の力でした。今日を生きる私たちが、このような新約教会の姿を回復することができるなら、愛と喜びによる犠牲の力によって世を変え、神の国が拡大していくと確信しています。これこそ私たちの教会が「家の教会」を形成し続ける理由です。

 趙 南洙師



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 もう一度、申します。私たちの教会が主イエスの手本に従って仕える人生を実践し、信仰の共同体である家の教会を志向する理由はつぎのように説明できます。
 1.聖書が家の教会を教えていますし、家の教会は、新約教会の回復を追求するからです。これは組織、活動(使徒2:42)、奉仕の方法(使徒2:46-47)、リーダーシップのスタイル(マタイ20:26-27)を可能な限り、新約聖書に合わせようと努力する教会の姿です。
 2.家の教会は、教会成長より魂の救いに優先順位を置きます。すべての人が救われるのが神の願いであると信じるからです(Ⅰテモテ2:4)。また未信者を伝道して弟子化することこそ主が教会を建てられた目的であると信じるからです(マタイ28:19-20)。
 3.家の教会は、礼拝儀式中心の受け身的な信仰生活と、教えることで弟子になると思われる弟子訓練を脱皮して、未信者を伝道して主イエスを受け入れさせ、仕える生き方を見せることによって弟子化する、つまり「魂を救い出して弟子化する教会」本来の目的に忠実することができるからです。
 4.家の教会は、牧師のように牧会する信徒牧者をたてて、6-12人が毎週、信徒の家に集まり、礼拝、教育、交わり、伝道、宣教などの地域教会としての奉仕を実践する共同体であるからです。
 5.家の教会は、聖書的に教会奉仕を分担して(エペソ4:11-12)、牧師は共同教会全体を導くリーダーシップに仕え、みことばと祈りに専念し、信徒を訓練して、彼らを通して伝道、訪問、カウンセリングなどの教会奉仕を担わせ、主の教会を形成するからです。
 6.家の教会は、実生活の分かち合いを通して、具体的な祈りの答え、神体験による生き方の変わり、また学んできたみことばを実習できる現場を提供することで、信仰告白にふさわしい弟子を作り出すことができるからです。

 趙 南洙師



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