人は誰でも自分の話をよく聞いてもらいたいと思うものです。学校で講義をする教師も、学生が自分の話に興味を示さないと心細く不安になります。しかし、一人や二人でも自分の講義に集中し、興味を示す学生がいれば、やりがいを感じ達成感を得られます。それは小さい子どもでも同じでしょう。特に子どもたちは、親に自分の話を聞いてほしいと望みますが、子どもの話をよく聞いてあげる親はあまり多くありません。その欲求が満たされないままの状態が続くと、それが子どもの劣等感の原因となることがあります。心理学者によると、エリートで仕事でも成功している人でも、自己肯定感が低く、社会から認められていないという不安があり相談に訪れるケースがあるとのことです。彼らの劣等感のほとんどは、成長期に親が自分の話すことをよく聞いてくれなかったことに起因していました。
 人の話を聞く時には、その人に関心を持って聞くことが大切です。その人の存在に関心を持ち、思いを共にする時、その人を愛する一歩となります。そして自分の心の内を打ち明けることは、相手に自分を知ってもらうための一歩となります。誰かに心の内を打ち明けることは、とても勇気が必要です。そのように勇気を出して打ち明けてくれた人の話をよく聞くことは、その人に対して愛をもって接することであり、相手の自尊心を高めることにつながります。
 しかし、人の話をよく聞くということは簡単なことではありません。私たちが人の話を軽く受けとめる時、単なる愚痴として聞き流してしまうことがあります。人の話を理解するためには、よく耳を傾け、集中して聞かなければなりませんが、それにはとても忍耐と努力が必要です。傾聴することは犠牲を伴うといってもよいでしょう。ですから、よく語る訓練だけではなく、よく聞く訓練の方がもっと重要だと思います。
 実際に我が教会では牧場で聞く訓練をすることがあります。大切なことは、人の話を聞くときに聞いているふりをするのではなく、実際によく聞き、受けとめる訓練をしなければなりません。例えば、分かち合っている人を見つめながら、心の内では自分の順番が来たらどんな話をしようかと別のことを考えたり、その人の話を自分の思い込みで決めつけたり、またはその人の話をさわりだけ聞いて話が終わったら助言をしてあげようなどと考えないことです。ただその人の思いに集中し、理解しようと努め、その人の心に寄り添う時、私たちは癒しを体験し、愛することができるようになるのだと思います。

 趙 南洙師

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 キリストを信じていない人が教会に対して、期待や関心を持たないことは普通だと思います。しかし、イエス・キリストを信じる人には、教会に対する期待があります。それは、「このような教会であってほしい」という期待です。なぜなら、主イエスを信じる人の人生の中で、教会が占める割合は信じていない人よりも大きく、重要だからです。
 問題は、今日の教会がこのような人々の期待に応えていないことです。期待に応えるどころか、むしろガッカリさせることもあるのではないでしょうか。主イエスを信じる人だから、何か違うのかと思いきや、その生き方が変わらず同じだったり、むしろもっとひどかったりする場合もあります。教会では互いに愛し合い、支え合わなければならないのに、それどころか逆に互いをねたみ、無視する場合さえあります。多くの人々がこのような教会の姿に失望し、本来あるべき姿の教会を探し求めますが、なかなか見つけることができません。なぜなら、そのような教会はほぼ存在しないからです。結局、教会で礼拝することをあきらめる人は少なくありません。本当に残念な現実です。
 ですから、私は最近このような祈りを献げています。「神様、我が教会に、神の御前に正しくない者が来て、正しい者へと変えられる教会となりますように。我が教会に、心が傷ついた人が来て、慰められ、癒される教会となりますように。」
 一言で言うならば、我が教会を訪れる人の期待に応えられる教会となることを願っています。そのために私たちが覚えておくべきことがあります。一つ目は、相手を尊重することです。相手がどのような人であれ、人格を否定するような言葉や態度をとらないように注意すべきです。相手のためだと言いながら、人の弱さを指摘し、軽々しく口にすることは、その人を尊重する態度ではありません。二つ目は、人を愛することです。この世に愛を必要としない人は一人もいません。ですから、私たちは続けて愛を分かち合う努力をするべきです。相手のためにあたたかい言葉をかけ、笑顔で接することは大切なことです。三つ目は、相手の観点から考えることです。そうすれば、相手の多くのことを理解することができ、許す心が与えられるからです。自分の思い込みで人を判断することほど危険なことはありません。いつも相手の立場から考えることが大切です。その時、私たちの言葉と行動は、自分のためではなく、相手のためのものとなります。
 人との距離を置くことを求められるコロナ禍だからこそ、魂の救いの方舟(はこぶね)として、人々の期待に応えていく教会となることが大切だと思います。

 趙 南洙師

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