私たちの周りにはクリスチャンでもお酒をよく飲み、楽しむ方がいらっしゃいます。私は決してお酒を飲む方をさばいたりはしません。お酒を楽しむ方からは「聖書には『酔ってはいけません』と書かれていて、飲んではいけないとは書かれていません。」とよく言われますが、これは聖書の知識が足りないからだと思います。イスラエルは石灰質な地域で水の質が良くないため、食事をする時、水の代わりにぶどう酒を飲みました。そのため、お酒を飲んではいけないとは書かれていないのです。しかし、習慣的に飲むお酒は強く禁じられています。それだけでなく、箴言23:31ではぶどう酒に酔う人に向かって「それ(ぶどう酒)を見てはならない。」と命じています。なぜならお酒というのは、酔うと自制することが難しく、あらゆる過ちと罪を犯す原因となるからです。ですから、イエス様を信じ従うなら、自制してとことんお酒をやめるのが良いです。
 統計によれば、日本人口の約33%が実質的なアルコール依存症だと言われています。特に、男性は50~60代に、女性は40~50代に依存症の人が集中しているそうです。お酒による放蕩、物質的な被害、健康を損ねるなど、状況は深刻です。かつて我が教会にもアルコール依存症の人がいました。その兄弟は、結局お酒によって堅い信仰に立つことができず、大切ないのちを失いました。酒を断ち、信仰によって交わることができる場所は教会しかないと思います。ですが、良い信仰者と言われている方がお酒を飲んでいると、残念ながら新たに信仰を持ち始めた人はお酒をやめたいという気持ちにはならないでしょう。
 ある方は、お酒が好きなVIPに伝道するなら一緒にお酒を飲んでも良いと思うようですが、そのような行動は役に立たないと思います。私は酒を共に飲みながら、VIPをキリストに導いたという実例を一度も聞いたことがありません。もし、そのような方法で教会に導いたとしても、まことのクリスチャンになるのは難しいと思います。
 信仰のない人はむしろ、普段お酒とタバコを一緒にしていた人が徹底してやめる姿に感動を受けて、教会とイエス様に興味を持つようになり、そして自分も信じたいという心が生まれると思います。なぜなら、酒とタバコをやめるのは大変難しいことであることを良く知っているからです。やめる姿を見て「教会は何かが違う」「イエス様は本当に強いお方だ」と思わされ、イエス様に対する興味が生まれるからです。ものを食べたり、食べなかったりすることを決める一番大切なポイントは、「魂の救いと弟子作り」です。そのため成熟したクリスチャンであるなら、魂を救う働きに邪魔になることは何があってもしないようにしましょう。成熟したクリスチャンであるなら、人を立てあげる働きに邪魔になることは絶対してはいけないと思います。

 趙 南洙師

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 新約聖書が示しているすべての教会の姿は家の教会です。そのため我が教会では、聖書通りの教会を建てようと、家で集まる牧場のある教会として歩み、今年18年目を迎えました。今まで私たちがいただいた主の恵みを覚えると、すべてのことに感謝しかありません。何よりも、黙々と家の教会に仕え、信徒リーダーとして忠実に歩んで来られたすべての牧者ご夫妻こそ、我が教会の貴重な宝であり、誇りです。
 ですが少し残念なのは、時間が経つと共に牧場の雰囲気はマンネリ化し、魂の救いと弟子作りという家の教会の目的が意識されなくなっているような気がします。もちろん、コロナ禍の影響もあるでしょう。ですが、互いに仕える喜びをもって、牧場のメンバーが平安に過ごすことを自分の喜びとして考える、魂が生き生きとした真の牧場の姿が回復することを願います。
 しかし、真のいのちを追求する牧場には、いつもそれを妨げる働きが起こり得ます。例えば、いつも交わりの時間に遅刻する人や、すべてのことを知っているような姿勢で学ぼうとしない人、また、裏で人の批判だけが多く、仕えようとしない人がいます。何よりもVIPが来ると面倒だと思い、嫌がる人もいます。祈りの課題はないと分かち合いを断る人もいれば、分かち合うと傷つく言葉を言われたと、雰囲気を悪くする人もいます。牧場の喜びは感謝の分かち合いですが、すべてのことを否定的に考え、感謝の気持ちを表現しない人もいます。そうしながら自分は神様だけと話す、と自分の孤独さを強調する高慢な人もいます。そのような人は、時間が経っても成長する姿が見られず、結局はしばらく牧場を休むと言ったり、教会を離れますと言ったりします。
 このような言葉や態度は、その人の本来の姿ではありません。複雑に絡みあう暗闇の影響のゆえだと思います。そのため聖書は、私たちの格闘は血肉に対するものではなく、この暗闇の世界の支配者たち、悪霊に対するものです(エペソ6:12)と教えます。 知恵のある牧者なら、牧場を苦しませる人がいる時、本来の姿を失ってしまった人と戦うより、むしろ共に祈る霊的同志を求め、彼らと共に膝を突き合わせ、神にのみ叫び求め祈るでしょう。なぜなら、「父がわたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせる」とおっしゃる復活のイエス様を信じるゆえに、私たちもイエスの名によって牧場を苦しませる人を生かすことができると信じるからです。生かす力はイエスの霊である御霊の働きです。御霊によって祈りましょう。

 趙 南洙師

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