韓国の家の教会の指導者にホン・インギュ教授(ベッソク大学・神学部)という人がいます。私の昔からの同僚であり、なかなか会うことができなかったのですが、家の教会の働きを通して再び会うことができ、感謝をしています。私がこの方を通して教えられたのは、新約時代の教会は事前に確立された理論に基づいて建てられたのではなく、建てられた後、教会を経験した人により教会論が確立されたということです。使徒パウロもまた、教会論に基づいて教会を建てたのではなく、教会を体験し、そこからまとめられた教会論を発展させました。つまり、「体験の後、理論は確立された」ということです。
 私たちがよく知っている通り、マルコの屋上の部屋に120名が集まって祈っていた五旬節の時、聖霊の満たしにより教会は誕生しました。使徒ペテロは、男女問わず聖霊に満たされる姿を見て、ヨエルの預言の通り男女の区別なく聖霊が注がれることの意味を理解します。つまり、「体験の後、理論は確立された」のです。「教会は家族の共同体であり、キリストのからだである。」という教会観もまた、事前にあった理論に基づいて聖霊により体験したのではなく、まず聖霊によって体験し、教会観(理論)が確立されたのです。
 マタイの福音書で主は、「だれでも天におられるわたしの父のみこころを行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」(マタイ12:50)とおっしゃいました。このみことばは、血肉の母と兄弟を否定したのではなく、これから建てられる教会、つまり新約の家の共同体を預言したみことばなのです。では、主が望んでおられる教会の共同体が家族の共同体であるなら、どこで集まるべきでしょうか。それは、家です。これらのことから、新約の教会は家の教会だということがわかります。
 というわけでホン教授は、新約の教会が家の教会であったということを理解できない限り、使徒パウロの神学も、聖書的教会観も理解できないと強調します。私は、主イエスを自分のいのちの主として受け入れたのであれば、主こそが教会のかしらとなる健康な教会を建てたいと願い、「家の教会」を始めるべきだという彼の主張に完全に同意しています。
 それにも関わらず、他の牧師や教会が新約の「家の教会」を受け入れない理由はなぜでしょうか。それはおそらく、聖書に基づいて考えず、既存の伝統の価値観に基づいて聖書を読んでいるからではないでしょうか。神のみことばである聖書より、16世紀の宗教改革時代に形成された「改革主義教会観」に基づいて家の教会を見ているため、新約の家の教会が理解できないのではないかと思います。また、家の教会を始めたいと思っても家の教会へ転向し、定着させることに大きな負担を感じるため、躊躇しているのではないかと思います。
 我が招待キリスト教会の皆さんは、本当に豊かに恵まれた信徒だと思います。なぜなら主が望んで おられる、「新約の家の教会」を実践しているからです。

 趙 南洙師

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 信徒の皆様、コロナ禍が続いた2021年でしたが、主の恵みの中で平安にお過ごしでしたか。一日でも早くコロナ感染の緊張から逃れたい気持ちではありますが、一部専門家の見解のように当分はこのような状況が続くのであれば、どのような態度で人生に向き合うべきのか、深く考えさせられます。
 あくまで暫定的にこの職務を引き受けましたが、今年4月から主任牧師とグローバルクリスチャンアカデミの校長を兼任する私の日常は、御殿場と川崎の間を毎週、移動すれば済むという単純な話ではありませんでした。学校の校長とはいえ、平日には教職員と学生らの霊性を指導し、事務仕事や学校の掃除、また運転と建物を管理する仕事が任されていました。
 週末には川崎に来て教会を牧会しなければなりませんが、教会の仕事の準備は平日に行うしかありませんでした。たくさんの時間を費やす説教準備、相談、聖書学びの導き、様々なビデオ会議を通して最終決定をしなければならない責任など、これらの忙しさは、私の今までの人生の中で一番忙しい一年だったと言えます。
 コロナ禍でも私たちの義務である礼拝の貴重性を認識し、社会的距離を保ちながら、過ぎた4月から3部制の主日礼拝を実施しました。感染防止を意識するあまり弱まっていた礼拝共同体としての教会の姿が、3部体制での対面礼拝の実施を通して再び強化できたことが何より感謝でした。
 牧師館に住む教職者の不在により早天礼拝を導くことはできませんでしたが、それでも祈りの場を守ってくださる信徒自らの献身により、この過ぎた一年間もとりなしの祈りの働きと共に、「祈る教会」としての姿が維持されたことも感謝でした。
 一言で言いますと、「全てが神の恵み」と言えますが、何より賞賛すべきで感謝なことは、自ら任された責任を忠実に実行してきた素晴らしい役員と草原守り、また牧者の皆さんです。皆さんの務めによってこの全てが可能だったと信じ、頭を下げて感謝を表します。
 そこで、私は続けてコロナ禍であっても今年をよく締めくくり、新しい年を祝福のうちに始めるため、皆さんと共に、歴史(時間)の主である神様の前で、「牧場ごとの祝福祈祷」と合わせて「新年礼拝(年越し礼拝)」を12月31日夜11時にささげながら新年を迎えたいと思っております。個人的には12月最後の1週間を特別祈りの期間と定め、新しく就任した役員と牧者の家庭を通して主の導きの恵みを求めながら、新年礼拝を準備しています。過ぎた一年を感謝し振り返りつつ、新しい恵みを信仰と決断によっていただき、新年を迎えたいと思います。どうぞ皆さま、続けて共に働いてくださるようによろしくお願いいたします。

 趙 南洙師

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