人との付き合いが良好で、良い関係性をもつ人がいれば、反対に人間関係が難しい人もいます。人間関係が難しい人の1つ目の特徴は、プライドが高いことです。プライドの高さは自分が優れていると考えることから生まれる特徴ですが、これはむしろ自尊心の低い人に現れる傾向があります。自らのことを低く評価するゆえに、逆に自分は優位に立っていると見せようとするのがプライドなのです。このようなプライドの高い人は、人と比べて、自分がもっと優れていると主張します。また、人にゆずることは負けることだと考えるため、ゆずることもできず、自分の立場を最優先します。そして、この考え方があるので周りの人との関係はうまくいきません。
 人間関係が難しい人の2つ目の特徴は、自尊心が低いことです。この特徴は、プライドが高い人の場合と似ていますが、特に全ての出来事において、人が自分を軽視していると考える傾向があります。自分が行った良い行動に対して返礼がない場合、自分を無視していると思って怒り、ささいな批判の声にも自分を非難していると考えて怒ります。そして自分を守ろうとします。また、ちょっとしたことを聞くだけで拗ねるため、相手を疲れさせます。現代社会で、人々の自尊心が低くなっている理由は、出身学校や仕事の種類、または経済力が判断基準となっているからです。しかし、私たちはそれらの基準によって判断されることがない存在です。神様は私たち人間を愛され、私たちのためにいのちまでお与えになったお方です。自分の真の価値に気付くとき、自尊心は高くなります。
 人間関係が難しい人の3つ目の特徴は、自分の得意分野で成功した経験がある人です。成功経験のある人は高慢になりがちで、全てのことを自分が経験した成功の基準に合わせて判断し、評価しようとします。つまり、自分の世界に陶酔しているのです。「一冊の本だけを読んだ人が一番危険だ」とよく言われます。なぜなら、一冊の本を読んでそれが全てであるように考え、まるでそれが真理であるかのように受け入れてしまうからです。自分の世界に陶酔し、他者の意見を受け入れられず、自分の主張が正しいと意地を張る人は、他の人との関係が難しくなります。
 最後に、人間関係が難しい人は自分の義が強い人だそうです。このような人は義に対する自己基準が強すぎて、全てのことを白黒で判断してしまいます。自分がもっている弱さには気付くことができず、自らの義の基準を絶対化し、その基準に達しない人は許せないのです。
 以上の四つの部類の人は、私たちが牧場の中でもよく向き合わないといけない人かもしれません。そして自分はこのような弱さをもっていないか、よく吟味し、もし自分にその傾向があるならば直していかなければなりません。

 趙 南洙師

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 家の教会の価値の核心は、「聖書通り」です。「聖書が是というなら是、非というなら非、聖書にしなさいと書かれているならば行い、するなと書かれているならやめる。」というように、聖書を純粋に理解して従う時、私たちは神様のみわざを体験し、神様の知恵と力によって生きることができます。そして、世の価値観と偽りの真理があふれる今の混沌とした時代の中であっても、「教会として健全に、幸せな信仰生活」を送ることができるのです。
 では、「聖書を読む目」が開かれるためにはどうすれば良いでしょう。例えば、学生たちがある本を読んで討論をしたり、レポートを書いたりする時、読んだ本を批判する以前にまず、本を書いた「著者の意図」を適切に把握し、理解することが一番の基本となります。聖書を読む際もこれと同様にまずは、「著者の意図」を把握し、理解するべきです。
 第一に、「著者の意図」が理解できた時、聖書を読む目が開き始めます。
聖書箇所を黙想したり、勉強する時に気をつけなければならないことがあります。それは、むやみに恵みと感動を求めず、まず「著者の意図」を把握できるように祈ることです。詩篇の著者はみことばと向き合うときにはまず、「私の目を開いてください。私が目を留めるようにしてください。あなたのみおしえのうちにある奇しいことに。」(詩119:18)と告白しています。主が閉ざされた目を開けてくださらない限り、私の目が開かれることはなく、主の真理を知ることができないからです。「著者の意図」を知らずに聖書を読んでいると、みことばを読む喜びがなくなり、毎日黙想することができなくなります。聖書の著者の意図を知るためには、いつも「神様は当時、最初に読む読者に何を教えようと聖書の著者に記録させたのか」という問いかけを持ちながら読むことが大切です。
 第二に、「著者の意図」を知る方法は、次の3つです。
①聖書箇所を「前後の文脈」から読み解くのです。なぜなら聖書には本来、章と節の区別がありませんでした。章と節が加えられたのは、AD16世紀頃です。本来の聖書は章と節が書かれていないため、「著者の意図」を知るためには、必ず前後の文脈に合わせて読まなければなりません。
②繰り返されている言葉に注目します。神様も人も、どうしても伝えたいと思う大切なことは必ず繰り返して語るからです。
③当時、最初に読む読者が誰であり、また彼らが置かれていた状況を把握しながら読むことです。聖書はいきなり空から落ちて来たり、地の中から湧き出した本ではありません。神様がさまざまな著者に神の霊感を与え、当時、最初に読む読者に向けて語られた本であり、真理なるみことばなのです。
 日々の中でみことばを黙想する我が教会の全信徒が、神様によって「聖書を読む目」が開かれて、神様からの恵みをたくさんのいただけるようお祈りします。

 趙 南洙師

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