雰囲気が楽しく、良い交わりができる牧場は、次の二つの原則をよく守っている牧場だと思います。以下の二つのことは、よく知っていても忘れがちなことですので、良いヒントをお伝えします。
 1. 何があっても、牧場の交わりは「毎週決められた時間」に集まりましょう。
 牧場の交わりは新約聖書の教え通り、家で集まる「小さな教会」です。招待キリスト教会の32個の牧場は、何があったとしても、毎週決められた時間に礼拝堂に集まり、家の教会共同礼拝を献げています。同様に、全ての牧場は何があったとしても集う人数は関係なく、必ず「毎週決められた時間」に牧場の交わりを持ちましょう。毎週の共同礼拝の時間を勝手に変えたり、休んだりしないことと同様に、牧場も同じ精神と態度を持って、毎週決められた時間に対面やZoomを用いて集まります。なぜなら、牧場は「小さな教会」だからです。
 特に気をつけるべきことは、牧場の曜日と時間を都合に合わせて変えないようにしましょう。このようにして家の教会(牧場)がしっかりと建てられたことは今までありません。もし、都合に合わせて集う時間を変えるのなら、変えたその時は楽かもしれませんが、牧場の定着は難しくなります。そのため、牧場メンバーたちと話して決めた交わりの曜日と時間は都合に合わせて勝手に変えたりせず、決めた原則に従って励まし合いましょう。そのように集う時、その牧場は堅く建てられるようになります。
 2.牧場の「交わりの原則」を全て守り、心と生活の話を分かち合いましょう。
 これから1ヶ月の間、交わりを導く全ての牧者は、まず次の「四つの交わりの原則」を牧場メンバー全員と一緒に覚えて、分かち合いをはじめてください。これらの原則を忘れた方や、まだわからない新来者の方もいらっしゃるからです。
 ①出来事より、出来事に対する感情と気持ちを分かち合いましょう。②答えを出したり、アドバイスをしようとせず、質問、または自分のことを分かち合いましょう。③参加していない人の話、またはネガティヴな話は避けましょう。④牧場で分かち合った内容を牧場の外では絶対話さないようにしましょう。
 以上の「二つのヒント」を共に守る時、牧場の交わりは根強く定着します。また、分かち合いが楽しく、豊かになって、ストレスを発散することができ、喜びも生まれるでしょう。そして、個々の祈りの課題を分かち合って祈り、1週間の中でメンバーたちのために、続けて毎日とりなしの祈りを献げる時、皆の祈りは答えられ、神様を体験するようになります。それだけではなく、牧場の交わりを通して、証しが豊かに与えられ、恵みがあふれるようになります。その時、御霊の導きによって、次の牧場の交わりが楽しみになる心が与えられるでしょう。

 趙 南洙師

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 「キリスト教の精神に基づく育成が我が学校の理念です。献身と犠牲の価値が理解できない学生は、いかなる優秀な成績であったとしても、我が学校には合わないと判断し、新入生として受け入れません。」ゴチャン高等学校のパク・チヨン先生(教務部長)の言葉です。
 韓国の慶尚南道・居昌邑(キョンサンナムド・ゴチャンウプ)という田舎にある全寮制のミッションスクール「ゴチャン高等学校」は、昔から多くの人々が関心を持っている有名な学校です。280名程の学生が通う田舎の学校でありながら、ソウル大学をはじめ、有名大学の進学率がとても高い学校です。しかし、学校の周囲には塾など他に学びの施設があるわけではなく、また寮生活をしながら特別な訓練を受けているわけでもありません。ただ、学生の質問に答えてくれる先生がいつもそばにいること、また勉強や生活に関して相談にのってくれる先輩たちとの絆が強いという特徴がこの学校の強さであるそうです。
 68年という、それほど長くはない歴史を持つゴチャン高等学校の標語は「世の光と地の塩」、教訓は「職場選択の十戒」とのことです。「第一、給料が少ないところを選びなさい。第二、自分が行きたいところではなく、自分を必要としているところを選びなさい。第三、昇進の機会がないところを選びなさい。第四、全ての条件が揃っているところを避けて、一から始めないといけない荒れ地を選びなさい。第五、競争して集まってくるところへは絶対に行かず、誰も行かないところへ行きなさい。第六、将来性のないと思われるところに行きなさい。第七、社会的に尊敬される期待のないところに行きなさい。第八、真ん中ではなく、端っこに行きなさい。第九、親と妻、婚約者が断固反対するところであるなら間違いない。疑わずに行きなさい。第十、冠ではなく断頭台が待っているところへ行きなさい。」
 昔、私がこの教訓を初めて読んだ時は、心が高揚し、力を育むのは品性(人格)であることを再確認しました。そして、私の子どもたちをこのような学校に進学させられなかったことをとても残念に思いました。
 決して、強制された犠牲ではなく、人の成功と幸福のために、自ら犠牲し仕えるキリスト者を立てあげる時、この世は近い将来、主が望んでおられる世界へと変えられていくと期待がもてます。
 仕えられるためではなく、仕えるために来られたイエス様に従う弟子として生きることを決心した私たちが、強制ではなく自ら人を立てあげること(犠牲)に喜びを持って仕える時、この世は変えられると信じます。

 趙 南洙師

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