聖書は、コリント教会が成熟していない理由を「ねたみと争い」だと語ります。彼らに信仰の熱心はあったものの、教会の中では互いに傷つけ訴え合う出来事があり、分派が生じたのです。私は「我が教会はどのようにすればこれらのことから自由になり、健康な教会になれるのか?」と、牧会者として問い続けてきました。もし教会の中に差別が生まれた時には、知恵をもって解決し、回復することも重要でしょう。ですが、差別が生まれないために、前もって予防することが最も大切であることに気づき、そのため私は、我が教会に仕え導く時、「公正と一致」が崩れないように常に気をつけてきました。今日まで続けて守ろうとしてきたことは以下の二つです。
 第一は、本質を追求する「原則」に基づいてことを決めるということです。
 本質を追求する「原則」がなければ、各自が皆、自己中心的に考え、判断するようになります。そのため、教会の共同体は混乱と無秩序、不要な衝突が起こりやすくなります。特に、決定の過程で公正が崩れると、その混乱と苦痛はなおさら大きくなるでしょう。ですから、今のような時期であるほど、教会の本質を追求しつつ、規則、役員会、教会総会など、全てのことにおいて「手順と決定過程を原則通り」に行うことができるように、祈りをもって神の御心に従うことを願っています。一度決められたことは、どのような困難が生じたとしても原則に基づくように努力します。時には、「趙牧師は気難しい人だ」という話も聞きます。その通りです。ですが、原則は守りつつ、流動性と多様性、そして、しなやかさはいつも念頭において本質を追求しようと努力しています。
 第二に、差別や特別扱いはしません。
 教会の中で分派が生まれないようにするために、誰であったとしても差別や特別扱いをしません。万が一、私も知らないうちにある方を差別することや、特別扱いをすることがあるなら、個人的に声をかけてくださると幸いです。差別や特別扱いをしないように常に努力していますが、時には公正であることを失念することや、私としては公正であるとしても、そう思わない方がいらっしゃることがあります。我が教会は、新約聖書の教え通りに家の教会として教会を形成し、イエス様の似姿に変えられていく「仕える実践」を行っています。そのため、差別されることがあってはならないのと同時に、特別扱いをされたい気持ちもあってはいけません。ただ、互いに異なった、神からいただいた賜物と奉仕の役割を認め、互いを尊重する教会になることを願います。我が教会の中で差別は行われず、「一人でも多くの魂を救い、弟子作る」という、聖書的教会の存在目的と本質を求めるために、皆が一つとなって、健康で幸せな信仰生活を送ることを祈ります。

 趙 南洙師

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 家の教会を建てあげていく三つの軸は牧場の交わり、道コースの学び、そして主日共同礼拝です。この三つの軸を活性化する力は、仕えるリーダーシップにあると言えます。10月31日の2部礼拝後に行われる教会総会にて5人の役員(リーダー)を改選する予定です。私たちが選ぶべき教会の役員について、いくつかの助言を申し上げますので、ご参考ください。
 1.他人を成功に導いた経験のある人です。
 こういう人は、自分のことだけを考えるのではなく、一緒に働く人々を尊重し、成功させた経験のある人です。例えば、企業の社長であれば、事業の成功のために自分が頑張るだけではなく、一緒に働く社員たちが力を最大限に発揮できるようにサポートし、士気を高める人が望ましいでしょう。社員である場合は、自分に任せられたことに最善を尽くすと同時に、チームと上司のために働き、皆の達成感のために良い影響を及ぼす人です。主婦の場合は、家事と子育てと同時に、隣人のために仕える姿勢があり、牧場に導いた経験のある方が望ましいです。
 2.隣人との関係が良い人です。
 信仰生活の中で一番大切なのは、「関係」です(マタイ22:36-40)。私たちの喜びは、「隣人との関係の中」で味わうことができます。関係が良い人は、人と共に仕え、働くことを好み、平和をもたらします。関係が悪い人は、いつも否定的で不満を表します。感情の起伏が激しく、自分の怒りを納めることもできず、平安な雰囲気や大切な関係も壊します。
 3.主の御前で真実な人です。
 神様が私たちを遣わされる時、一つのことを要求しておられます。主の御前において「最後まで忠実に仕える真実さ」です(Ⅰコリント4:2)。真実な人は、神と教会の前で誓約した時、困難な状況や自分が被害を受ける場合であっても、最後まで自分の誓約を果たします。未熟な信仰であるほど、小さな困難や自分が被害を受ける時には、その誓約を破る傾向があります。しかし、仕える姿勢を持つリーダーであればあるほど、教会が困難に陥った時、主の御前でもっと忠実に仕えます。
 4.絶えず祈る人です。
 真実を持って神様に信頼して生きる人は、どのような場合においても絶えず祈る、敬虔な習慣がある人です。神様は生きておられ、いつも良いお方であることを確信しているからこそ、いつもとりなしの祈りを捧げます。家の教会は「聖霊が働いておられる祈りのミニストリー」です。つまり、仕える姿勢のリーダーシップのある人は、絶えず祈る信仰のある人です。そして共同体も、祈りが絶えない共同体として建て上げられていきます。イエス様の似姿に変えられていく我が教会に、「仕えるリーダーシップ」のある人々が立てられ、教会がもっと固く建てあげられていくことを願います。

 趙 南洙師

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