「家の教会」を取り組んでいる教会の牧師と信徒の関心は、いつもキリストを信じていないVIPに向いています。VIPへの伝道は、牧場でVIPのために祈ることから始まります。しかし、長い時間祈り支えても、なかなか心が動かない方もいます。そのような方は、順風満帆な人生を生きている方が多いです。旅行へ行ったり、美味しいものを食べ、趣味を楽しみながら過ごしています。彼らはこの世を十分楽しんでいるため、死後についてはあまり興味を持ちません。死後の世界は、科学的に証明されない想像の世界であって、天国もこの世に希望を持てない人々が、気をなぐさめるため に作った世界だと言います。
 このような方々の場合、特に心配はなさそうに見えますが、心の奥底には、自分では気づかないまま恐怖心を抱え持っています。死に対する恐れ、年を重ねることや体が衰えること、死に至るまでの苦しみに対する恐れです。  また、孤独感もあるでしょう。友人が多くても、本音を打ち明けられる人はいないという孤独感です。配偶者が隣にいるにも関わらず、この世に一人ぼっちだと感じることもあるでしょう。「持っている財産がなくなっても妻は一緒にいてくれるだろうか。友人はそばにいてくれるだろうか。」このような疑惑が思い浮かぶ時もあるのに、「どうせ、人生はひとりになるだろう」と自分に聞かせながら、慌てて孤独感を打ち消そうとします。
 また、無力感もあるでしょう。若い時には、この世の変化に挑戦の機会としてよく乗り越えてきても、年を重ねるごとに、周りの変化に対する適用力の衰退を感じます。競争に負けて、敗北の人生になってしまう恐怖心に覆われます。これらの実際的な恐怖心を忘れるために、仕事、趣味、旅行、ゲーム、SNSなどにはまっているのではないでしょうか。しかし、一瞬の忘却はできたとしても、根本的な恐怖心はなくなりません。
 死に対する恐れ、寂しさ、無力感などは、イエス・キリストに出会うと、解決できます。主イエスを信じる人は、神の子どもとなり、永遠のいのちを授かるので死を恐怖とは思いませんし、無力感もなくなります。ですから、今は神の恵みを必要としない人であっても、私たちは祈りを持って待たなければなりません。キリストがいない人生には、必ず課題があるはずなので、自ら自分の課題に疑問を感じるようになった時、救い主イエス様を出会わせるべきであります。何よりも、皆さんご自身が神様と共に歩み、まことの幸せを証ししてくださることを願います。

 趙 南洙師

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 先週から私たちは、出エジプト記15章以降を黙想しています。14章までの内容をまとめますと、 神様はモーセをエジプトへ送り、「イスラエルの民が神様に礼拝できるように、イスラエルの民をエジプトから去らせなさい」と、ファラオに主の言葉を伝えさせました。しかし、ファラオは心を頑なにして民を去らせなかったため、十のわざわいがエジプトへ下されました。
 ナイル川の水が血に変わるわざわいをはじめとする、神様による十の苦しいわざわいによって、エジプト全体が大混乱に陥ります。それにもかかわらず、ファラオは頑なな心を変えることなく最後のわざわいが下るまで、イスラエルの民を去らせようとしませんでした。ファラオ自ら、私がエジプトの神だと主張しましたが、神様のわざわいの前では戦うことも、対処することもできず、また、頑なな心を変えることもしませんでした。
 このようなファラオの姿を見て、突然一つの言葉が思い浮かびました。「サンクコスト(Sunk Cost Fallacy)」です。今まで自分が行ってきたことが誤りだと明確に判明したにもかかわらず、これまでに投資した分を惜しみ、ついつい投資を継続してしまうことを意味します。事業であれ、職場でのプロジェクトであれ、家事であれ、それが長年頑張ってきたことであっても、特に成果がないのであれば、その場で立ち止まり、方向転換するのがもっと効果的でしょう。しかし、既に費やした多くの時間と費用、努力を惜しみ、それを継続するのだとしたら、まさにそれは、「サンクコスト」に陥っているのです。
 「ベトナム戦争」がまさにその例です。アメリカがこの戦争を長引かせた理由は、このサンクコストに陥ってしまったからでした。「この戦争であまりにも多くの兵士の命が失われた。今、戦争をやめるのなら、失われた命を台無しにすることはもちろんのこと、戦争に参加した決定自体が誤りだったと非難されるだろう。」という、残念な考え方に陥ってしまったからです。
 今まで耐えてきたのに、今さら諦めるのは自分の誤りを認めることになる、とわかっていながら最後まで頑なだったファラオも同じです。このような誤った決定は、ついにファラオ自身の長子を含め、エジプトの全ての長子が死ぬという最悪の悲劇となったのです。
 間違っていると知っていながら、今まで費やしたものを惜しむことで、ファラオのように最後まで誤りを続けてはいけません。結果とは関係なく、決して止めてはいけないことはたった一つ、イエス・キリストからいただいた大宣教命令である、「魂を救い、弟子作る」ことです。これ以外の全てのことは、常に祈りつつ、御霊の導きに従って、このまま継続するか、もしくは中断するか、知恵深く判断しなければなりません。

 趙 南洙師

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