私たち教会の牧場の集いにおいて最も大切にしているのは「分ち合いの時間」です。「分かち合いの時間」とは、ご存知のように、過ぎた一週間の中で感謝したことを分かち合う恵みの時間のことです。このようにするのは、聖書が私たちに感謝の生活を勧めているからであり、それに加えて、日常生活での感謝を分かち合うことで、初めて牧場に参加する未信者の方も、気軽に聞き、分かち合いに参加することができるからです。
ある牧場では一般生活に関するテーマを取り上げて意見を交わし、討論することもあるそうです。もちろん、討論のテーマは牧者か牧場メンバーが提案するようです。この場合の良い点は、聖書から選んだテーマではないので、信じていない人や信仰を持ち始めたばかりの人でも活発に討論に参加できるということです。しかし、ひとつの欠点は、ある人が個人的な問題を抱えているときに、その問題解決のために具体的な助けができないということです。個人の意見交換だけに留まってしまうのではないかと思います。
他にも、ある牧場では聖書勉強で得た教訓を牧場で分かち合うこともあるそうです。この場合の良い点は、真剣に聖書の学びに取り組むことができ、聖書を通して人生の問題への答えを得ることができるということです。しかしその一方で、欠点としては、その日に学んだ聖書の内容から生活への適用をしようとするため、討論だけで終わってしまいやすいということです。生活への適用を試みることなく分かち合いが終わってしまう可能性があります。
しかし、皆さんが牧場の中で主日礼拝の説教について、どのように日常生活の中で適用したのかを分かち合うことができるならば、前述した欠点を補える方法になるでしょう。未信者や信じたばかりの人たちも、信仰の先輩たちがみことばをどのように生活に適用したのかを聞くことで、自分の問題の解決方法に気づくことができると思います。また、すでに生活に適用してみたことを分かち合うので、生活への適用が口先だけで終わることを防ぐことができると思います。
ある牧師が説教の中でこのようなことを言いました。「教会は実験室でなければなりません。ところが、教会は聖書勉強ばかりする研究室になってしまいました。」新約聖書の家の教会を目指している私たちの教会の牧場は、研究室ではなく実験室になることを願います。神のみことばがどのように人生の問題を解決するのかを証明して見せる実験の場としていきましょう。
趙 南洙師
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主イエスを信じるクリスチャンたちが、日常生活の中で経験する困難で厳しい戦いがあります。それは「自分自身との戦い」です。どんなに熱心に、誠実に、よく仕えてきた人であっても、思いがけないところで無力に崩れてしまうのを見ると、私たちの本当の敵は外にいるのではなく、自分の内側にいるのだと気づかされます。自分の内面を守れなければ、私たちは崩れ、倒れてしまうのです。聖書にも、最初は謙遜だったサウル王が、やがて高慢になって失敗し、ダビデ王でさえも不品行の誘惑に屈してしまったことが記されています。あれほど確信を持っていたペテロでさえ、主イエスを三度も否認してしまいました。
信仰生活を歩み続けるためには、常に自分との戦いが必要不可欠です。もし何か間違いがあれば、それを認めて正し、足りなければ補い、良いものはさらに伸ばす、そうした自己省察が欠かせません。しかし、日々の働きや奉仕に慣れてくると、この内面との戦いは疎かになりやすくなります。それは目に見えにくく、他人にも気づかれにくいからです。忙しさの中で、神の御前に立ち、「今の自分がどのような状態にあるのか」を振り返ることなく、ただ熱心に取り組んでいれば大丈夫だと思い込んでしまう、これは私たちが最も陥りやすい、危険な錯覚です。
こうした時こそ、自分自身を客観的に見つめる時間が必要です。神の前で、毎朝、自分の内面と動機を省み、もし間違いがあるならすぐに悔い改めて立ち返るべきなのです。もし言い訳や自己弁明ばかりしてしまうなら、心の状態を正しく見つめることができず、自分との霊的戦いを諦めてしまうことになります。その結果、心がだんだんと高慢になったり、逆に無気力になって落ち込んでしまう危険に陥ります。
そのような時、私たちは、自分の感情ばかりあおるサタンの誘惑に気づかずにいるかもしれません。サタンは、自分の内側を見ないようにさせ、失敗へと導こうとします。たとえ他の人よりも熱心に働き、表面的には実を結んでいるように見えても自分との戦いに敗れてしまえば、すべてを失ってしまうのです。
まず神の前で、自分の心を絶えず点検し、高慢や怠惰にならないように、日々自分自身との戦いを続けていくことが、自分自身を守る道であり、信仰と奉仕において勝利する道なのです。
趙 南洙師
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