全ての人は、キリストにあって一つの体であり、一人ひとりはその部分です(一コリント12:27) 。そのため、教会に属する信徒であるなら、教会の部分として主に仕える奉仕をささげましょう。我が教会では、信徒の方が二つの奉仕に関わってくださることを願っています。一つは、牧場で奉仕をささげること、もう一つは、教会で奉仕をささげることです。もちろん、賜物と必要に応じてもっと多くの奉仕をしている方もいますが、原則として一つの奉仕は必ずささげるようにしましょう。
 奉仕を選ぶときに、私は主任牧師としてお願いしていることがあります。一つ目は、簡単にささげられる奉仕ではなく、できる限り犠牲が伴う奉仕を選んでいただきたいということです。信仰歴が短い方や我が教会に属して間もない方であれば、比較的仕えやすい奉仕を選んでも良いでしょう。しかし、信仰歴がある程度長い方は、犠牲が伴う道を選ぶのが良いと思います。教会で奉仕が与えられたのは、教会のために責任を負うという献身をしたことであり、信仰が成長することは、その方の人生が犠牲の道を歩むために備えられたということを意味するからです。犠牲の伴わない奉仕は、趣味生活にすぎません。
 二つ目は、できる限り価値の小さなミニストリーより、価値の高いミニストリーを選ぶことです。神の御前にささげるミニストリーの中で価値のないものは一つもありません。しかし、その価値の程度の差は確かにあります。それは、人を立てることに直接関わる奉仕であるか、それとも間接的に関わる奉仕であるかの差にあると思います。
 特に、我が教会には、次世代を育てる教会としての使命が与えられています。次世代を育てることはスローガンをたてればできることではなく、祈りだけでできることでもありません。次世代のために犠牲を払う献身のゆえに可能となります。せっかく主のために仕える献身をしたのであれば、我が教会の次世代である子どもたちのための奉仕に携わってくださることを願います。我が教会の信徒であるなら、必ず、一度は携わるべきものとして、子どもたちのための奉仕を考えてください。
 教会の奉仕を選ぶ時、誰もができるミニストリーより、人が選ばないミニストリーを選ぶ方が増えていくことを願います。これは、我が教会の成熟度と関連のあることだからです。祈りをささげながら、自分の信仰と賜物の量りに応じて適切な奉仕を選び、仕えることにより与えられる恵みを味わうことを願います。

 趙 南洙師



 主イエスを信じてから、よく聞くようになる言葉があります。それは「犠牲」という言葉です。イエス様の十字架の犠牲により、罪人であった私たちは赦され、救われ、そして主の弟子となりました。そのため、私たちの人生においても、何かしらの形で犠牲を払うことが伴うようになるはずです。なぜなら犠牲は、キリストの代理的な行為に参与することであり、魂の救いのために私たちの人生の中で実践されるものだからです。
 一つは「時間の犠牲」です。忙しい人生を生きる人にとって、時間はなによりも大切です。インターネットと通信技術の発達により、以前に比べてもっと多くの時間が必要になりました。さらに、贅沢な趣味を楽しんだり、魅力あふれる観光地を訪れたりなど、娯楽は増えました。ゲーム、レジャー、運動、管理しなければならないSNSなど、やりたいことやしなければならないことが山積みになり、現代を生きる私たちにとって時間は何より大切です。忙しい毎日の生活の中で、他人のために自分の時間を割くことは、さらなる犠牲を必要とするため感動を伴います。職場で困っている人を助けるために自分の仕事の手を止めて、その方の表情を見て会話をし、その状況を共にすること。これは貴重な時間の犠牲です。苦しんでいる人と共にする時間の犠牲は、一人の魂を救うきっかけとなり得るのです。
 もう一つは「お金の犠牲」です。全てがお金で評価される今の時代にあって、自分の資産を大切にし、惜しむのは誰もが一緒です。このような世界で、他人のために自分のお金を惜しまず使うということは、本当の犠牲であり、多くの感動を与えます。食堂で知り合いに会った時、自分がその支払いを一緒に済ませたり、会計の列で並んでいた前の人が財布を忘れた時、代わりに支払ってあげたり、外出の帰りに同僚のためにコーヒーを一杯買って差し上げたりするなど、心の余裕を分かち合う行動は、私たちを見る人々の視線を変え、その魂を救うための一歩となり得るのです。
 しかし、私たちが何より払うべき一番の犠牲は、どのような環境の中でもクリスチャンとしての品性を保ち続けることではないでしょうか。職場、役所、スーパーなど様々な場所で、予想がつかない出来事に出会う時、怒ることなく平安を保ちながら話し合い、さらに相手に譲歩する品性を保ち続けることです。そうすれば、必ず誰かの魂を救うために神に用いられる犠牲を払うことができると確信します。

 趙 南洙師



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 世界で一番の富豪であるウォーレン・バフェットは、自身が子どもたちの助言者として登場し、経済と金融について教えるアニメ「秘密の大富豪のクラブ(Secret Millionaires Club)」を制作したことで有名です。バフェットが教える経済と金融についての教育には六つの原則があります。
 第一、できる限り早く始めよう。「親はお金の管理を教えるために、子どもが10代に成長するまで待つのではなく、幼稚園の時から始めよう。」と言います。研究によると、3〜4歳になればすでにお金の基本的な概念を知り、7歳になれば貯金についての基礎的な概念ができると言います。
 第二、貯金の価値を教えよう。バフェットは子どもたちに貯金と金利について教えています。「とても小さなお金だとしても、規則的に貯金すると補償が与えられる。」と言い、「あまり喉が渇いていないなら、飲み物を買って飲むより貯金すれば利息がついてお金を増やせる。」と教えます。
 第三、親は子どもの「ロールモデル」になろう。バフェットは自分にお金についての良い習慣がついたのは、「父の姿から教えてもらったから」と言います。バフェットは父から株の投資を教えてもらい、11歳の時には初めて自分の株を買ったと言います。
 第四、欲しいものと必要なものが区分できるように教えよう。「子どもにお金の価値について教える時には、まず欲しいものと必要なものの違いを教えなければならない。この概念は、子どもたちが幼い頃に身につけるべきであり、また子どもたちが理解できるように大人が教えなければならない。」と言います。
 第五、経済について学び続けよう。バフェットは「一生をかけて学ぶことと、自分自身に教えることは、誰であっても大切なことである。」と言います。彼は1日の1/3をさまざまな本を読んで学ぶ時間としていると言います。
 第六、企業家として励もう。バフェットは投資会社の経営を通して、約60もの企業を所有しています。企業家として励むとは、チャンスを掴む力と問題解決の力を育てようという意味です。企業家として励むポイントは、お金を稼ぐことにあるのではなく、チャンスを逃さないということと、問題に直面した時に解決していくことにあります。
 聖書は「高慢にならず、頼りにならない富にではなく、むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え(一テモテ6:17-18)」と、すてきな富豪の道を教えています。

 趙 南洙師