私は、家の教会の牧者として召され、仕えてくださる信徒の方々を誇りに思います。また、その方々の恵みある人生のために祈り、支えることが牧師である私の使命だと考えています。牧者の奉仕は完走しなければならないマラソンのようなものです。祝福をいただくために、三つの勧めをしたいと思います。
 まず一つ目は、全体を俯瞰(ふかん)して見ることができる牧者になってください。新約教会の回復という神様のご計画の中で、キリスト教の歴史を作り上げていく主役として神様に遣わされていることを忘れないでください。神様のご計画の完成のために用いられているという自信を持ち、あなたに任された奉仕に取り組んでください。これらのことから必要な力が満たされます。
 二つ目は、魂の救いを最優先とする牧者になってください。魂の救いという言葉そのものにプレッシャーやストレスを感じる理由は、義務感から取り組んでいるからです。「未信者は神様の前でどのような存在なのか?」と考えながら、家出をした息子を待っている父の気持ちを想像してみましょう。5人家族で一緒に遊園地に出かけたのに、ひとりが約束の時間まで戻らない時、そのまま帰る家族はどこにもいません。見つけるまで探し、走り続けるでしょう。魂を求める心を持って、「私たちの牧場でなければ救われない人を送ってください。VIPが来た時には、神様が送ってくださった魂であると信じて、愛し仕えることができますように。その力を与えてください。」と祈りつつ備えるならば、神様はVIPを送ってくださいます。神様は、誰にVIPの魂を託すでしょうか?神さまはその魂を託せるしもべを求めるお方です。神様は、誰一人滅びることなく魂の救いを得ることを望むあわれみの父です。一人の魂が主の御前に立ち帰る喜びを経験する時、牧者は初めて牧場の存在意義を味わうでしょう。
 三つ目は、御国の報いを待ち望む牧者になってください。私たちの労苦は主にあって無駄になりません。無駄にならないということは報いがあるということです。そのため、牧者はゆらぐことなく堅く立つ必要があります。しかし、牧者は労苦が報われない時、また人からわかってもらえない時、孤独でゆるがされることもあると思います。しかし、神様から託された使命であると信じ、最後まで忠実に果たさなければなりません。実りがなくても、人からわかってもらえなくても、神様に対するゆるがない信仰が明らかにされる時と信じ、また御国の報いだけを待ち望むチャンスだと信じ、最後まで忠実であることが重要です。なぜなら、神様はあなたの全てを知っておられるからです。

 趙 南洙師

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 長い間主日礼拝に出席しているにもかかわらず、説教から恵みを受け取れない方がいます。恵まれないのにはさまざまな理由があると思いますが、説教を聞く時、消極的であることが大きな理由だと思います。聞く自分はなにも努力せず、説教者が自分を変えてくれることだけを求めているからです。もちろん、このような人々も聖霊の強力なお働きによって恵みを体験することもあるでしょう。しかし、ごく稀な例です。主日ごとの恵みを受け取るためには、自ら積極的な姿勢にならなければなりません。
 積極的になるためには、説教者を通して、その日、神様が自分に語りかけてくださることを期待することです。もし、説教者に人格的な足りなさがあったとしても、教会によって立てられた方であるなら、説教している間は神のみことばを代弁する器であることを認めましょう。
 旧約時代に、預言者を通して、神様がイスラエルの民に語られたように、新約時代には、説教者を通して神様が語りかけてくださるのです。そのため、説教者は自分の考えを語るのではなく、ただ神のスピーカーとして役割を果たします。スピーカーの性能によっては、澄んだ音や歪んだ音が出たりもするでしょう。しかし、みことばを託されたのは神様です。これらのことをふまえて説教を聞かなければなりません。説教者の人格と神様から託されたメッセージを混同すると、説教から恵みを受け取ることができません。
 神様が説教者を通して自分に語りかけてくださる御声を聞きたいと願うなら、説教のポイントごとに次のような質問をしてみましょう。「これが今日、私にくださったみことばなのですか?」「これが私のためのメッセージなのですか?」と。主の御声が聞こえてくるまで、質問を続けながら説教を聞く必要があります。説教が終わっても何も示されたことがなかったのなら、説教後、説教のアウトラインを思い浮かべながら神様に祈り、伺いましょう。「神様、私にくださるみことばを一つ選ぶのなら、どのみことばですか?」と。このように祈っても、何も気づきがないのなら、自分の生活の中で適用できるみことばを、メッセージの中から一つ選んでください。そして一週間の生活の中で、そのみことばを一度以上、適用してみてください。このように、毎週の説教の中で、自分のためのみことばを一つずつ握りしめて歩み続けるなら、説教を通して神の恵みを受け取る人生に変えられると信じます。

 趙 南洙師

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