先週の木曜日からコロナの感染者数が倍増し始め4都県は緊急事態宣言が発令されました。 それでも金曜日の出勤様子は発令前と何も変わらず東京都心はいつも通りの満員電車だと報道されています。 知人の中にはこれにいらだちを感じる人も少なくなく、1月中にあったイベントを全て延期させる動きもありました。 また、今週目にとまったニュースは、太平洋を越えたアメリカでの出来事でした。 トランプ大統領が選挙で敗れることを阻むためトランプの支持者たちの多くがワシントンの連邦議会議事堂に乱入するという世界をびっくりさせた前例を見ないことが起きてしまいました。 これらのニュースを見て感じたのは今世界で起きている亀裂と分裂です。 人々の間で意見がぶつかり合い、互いに対する批判が増し、やがてそれは憎しみを生むような連射となっているように見えます。 

 菅首相のコロナに対する甘い認識は医療従事者や国民たちから大きな批判を呼びました。 しかし、逆にコロナで騒ぎ過ぎだと主張する人々も多くいます。 教会内でも一緒です。 こんな感染者数が多い中礼拝を行っていること自体が、社会に対して証になってないと思う人もいれば、逆に、仕事に出勤するぐらいなら礼拝に行くのも当然だと考える人もいます。 この温度差をどのようにすれば良いのでしょうか? 今の時期、教会のリーダーシップは非常に難しい局面に立たされています。 人々の間にある意見の違いは人々を大きく分裂させる要因になっています。 

 私たちは皆、幅広い育ちと文化背景から来ています。 そして、信仰のカラーや成熟度も違います。 どんなに聖書を基準にしていたとしても、現代社会問題においては物事の捉え方で違いが出ると思います。 私が思ったのは、少なくても今は、誰が100%正しいのかを知ることが難しい時期です。 以前から緊急事態宣言を早く出すように促す動きがあったのですが、逆に自粛疲れでうつ病や健康を崩す人々の方が多いと言う声もあるからです。 今、コロナで私たちは今まで以上に敏感になっています。 教会として、立場の違う人々を十分配慮し尊重し合う雰囲気を作りましょう(ピリピ2:2−4)。 コロナは過ぎ去ることでしょう。 アメリカの政治問題も時間が過ぎれば少し落ち着くでしょう。 でも、今私たちが傷つけ合うならば、その傷の癒しの方がもっと時間がかかるかも知れません。

 教会が今一致すべき点は、こう言う時だからこそもっと神の前で祈り、霊と真を持って礼拝を捧げるべきだと言うことです。 皆さんがネットで礼拝を捧げていようが、礼拝会場で礼拝を捧げようが、今は神に寄りすがる時であり、霊的にぼうっと眠っている時期ではありません。 だから神を一緒に慕い求めることにおいては一致しましょう。 そして互いを愛することと尊重することに努めていきましょう。 

 チョ・ドリュー師

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 2010年の公開された「英国王のスピーチ」でも話題になった王と言えば1936年から1952年までイギリスを治めたジョージ6世です。 彼はもともとシャイな性格で、人前でしゃべるのが非常に苦手な人だと知られています。 そんなわけで、彼はいつも国民に向けて話すことを避けて来たそうです。 しかし、そんな彼に大きな正念場がやって来ます。 1939年、ドイツ軍の攻撃によって、イギリスは他の選択肢をなくし、ドイツに対して全面戦争を宣言することになります。 第一次世界大戦で痛い経験をしたイギリスだけに国民はこの戦争に対して大きな不安を抱えていました。 そんな国民に対して唯一慰めの言葉をかけられたのは国の王だったのです。 ジョージ王は、1939年のクリスマスの日にラジオ番組を通して全国にいる国民に対して歴史に残るスピーチを演説します。

 そのスピーチの後半にジョージ王は“神は知っておられる”と言う詩を引用してこのように演説しました。“私は年の門(Gate of the year)に立つ男性に言いました。 “私がこれから行ったことのない未知の道を歩くことになるので、道を照らす光を下さい。” そしたら、その男性はこう答えた、“暗闇に入り、あなたの手を神の手の上にのせなさい。 その方が光を持って行くより、また知っている道を行くことより安全なのです。” このスピーチは戦争を控え1940年がどんな年になるのか全く分からない道筋に立っていたイギリスの国民たちを大きく励ましたと言います。 私たちが行く道は未知の世界だけど、私たちが道を照らす光を持って行くより、神によって導かれる方が安全だと言うことです。

 2021年はどんな一年になるのでしょうか? コロナは収束するのでしょうか? 経済は回復するのでしょうか? 私たちは自由に旅行し、愛する兄弟姉妹たちと食卓の交わりが出来るようになるのでしょうか? 今では、正確に今年を予測出来る専門家もいない状況です。 皆さん、今こそ、私たちの手を主の手の上に置くべき時です。 一人で不安を抱え先のことを持って苦悩するより、神の手を取り一歩一歩進む時です。 これを具体的に言い換えれば、私たちの未来全てを主の御手に委ねることです。 “主よ、2021年がどんな年になっても、それを主の御手の中にあります。 良い結果でも、悪い結果でも、あなたが全てを治められることを信じ、また全てを益に変えて下さることを信じます。 ただ、私たちが出来ることを示して下さい。 私は自分が出来ることに忠実にならせて下さい”と言う祈りが主に2021年を委ねる祈りです。 2021年と言う未知の世界に入って行く皆さん、主にあって信仰と希望を持ち前進して行きましょう。 

 チョ・ドリュー師