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 私たちは2020年1月に年間標語 「イエス様、私の中心になってください!」(コロサイ1:16)と掲げてきました。あと数日で終わるこの一年間、私たちはどのように主のみこころを実践することができたでしょうか?

 コロナウイルスの問題から2~3月以降、私は、コロサイ1:16にある「…天と地にあるすべてのものは、…御子にあって造られたからです。…」という主のみことばの、“すべてを支配しておられる”ことについて大きな課題を提示されたと思いました。それは“すべてを支配されておられる主は、私たちに何を期待しておられるのか?”という課題です。2020年は信仰のふるいにかけられた年だったと思います。自分の弱さに気が付くことがあったり、逆に主の大きな恵みの計画に気が付くことがあったことを思い出すからです。

 3月以前からインターネットによる礼拝は配信していましたが、元々は特別な事情の方向けに配信していたので、本格的に礼拝をささげる場合には推奨されるものではありませんでした。この方向性を変えなくてはならない状況下になり、インターネットの環境が整っていない方々には不便さを感じたことだと思います。しかし、それを支える信徒が起こされたり、インターネットの環境を整えてしっかりと礼拝をささげる準備をしてくださった信徒もいたりしました。また同時に信仰的な部分でも色々な側面が見いだされることがありました。インターネット礼拝やZOOMによるミーティングにおける、配信・接続の問題、集中力を継続する難しさ、信徒の信仰状態が見えづらいなど、課題は多かったと思います。そのようなことで精一杯だった対応に、忍耐と柔軟な対応をしてくださった信徒の皆さまには本当に感謝しています。

 そして、キリストが私自身の中心になっていただろうか?ということを思い起こすと、「主に救われた民として、やるべきことは多いように思えます。どこまで私は主に仕えたらよいのでしょうか?」と祈りながら質問していました。そして、「罪の中にあなたがいたとき、あなたは私から離れていた。しかし、私の十字架によって罪赦され、復活した私はあなたと共にいるではないか。」とエペソ2:13(しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。)を通してイエス様に言われたように思ったのです。主の十字架は離れている私たちを近くしてくださることを覚え、2021年は主との関係において深い関係になれることを考えていきたいと思います。

 吉村恵理也伝道

 人にとって一番辛いのは誰にも自分の経験や感情を理解してもらえないことです。異邦人が外国の町で差別を受けていたとしても、それを共感してくれる人が誰もいない限り、とても寂しい思いをします。皆さんにもそんな経験があるかも知れません。悔しい思いを他人に打ち明けたときに、全くその悔しさを分かってもらえないのであれば、何と辛いことでしょうか。愛の表現で相手の心をつかむ最も効果的なのは同情だと言えます。

 ヘブル4章に出る同情と言う単語はギリシャ語でsympaticoと言う‘共に苦しむ’と言う単語です。泣いている人の隣で共に悲しむことを意味します。私が牧師をやっていて一番涙が出るほど感動を覚える瞬間は、信徒リーダーたちが牧師の立場を理解してくれる時です。 どんなに尊敬されると言われても、牧師の立場が人々の批判のまとになり、時には本当に‘やりづらい立場’なのかを理解されることよりほっとする安堵感はありません。なので、私が信徒リーダーに良くお願いすることは、教会内にある難しい面談に同席してもらうことです。そして、そんな信徒リーダーたちとは教会が直面している課題を隠すことなく分かち合うことが良くあります。それは、牧師として同情心を求める行動です。そして、信徒リーダーたちが解決案を持ってなくても、それを共感(‘分かってもらえた’と言う経験)してくれることが牧師にとっては大きな力になります。

 聖書は、2000年前に人の体を持ってこの地上に来られたイエスキリストは私たちに同情されることの出来る方だと主張します。そして、全ての試みを通られた方として私たちの弱さを深く理解される方であると言います。サマリヤの女には心の渇きを満たす命の水を、そして人々に受け入れられることに渇いていたザアカイには友情をお与えになりました。さらに、人なられたイエスキリストは人々に誤解され、憎まれ、親しい友人たちに裏切られ、人種差別の被害者となり、最終的には不正な形で処刑されてしまいました。だから、イエスキリストは私たちの痛みを誰よりも良く知っておられる方です。 

 イエスキリストの同情心が最も慰めになるのは、イエスは私たちが自らの力で罪を打ち砕くことが出来ないことを知っておられる方です。だから、イエスキリストは私たちの‘身代わり’になられるためにこの地上に来られたのです。罪を犯した不完全な者が神の御前に出られる理由は私たちを同情心で包んでくれたイエスの愛があったからであります。皆さんは今どんな痛みを抱えていますか?どんな罪をまだ告白出来ていませんか?今年のクリスマスもイエスの同情される愛を覚え、もう一度私たちの弱さを告白して神の前に出ていきましょう。 

 チョ・ドリュー師

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