2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『普段難しいことでも、今だからこそ出来ること』 牧師コーナー(56)
本日は母の日ということもあり、母の日感謝礼拝をささげています。世間では例年、この日にはカーネーションを母親にプレゼントして、日ごろ当たり前のように受けていた母の愛に感謝を表す日です。母への感謝は勿論すべきことですが、今回に限ってはカーネーションをプレゼントするのは難しいかもしれません。コロナ自粛の影響で花屋さんもお休みのところが多いのは皆さんも周知のことだと思います。もちろん何とか手に入れようと思えば開いているお店もあることでしょう。ですが、ニュースにもなるぐらい今年はカーネーションの出荷が減っているようです。出荷元の農園の人からすると、花自体の出来栄えは抜群だ、と言います。しかし、買い手が減っていることが悩みどころであるというのです。最高に良いものができても、それを受け取る人がいなければそれは悲しいことです。
私たちの教会において最高に良いものと言えば、イエスキリストの福音以外に最高のものはありません。教会において良いものは沢山あるでしょう。しかし最高に良いものは、キリストの十字架によって罪が赦され、信じて救われることに尽きます。ですから教会においても、この救いの分かち合いができないことは非常に悲しいことなのです。
自粛の影響で少しピリピリしている人間関係の中で、みことばの分かち合いをすると2つの立場に分かれるかもしれません。1つは「みことばを言うと喧嘩に発展しそうだから控えてしまう。」という立場と、もう一つは「こんな時だから、みことばを分かち合うことを少しでもしよう。」という立場です。
前者であれば、励ましのつもりで声をかけたのに、みことばを使った叱責に聞こえてしまうという状況です。こうなると、その後もみことばの分かち合いが難しくなるでしょう。しかし、時に厳しく聞こえる神のみことばも、本当に死にかけている人に「それはいのちの危険があるから、行ってはいけない!」と救いの声をかけるのであれば、叫ぶように強い言葉になります。聖書のみことばは私たちに罪の指摘だけを教えたいのではなく、その先にあるキリストの救いを教えたいのです。ですから、叱責ではなく励ましであるという意図を伝えてから、みことばを分かち合うならば、変な心配は減るのではないでしょうか。
そして後者の、こんな時だからみことばを分かち合うについてですが、今まででしたら牧場で自然にみことばの分かち合いができていたのですが、現在は実際に集えることが難しく、牧場内でも分かち合うことに難しさがあります。困難な中でもインターネットや電話を通して、分かち合いをしてくださっている信徒の証を聞けているのはとても感謝なことです。困難な状況に対する解決の求めや、逆に苦難を乗り越えた感謝な分かち合いなど教会で共有出来たら素晴らしいのではないかと思うのです。先日の牧者会でも分かち合われたのですが、1010祈祷などでも祈りの連鎖を行っています。この祈りの課題に各牧場の願いや感謝の祈りが挙げられると、より親密に祈ることができ、教会の歩みとしても活発になるのではないかと思うのです。今週も私たちを救いへ導いてくださった、主のご計画に期待していきたいです。
吉村恵理也伝道師
私たちの教会において最高に良いものと言えば、イエスキリストの福音以外に最高のものはありません。教会において良いものは沢山あるでしょう。しかし最高に良いものは、キリストの十字架によって罪が赦され、信じて救われることに尽きます。ですから教会においても、この救いの分かち合いができないことは非常に悲しいことなのです。
自粛の影響で少しピリピリしている人間関係の中で、みことばの分かち合いをすると2つの立場に分かれるかもしれません。1つは「みことばを言うと喧嘩に発展しそうだから控えてしまう。」という立場と、もう一つは「こんな時だから、みことばを分かち合うことを少しでもしよう。」という立場です。
前者であれば、励ましのつもりで声をかけたのに、みことばを使った叱責に聞こえてしまうという状況です。こうなると、その後もみことばの分かち合いが難しくなるでしょう。しかし、時に厳しく聞こえる神のみことばも、本当に死にかけている人に「それはいのちの危険があるから、行ってはいけない!」と救いの声をかけるのであれば、叫ぶように強い言葉になります。聖書のみことばは私たちに罪の指摘だけを教えたいのではなく、その先にあるキリストの救いを教えたいのです。ですから、叱責ではなく励ましであるという意図を伝えてから、みことばを分かち合うならば、変な心配は減るのではないでしょうか。
そして後者の、こんな時だからみことばを分かち合うについてですが、今まででしたら牧場で自然にみことばの分かち合いができていたのですが、現在は実際に集えることが難しく、牧場内でも分かち合うことに難しさがあります。困難な中でもインターネットや電話を通して、分かち合いをしてくださっている信徒の証を聞けているのはとても感謝なことです。困難な状況に対する解決の求めや、逆に苦難を乗り越えた感謝な分かち合いなど教会で共有出来たら素晴らしいのではないかと思うのです。先日の牧者会でも分かち合われたのですが、1010祈祷などでも祈りの連鎖を行っています。この祈りの課題に各牧場の願いや感謝の祈りが挙げられると、より親密に祈ることができ、教会の歩みとしても活発になるのではないかと思うのです。今週も私たちを救いへ導いてくださった、主のご計画に期待していきたいです。
吉村恵理也伝道師