2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『改心祈祷について』 牧師コーナー(11)
7月から最後の週は改心祈祷を礼拝の中で行う予定です。改心祈祷とはどんなものか、少しその背景になる歴史や聖書箇所を紹介したいと思います。16世紀、宗教改革が起こる前のカトリック教会では免罪符を売っていました。人々はそれを買うことによって神様の赦しを頂き、天国への切符を手にしたと勘違いしていたようです。そんなカトリック教会の過ちを指摘するかのようにマーティン・ルターは95か条の論題を持って反論します。その95か条の一番目にあったのは、イエスキリストが私たちに“悔い改めなさい”と言われたのは“信じる者の生涯のすべてが悔い改めであることを願った”と言う内容です。つまり、クリスチャンに取って悔い改めの概念は一度済ませて終わるものではなく、続けてみことばを通して自分を吟味し、悔い改めを通して成長して行くというものです。
イエスキリストが教えられた主の祈りも罪の告白が言及されています。Ⅰヨハネ1:9でも、もう既にクリスチャンになっている人々が、また告白すべき罪があることを前提にして「もし私たちが自分の罪を告白するなら」と語りかけます。そして続けて、「神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」と主の赦しを確信させるみことばを教えています。そう言った意味で、私たちが教会の礼拝で改心祈祷を行うのは、神の赦しと福音の恵みに触れられる機会なのです。
救われている私たちに取って改心祈祷は永遠の裁きを恐れてする祈りではありません。むしろイエスキリストと一体となったことを覚え、主と共に心を合わせて歩むためにするものです。 なので、改心祈祷をする時にもちろん真の悔い改めが求められますが、同じ罪を繰り返し犯す自分に挫折し続ける必要はありません。 聖書が語る福音はそんな ‘どうしようもない’ 罪人の私たちのためにイエスキリストが来られ十字架に架かったと教えてくれます。私たちの罪は最終的にイエスによって既に赦されているので、罪を隠すことなく神に改心祈祷を捧げることが出来ます。スケジュールとしては、毎月の最後の週に改心祈祷が行われる予定です。 その時間が毎回、私たちの魂をきよめ、心を刷新させる時間になることを期待します。
ともに仕える牧師 チョ・ドリュー
イエスキリストが教えられた主の祈りも罪の告白が言及されています。Ⅰヨハネ1:9でも、もう既にクリスチャンになっている人々が、また告白すべき罪があることを前提にして「もし私たちが自分の罪を告白するなら」と語りかけます。そして続けて、「神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」と主の赦しを確信させるみことばを教えています。そう言った意味で、私たちが教会の礼拝で改心祈祷を行うのは、神の赦しと福音の恵みに触れられる機会なのです。
救われている私たちに取って改心祈祷は永遠の裁きを恐れてする祈りではありません。むしろイエスキリストと一体となったことを覚え、主と共に心を合わせて歩むためにするものです。 なので、改心祈祷をする時にもちろん真の悔い改めが求められますが、同じ罪を繰り返し犯す自分に挫折し続ける必要はありません。 聖書が語る福音はそんな ‘どうしようもない’ 罪人の私たちのためにイエスキリストが来られ十字架に架かったと教えてくれます。私たちの罪は最終的にイエスによって既に赦されているので、罪を隠すことなく神に改心祈祷を捧げることが出来ます。スケジュールとしては、毎月の最後の週に改心祈祷が行われる予定です。 その時間が毎回、私たちの魂をきよめ、心を刷新させる時間になることを期待します。
ともに仕える牧師 チョ・ドリュー