2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『教会ではハロウィンをどう考えているの?』 牧師コーナー(29)
毎年この時期になると、町中の装飾や様々なお店の雰囲気がハロウィン一色になります。ハロウィンは元々2000年ほど前にケルト人(今でいうヨーロッパ圏の人々)が秋の収穫感謝祭の時に‘作物の生命が生まれるところに、悪霊も一緒に入ってくる’というような考えがあり、悪魔を追い出したり悪魔の恰好をしたりして悪い霊から自分を守る、という考えから生まれたお祭りです。諸説ありますが、基本的にはキリスト教とは関係のないイベントです。
教会としてシンプルに‘悪魔のお祭りだから参加したらダメだよ’と言われてそれを忠実に守ってきた人がいると思います。私の個人的立場としては、避けられるのであれば避けるのが良いと思います。ですが昨今の現実的な課題として、ただ律法的に‘ハロウィンはダメなもの’ と言い切れない時代になってきました。学校や職場やお店など、町全体、社会全体がハロウィンを意識する環境になってきたからです。ハロウィンを100%否定するのであれば関連商品の置いてあるお店、学校や職場ですら行けなくなってしまうでしょう。幼稚園や小学校などで気が付かないうちに‘ハロウィンに関連した遊びをしてみましょう’ ということが社会行事として教えられる時代になっているのです。
多くのクリスチャンは‘渋谷や川崎等で開かれる大きなイベントには参加しなければ、お祭り気分を味わったりする程度であれば自由ではないか?’このように考える人がいます。若い人ですと、‘クリスチャンとしての信仰があれば、仮装も節度がある中で自由にしてもいいのではないか?’と考える人もいます。実際に昨今のキリスト教の中でも意見が分かれます。‘悪魔のお祭りだから絶対にダメ’という立場と‘現代においてはお祭りとして見ているだけで、遊ぶのは自由である’という立場です。教会内でも各家庭の信仰が問われていると思います。
ではどう対応したらよいでしょうか?それは‘ハロウィンのプログラムに参加することによってイエスキリストの栄光が現わされていますか?’という一つの質問に集約されるでしょう。もし本来の秋の収穫をお祝いするという意味で考えるのであれば、教会で食事会を開いたりゲームをして遊んだりするほうが健全ではないかと思います。どうしても‘ハロウィンで周りが遊んでいるから私も楽しみたい!’と思うのであれば、教会でキリストを覚えた楽しみを企画したほうが良いと思いませんか? 何事においても私たちを通してイエスキリストが輝くことになるように祈っています。
―吉村恵理也師―
教会としてシンプルに‘悪魔のお祭りだから参加したらダメだよ’と言われてそれを忠実に守ってきた人がいると思います。私の個人的立場としては、避けられるのであれば避けるのが良いと思います。ですが昨今の現実的な課題として、ただ律法的に‘ハロウィンはダメなもの’ と言い切れない時代になってきました。学校や職場やお店など、町全体、社会全体がハロウィンを意識する環境になってきたからです。ハロウィンを100%否定するのであれば関連商品の置いてあるお店、学校や職場ですら行けなくなってしまうでしょう。幼稚園や小学校などで気が付かないうちに‘ハロウィンに関連した遊びをしてみましょう’ ということが社会行事として教えられる時代になっているのです。
多くのクリスチャンは‘渋谷や川崎等で開かれる大きなイベントには参加しなければ、お祭り気分を味わったりする程度であれば自由ではないか?’このように考える人がいます。若い人ですと、‘クリスチャンとしての信仰があれば、仮装も節度がある中で自由にしてもいいのではないか?’と考える人もいます。実際に昨今のキリスト教の中でも意見が分かれます。‘悪魔のお祭りだから絶対にダメ’という立場と‘現代においてはお祭りとして見ているだけで、遊ぶのは自由である’という立場です。教会内でも各家庭の信仰が問われていると思います。
ではどう対応したらよいでしょうか?それは‘ハロウィンのプログラムに参加することによってイエスキリストの栄光が現わされていますか?’という一つの質問に集約されるでしょう。もし本来の秋の収穫をお祝いするという意味で考えるのであれば、教会で食事会を開いたりゲームをして遊んだりするほうが健全ではないかと思います。どうしても‘ハロウィンで周りが遊んでいるから私も楽しみたい!’と思うのであれば、教会でキリストを覚えた楽しみを企画したほうが良いと思いませんか? 何事においても私たちを通してイエスキリストが輝くことになるように祈っています。
―吉村恵理也師―