2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『復活への希望』 牧師コーナー(3)
私は過去に多くのお葬式に参加した事はあるのですが、数年前まで人が召される数週間、数ヶ月間を間近で見た経験はありませんでした。5年前の春、義母から電話を受け取り、彼女が病気で苦しんでいることを初めて伝えられた記憶が、今でも鮮明に残っています。その時に、電話の向こう側で痛みに苦しんでいる義母のために祈りましたが、病気の深刻さが伝わって来ました。彼女はその時、末期ガンで医者には余命3-4ヵ月だと言われていました。 その後、彼女は数ヶ月間ホスピス病棟に移され、最後を過ごしました。私は彼女が召される5-6週間前に訪問した時、義母の表情は驚くほど平安でした。彼女は「この人生を突然去ることではなく、主が私に天国を準備する期間を与えて下さった。」と言いながら感謝の心を表していました。それから彼女は数週間後、53歳の若さで天国へと旅立って行きましたが、私が見るには誰よりも自分の最後を良く備えていた人でした。
若い時に救われ、信仰生活に励んでいた義母は、その信仰によって最後の痛みを乗り越え勝利されました。しかし、その裏側には、シングルマザーとして3人の子どもを育て、時には挫折を経験されたと聞いています。妻のチャミは、お母さんがこの世で本当に不幸な出来事を多く経験し、「このまま人生の幕を下ろすのは哀れだ。」と語っているぐらいでした。 でも、クリスチャンである私たちには確信するみことばがあります。使徒パウロが言ったように、この世を去ってキリストと共にいることの方がはるかに望ましいと言うことです(ピリピ1:23)。世俗的に考えると少し変に聞こえますが、この地上で長生きするよりキリストと共にいる方がはるかにメリットがあると言う告白です。聖書はよく、「地上のものを思わず、上にあるものを思いなさい。」と教えています(コロサイ3:2)。 そして、詩編を読んでも、ヨハネの黙示を読んでも、その喜びを表す神の御前に集まる民の喜びを次々と垣間見ることが出来ます。詩編の著者は84:10で「まことに、あなたの大庭にいる日は、千日にまさります。」と告白しています。それはまさに、地上で自分が旅行したいTOP1000の場所を決めて歩き廻ることより、神の臨在に包まれ、その御前に出ることの方がはるかに勝ることであると断言しているのです。皆さんには、このような復活信仰があるでしょうか?
豊かになった最近では、教会の中でも復活や天国の希望を語ることが少ないですが、聖書信仰の中心はいつも復活信仰があることを覚えます。私たちが持つべき信仰は、主の使命を果たし、この地上で全てをささげ尽くすことです。同時に私たちの本当の希望は、いつも永遠なる神の安息に入ることではないでしょうか。このイースターにその復活の信仰を取り戻しましょう。
主任牧師:チョ・ドリュー
若い時に救われ、信仰生活に励んでいた義母は、その信仰によって最後の痛みを乗り越え勝利されました。しかし、その裏側には、シングルマザーとして3人の子どもを育て、時には挫折を経験されたと聞いています。妻のチャミは、お母さんがこの世で本当に不幸な出来事を多く経験し、「このまま人生の幕を下ろすのは哀れだ。」と語っているぐらいでした。 でも、クリスチャンである私たちには確信するみことばがあります。使徒パウロが言ったように、この世を去ってキリストと共にいることの方がはるかに望ましいと言うことです(ピリピ1:23)。世俗的に考えると少し変に聞こえますが、この地上で長生きするよりキリストと共にいる方がはるかにメリットがあると言う告白です。聖書はよく、「地上のものを思わず、上にあるものを思いなさい。」と教えています(コロサイ3:2)。 そして、詩編を読んでも、ヨハネの黙示を読んでも、その喜びを表す神の御前に集まる民の喜びを次々と垣間見ることが出来ます。詩編の著者は84:10で「まことに、あなたの大庭にいる日は、千日にまさります。」と告白しています。それはまさに、地上で自分が旅行したいTOP1000の場所を決めて歩き廻ることより、神の臨在に包まれ、その御前に出ることの方がはるかに勝ることであると断言しているのです。皆さんには、このような復活信仰があるでしょうか?
豊かになった最近では、教会の中でも復活や天国の希望を語ることが少ないですが、聖書信仰の中心はいつも復活信仰があることを覚えます。私たちが持つべき信仰は、主の使命を果たし、この地上で全てをささげ尽くすことです。同時に私たちの本当の希望は、いつも永遠なる神の安息に入ることではないでしょうか。このイースターにその復活の信仰を取り戻しましょう。
主任牧師:チョ・ドリュー