2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『説教について。』 牧師コーナー(7)
最初に私が神学校に行ったのは2003年の話です。 神学校で説教学のコースは、必須クラス1つと説教実践の機会のある選択肢の小預言者クラス1つを取っただけです。ですから説教についてそれほど深く学んだとは言えないと思います。しかし私が今、説教で実践している原理は、ほとんどがこの必須クラスで学んだことであります。その中でも私が受け取った最も重要とされる3つは、1)“あなたは毎回説教する時にキリストを伝えるのですPreach Christ every single time you preach”、2)“あなたが教えようとするのではなく、聖書箇所が会衆に語るように説教しなさいLet the text speak for itself”、3)“テーマ説教は年に数回して、普段は講解説教をしなさいPreach expositional sermons”と言うことでした。
18-19世紀のアメリカの神学の流れを見ると、奴隷制度を正当化するために聖書を偏った視点で見るような時代もありました。 21世紀に入ってはゲイ・レズビアンを正当化するために、「ダビデとヨナタンの友情やイエスと12弟子の関係は、互いを愛するゲイ関係であった。」と主張するグループが登場しています。 正直、聖書を部分的に切り取って説教するなら、何とでも言えるのが聖書です。 中には「神などいない」と無神論者が語る箇所もあります。ですから説教者にとって重要なのは、いつも自分が選びだした説教箇所から語るのではなく、‘与えられた箇所’から語ることです。毎日の早天祈祷会で、日々のみことばから説教されることは、そう言った意味で霊的に非常に健全的と言えます。長い系図もスキップすること無く、そのみことばが語る意味を考えさせられますから。
私は聖書全体が神の御心を語っていると信じています。ですから、牧師となって、もう10年以上経ちますが、牧師のキャリアーを通して聖書66巻全てからバランス良く説教出来ればと願っています。66巻の全ての章節を語るのは100年かかっても無理かも知れませんが、許されることなら全部やりたいと思います。そう言った意味で今、毎週やっている出エジプト記シリーズは意味があります。説教者が誰であれ、その日のために決められた箇所から説教者が神のみことばを語るからです。もちろん大体1章の内容をカバーしなければならないので全ての適用点に触れることは出来ませんが、その箇所を通して神が何を啓示なさろうとしたのかを分かち合うことになります。聖書の66巻のうち、一巻を決めて順番で講解説教をして行くのが、教会にとっては牧師が語りたがる箇所やメッセージを聞くのではなく、一番神の御心を知ることの出来る方法なのです。説教者の説教は、聖書を用いて自分が語りたいことを語る(Agenda Driven Sermons)のではなく、聖書が語ることを研究し、伝えることが真のメッセンジャーです。 これからも皆さんと一緒にみことばから教えられることを期待しています。
ともに仕える牧師 チョ・ドリュー
18-19世紀のアメリカの神学の流れを見ると、奴隷制度を正当化するために聖書を偏った視点で見るような時代もありました。 21世紀に入ってはゲイ・レズビアンを正当化するために、「ダビデとヨナタンの友情やイエスと12弟子の関係は、互いを愛するゲイ関係であった。」と主張するグループが登場しています。 正直、聖書を部分的に切り取って説教するなら、何とでも言えるのが聖書です。 中には「神などいない」と無神論者が語る箇所もあります。ですから説教者にとって重要なのは、いつも自分が選びだした説教箇所から語るのではなく、‘与えられた箇所’から語ることです。毎日の早天祈祷会で、日々のみことばから説教されることは、そう言った意味で霊的に非常に健全的と言えます。長い系図もスキップすること無く、そのみことばが語る意味を考えさせられますから。
私は聖書全体が神の御心を語っていると信じています。ですから、牧師となって、もう10年以上経ちますが、牧師のキャリアーを通して聖書66巻全てからバランス良く説教出来ればと願っています。66巻の全ての章節を語るのは100年かかっても無理かも知れませんが、許されることなら全部やりたいと思います。そう言った意味で今、毎週やっている出エジプト記シリーズは意味があります。説教者が誰であれ、その日のために決められた箇所から説教者が神のみことばを語るからです。もちろん大体1章の内容をカバーしなければならないので全ての適用点に触れることは出来ませんが、その箇所を通して神が何を啓示なさろうとしたのかを分かち合うことになります。聖書の66巻のうち、一巻を決めて順番で講解説教をして行くのが、教会にとっては牧師が語りたがる箇所やメッセージを聞くのではなく、一番神の御心を知ることの出来る方法なのです。説教者の説教は、聖書を用いて自分が語りたいことを語る(Agenda Driven Sermons)のではなく、聖書が語ることを研究し、伝えることが真のメッセンジャーです。 これからも皆さんと一緒にみことばから教えられることを期待しています。
ともに仕える牧師 チョ・ドリュー