川崎 教会 とりなしの祈り 家の教会

2025年 年間標語 年間標語「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア1章1~9節)


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『信じてみたいのに、信じられませんか』 牧師コーナー(695)

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 「信仰を持ちたいと願い、信仰を求める祈りもささげてみましたが無駄でした。」と言う人がいます。長い間教会に通っているにも関わらず、神の存在や自分がキリストによって救われたという確信が得られないまま悩んでいる人がいます。
 このような時に覚えておきたいのは、懐疑的になることや、疑う心が生まれること自体は間違っていないということです。性格によっては、すぐに信じられる人もいれば、何事も疑ってみる人もいます。疑い深い方は、時にその疑り深い性格によって悩むこともあります。ひどい時には「どうやら私はキリスト教の信仰とは合わないようだ」と思ったり、「私はこの教会とは合わないかもしれない」と簡単に結論づけて、教会や牧師から離れたりします。
 しかしこうなる理由は、たいてい信仰が感情的なものだと勘違いするからです。もちろん信仰を持つ人々が感情的に喜びを感じ、満たされる思いを味わいながら生きることは事実ですし、感情は人の気質と深く関わっているのも事実です。また、感情は変わりやすいため、感情を中心に判断すると失望するようになります。
 まず、信仰と懐疑的な思いは共存することがあると認める必要があります。むしろ、全く疑う心なく受け入れた信仰の方が健康的でない時もあり、苦難が訪れた時には崩れやすいこともあるからです。たえずしのび込む疑いを乗り越え、信仰に至る心こそ、本当の信仰だと言えるでしょう。
 信仰は、いつも信じようとする意志と決断から始まります。信じてみるという思いは、自分の足りなさを認めることです。自分の意志によっては自己を正すことができないということと、世の中には自分の力で成し遂げられないことが多いということを認める。つまり、弱い自分を認めつつ、自分よりはるかに偉大な方に人生を委ねてみようとする決断なのです。
 とはいえ、信じるに値するすべての証拠があるから、このような決断をするのではありません。むしろ信じるに値するたくさんの証拠があり証明されたとしても、それは事実や情報であって信仰の対象にはなりません。神様はすべてのものを用いてご自身を証明しようとはなさいません。なぜなら、愛の関係は常に証明される事実や情報により生まれるものではなく、信じると決心する時に生まれるからです。
 神様は「信じてみます」と決心するあなたを通して働かれます。そういうあなたに神を体験させ、主を味わい知らせます(詩篇34:8)。このような神の善を味わって受け入れた人こそ、人生のまことなる幸せを告白できるようになるのです。

趙 南洙師



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