2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『礼拝者の要点』 牧師コーナー(710)
神のみことばを伝える牧師は、説教によく耳を傾けてくれる信徒を尊く思います。神のみことばに耳を傾けることは、神さまを愛するという印だからです。また、日常の中でみことばを握り、実践しようと努力して歩む時、正しい信仰者としての成長の実を証することにもなります。
しかし、いかに素晴らしい説教を聴いても、みことばを心に刻み、決断しない限り成長の果は結ばれません。みことばを聴いて感動を受けるだけではなく、決断と日常での実践に繋がらなければなりません。
今日ではインターネットを通していつでも良い説教を聴くことができます。ですが、気をつけなければならないのは、良い説教をたくさん聴くことによって自分は霊的に成長したと思うことです。これは勘違いで、むしろ、霊的な成長を妨げるかもしれません。良い説教をたくさん聴いて、聖書の知識が多くなったことが、霊的な成長を意味するわけではありません。みことばを握って従うために、霊的な戦いをする実践がなければ、いかに素晴らしい説教をたくさん聴いても人生の歩みは変わらず、信仰も成長しません。みことばへの決断と従順なしに、ただ知識だけが増えると、霊的な成長どころか、むしろ霊的な肥満を引き起こして、高慢で批判的になってしまいがちです。
牧場の交わりでは主日の説教を分かち合う時間があります。担当者はまず説教を簡潔に要約し、それから各自が説教と結びつけて一週間の歩みと感謝を分かち合えたら良いです。ただし、注意すべき点が1つあります。説教の内容であれ、日々のみことばを通して黙想したことであれ、牧場の交わりでの分かち合いは、受けた恵みを分かち合うのではなく、みことばを通して示された自分の決断を分かち合うことです。小さなことでも、1週間の歩みの中で実践しようと努力してきた生活を分かち合うのです。ですから、牧場の交わりは「書かれたみことば」を学ぶ時間ではありません。各自の生活の中で「生きてきたみことば」を分かち合う時間です。
したがって、礼拝の中で説教を聴く時、自分に与えて下さるみことばの一つを握りしめることが大切です。そして、与えられたみことばに従いたいという具体的な決断をするのです。新しく始まる一週間の歩みの中で、与えられたみことばに生きたいと切に願い、そしてその思いで歩んできた一週間の生活を次の主日の礼拝に持ってきて、もう一度その週に与えられるみことばの前で決断するのです。 これが正しい礼拝者の姿勢であり、成長する歩みなのです。礼拝の要点は恵まれることに留まらず、恵みに応えて自分の人生をささげますという献身と決断をし、主イエス・キリストに似た者へと変えられることにあります。
しかし、いかに素晴らしい説教を聴いても、みことばを心に刻み、決断しない限り成長の果は結ばれません。みことばを聴いて感動を受けるだけではなく、決断と日常での実践に繋がらなければなりません。
今日ではインターネットを通していつでも良い説教を聴くことができます。ですが、気をつけなければならないのは、良い説教をたくさん聴くことによって自分は霊的に成長したと思うことです。これは勘違いで、むしろ、霊的な成長を妨げるかもしれません。良い説教をたくさん聴いて、聖書の知識が多くなったことが、霊的な成長を意味するわけではありません。みことばを握って従うために、霊的な戦いをする実践がなければ、いかに素晴らしい説教をたくさん聴いても人生の歩みは変わらず、信仰も成長しません。みことばへの決断と従順なしに、ただ知識だけが増えると、霊的な成長どころか、むしろ霊的な肥満を引き起こして、高慢で批判的になってしまいがちです。
牧場の交わりでは主日の説教を分かち合う時間があります。担当者はまず説教を簡潔に要約し、それから各自が説教と結びつけて一週間の歩みと感謝を分かち合えたら良いです。ただし、注意すべき点が1つあります。説教の内容であれ、日々のみことばを通して黙想したことであれ、牧場の交わりでの分かち合いは、受けた恵みを分かち合うのではなく、みことばを通して示された自分の決断を分かち合うことです。小さなことでも、1週間の歩みの中で実践しようと努力してきた生活を分かち合うのです。ですから、牧場の交わりは「書かれたみことば」を学ぶ時間ではありません。各自の生活の中で「生きてきたみことば」を分かち合う時間です。
したがって、礼拝の中で説教を聴く時、自分に与えて下さるみことばの一つを握りしめることが大切です。そして、与えられたみことばに従いたいという具体的な決断をするのです。新しく始まる一週間の歩みの中で、与えられたみことばに生きたいと切に願い、そしてその思いで歩んできた一週間の生活を次の主日の礼拝に持ってきて、もう一度その週に与えられるみことばの前で決断するのです。 これが正しい礼拝者の姿勢であり、成長する歩みなのです。礼拝の要点は恵まれることに留まらず、恵みに応えて自分の人生をささげますという献身と決断をし、主イエス・キリストに似た者へと変えられることにあります。
趙 南洙師