2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『あなたの神様は三番目の待機者ではありませんか。』 牧師コーナー(722)
毎週の牧師コラムを楽しみにしてくださる信徒の方々がおられ、また牧場の交わりで話題になる時があると聞きます。ですから、私にとって毎週の週報に掲載するコラムを書くことは、とても喜びであり、感謝な奉仕です。
それだけでなく、信徒の皆さんと牧会者の考えや心を分かち合うことは何より大切なことだと思っています。そのため、一週間の黙想を通して感じたことを文章に表現してきました。文章は学びや人生の歩みが反映され生まれるものですが、時には多くの本を通して賢者の知恵を得たり、同じような悩みや課題を抱える牧師からの助言を参考にしたりすることもあります。今日はアメリカで仕えているある牧会者の言葉を引用して共有したいと思います。
あなたの人生において、一番目が自分のしたいことで、二番目がしなければならないこと、そして三番目が神様との交わりになっていませんか。私たちの人生を振り返ってみましょう。したいことをすべてして、しなければならないこともすべて終えて、その後、もし余裕ができたら神様との時間を持つ…ということになっていませんか。そうであれば、あなたにとって神様はいつも三番目の待機者になっているということです。
困難なことが起こったときも神様は三番目です。自分の力で一度試して、それでもだめなら周りの人々の助けを求めて、それでもだめなら、その時ようやく神様を求めます。そうであるならあなたの神様は三番目の存在だということです。
関わりの距離感についても神様は三番目です。自分に一番近い存在は自分自身で、その次が自分の気持ちを理解してくれる人、その次になって遠い天におられる神様なのではありませんか。そうであるなら、あなたの神様はいつも三番目の存在です。
それでも神様は私のことを一番目にしてくださいます。何があったとしても、私が求めたときには助けてくださいます。私が苦しんでいるときは、何があってもまず駆けつけてくださいます。私のそばには誰もいないと感じるとき、神様だけはいつも私のそばで慰めてくださいます。神様にとっては私がいつも一番目です。
私たちも神様のことを一番目にしたいと思います。他のことはすべて置いて、まず神様と交わり、小さな困難が訪れるたびに助けを求めるのも、まず神様であってほしいと思います。常に私のことを一番目にしてくださる神様を、私も一番目にして生きましょう。
「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイの福音書6:33)
それだけでなく、信徒の皆さんと牧会者の考えや心を分かち合うことは何より大切なことだと思っています。そのため、一週間の黙想を通して感じたことを文章に表現してきました。文章は学びや人生の歩みが反映され生まれるものですが、時には多くの本を通して賢者の知恵を得たり、同じような悩みや課題を抱える牧師からの助言を参考にしたりすることもあります。今日はアメリカで仕えているある牧会者の言葉を引用して共有したいと思います。
あなたの人生において、一番目が自分のしたいことで、二番目がしなければならないこと、そして三番目が神様との交わりになっていませんか。私たちの人生を振り返ってみましょう。したいことをすべてして、しなければならないこともすべて終えて、その後、もし余裕ができたら神様との時間を持つ…ということになっていませんか。そうであれば、あなたにとって神様はいつも三番目の待機者になっているということです。
困難なことが起こったときも神様は三番目です。自分の力で一度試して、それでもだめなら周りの人々の助けを求めて、それでもだめなら、その時ようやく神様を求めます。そうであるならあなたの神様は三番目の存在だということです。
関わりの距離感についても神様は三番目です。自分に一番近い存在は自分自身で、その次が自分の気持ちを理解してくれる人、その次になって遠い天におられる神様なのではありませんか。そうであるなら、あなたの神様はいつも三番目の存在です。
それでも神様は私のことを一番目にしてくださいます。何があったとしても、私が求めたときには助けてくださいます。私が苦しんでいるときは、何があってもまず駆けつけてくださいます。私のそばには誰もいないと感じるとき、神様だけはいつも私のそばで慰めてくださいます。神様にとっては私がいつも一番目です。
私たちも神様のことを一番目にしたいと思います。他のことはすべて置いて、まず神様と交わり、小さな困難が訪れるたびに助けを求めるのも、まず神様であってほしいと思います。常に私のことを一番目にしてくださる神様を、私も一番目にして生きましょう。
「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイの福音書6:33)
趙 南洙師