2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『苦難に直面して悩んでいるなら』 牧師コーナー(743)
苦難に直面すると、その困難な状況からひとまず逃れたいと思うことがあるかもしれません。聖書でも、主が私たちを耐えられない試練にあわせることはなく、むしろ耐えられるように神が脱出の道をも備えてくださると教えていますので、ひとまず逃れたいと思うことは誤ってはいないのかもしれません。しかし、どうして神を信じる者に耐え難い苦難が訪れるのでしょうか? いくつかの理由があると思いますが、簡潔にまとめてみると三つのことで説明できると思います。
第一に、何よりサタンによる霊的攻撃のゆえにです。この世はサタンの支配下にあり、それまで支配下にいた人間がイエス様を信じようとする時、サタンはそのままにしておくことはしません。信じることができないように妨害したり、信仰生活に目が向かないように職場の上司や同僚を通して人間関係をこじらせたり、周りの人々を扇動して揶揄し、あざ笑うように仕向けたり、信仰に関心を持たせないようにします。それでも人がイエス様を受け入れようとすると、事故や災難を招き、神に対する疑いの思いを与え、信仰から離れさせようとしたり、教会を去らせたりするように誘導します。
第二に、イエス様の似姿に変えられていくためです。投げ技が多い柔道を始め、全ての格闘技で共通する、はじめに学ばなければならない技があります。それは、「受け身」という技です。受け身とは、相手から床に叩きつけられる攻撃で、受けるダメージを軽減するための技です。入門者は怪我を防ぐために、この受け身を多くの時間を費やして学びます。そして上級者であっても、常に実戦と同じように稽古を通して多くの経験(練習)を重ねていきます。イエス様の弟子になるのも同じです。聖書を学ぶだけでは弟子になることはできません。環境や周りの人々を通して経験する困難や苦痛を伴う訓練により、イエス様の似姿に変えられていくのです。
第三に、霊的に勝利するためです。多くの場合、霊的戦いは苦難を通してのみ勝利を得ることができます。イエス様も十字架の苦しみと死を通して、罪と病と悪霊と死を征服されました。旧約聖書の義人ヨブも、神の真実さを証しするために理由もわからない苦難を受けました。同じように、イエス様を真実に信じる者が理由もわからず苦難を受けるのは、こういう霊的戦いを闘っているからではないかと思います。
当然のことですが、苦難そのものは決して楽しいものではありません。恐ろしくて避けたいものです。しかし、神様は私たちに耐えられない苦難にあわせないと約束してくださいました。そして、耐えられるように試練と共に脱出の道を備えてくださるとも約束してくださいました(Iコリント 10:13)。このような約束があるからこそ、苦難の理由が何であれ、私たちは最後まで耐えることができ、堂々と立ち向かうことができるのです。
第一に、何よりサタンによる霊的攻撃のゆえにです。この世はサタンの支配下にあり、それまで支配下にいた人間がイエス様を信じようとする時、サタンはそのままにしておくことはしません。信じることができないように妨害したり、信仰生活に目が向かないように職場の上司や同僚を通して人間関係をこじらせたり、周りの人々を扇動して揶揄し、あざ笑うように仕向けたり、信仰に関心を持たせないようにします。それでも人がイエス様を受け入れようとすると、事故や災難を招き、神に対する疑いの思いを与え、信仰から離れさせようとしたり、教会を去らせたりするように誘導します。
第二に、イエス様の似姿に変えられていくためです。投げ技が多い柔道を始め、全ての格闘技で共通する、はじめに学ばなければならない技があります。それは、「受け身」という技です。受け身とは、相手から床に叩きつけられる攻撃で、受けるダメージを軽減するための技です。入門者は怪我を防ぐために、この受け身を多くの時間を費やして学びます。そして上級者であっても、常に実戦と同じように稽古を通して多くの経験(練習)を重ねていきます。イエス様の弟子になるのも同じです。聖書を学ぶだけでは弟子になることはできません。環境や周りの人々を通して経験する困難や苦痛を伴う訓練により、イエス様の似姿に変えられていくのです。
第三に、霊的に勝利するためです。多くの場合、霊的戦いは苦難を通してのみ勝利を得ることができます。イエス様も十字架の苦しみと死を通して、罪と病と悪霊と死を征服されました。旧約聖書の義人ヨブも、神の真実さを証しするために理由もわからない苦難を受けました。同じように、イエス様を真実に信じる者が理由もわからず苦難を受けるのは、こういう霊的戦いを闘っているからではないかと思います。
当然のことですが、苦難そのものは決して楽しいものではありません。恐ろしくて避けたいものです。しかし、神様は私たちに耐えられない苦難にあわせないと約束してくださいました。そして、耐えられるように試練と共に脱出の道を備えてくださるとも約束してくださいました(Iコリント 10:13)。このような約束があるからこそ、苦難の理由が何であれ、私たちは最後まで耐えることができ、堂々と立ち向かうことができるのです。
趙 南洙師