2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『聖霊体験』 牧師コーナー(750)
使徒パウロがエペソを訪れたとき、すでにアポロを通してイエス様を信じている人々がいました。それでパウロは彼らに「信じたとき、聖霊を受けましたか」と質問しました。彼らは意外にも「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と答えました。
もし、使徒パウロが今私たちに同じ質問するとしたら、皆さんはどう答えますか?少し残念な気持ちになりますが、クリスチャンでも聖霊について知らない方もおられるかもしれません。
聖霊様は生ける神の霊です。そして聖霊様が私たちを導いてくださるとき、私たちは聖霊の感動を受けて悟りを得る聖霊体験をすることができます。もちろん、感動や悟りそのものが聖霊ではありません。それは聖霊による贈り物、すなわち、賜物のような体験といえます。
聖霊体験は大きく分けて二つの形で現れると言えます。一つは、超自然的な聖霊体験。もう一つは、自然的な聖霊体験です。超自然的な聖霊体験は、霊によって祈る異言、悪霊を追い出す力、病を癒す賜物などを通して聖霊を体験するものです。しかし、このような神秘的な体験だけが聖霊体験とはいえません。自然的な聖霊体験もあって、それは私たちの人格(知性、感情、意志)を通した聖霊体験を指します。
例えば、何よりもイエス様を救い主として信仰告白できることが聖霊体験です。2000年前にこの世に来られて、罪がないにもかかわらず十字架で処刑されたその方が、私たちの罪を含めて、絶望的な人類の未来を救うために代わりに死なれたこと。そして、その方が再びよみがえられたという復活の事実を理解し、信じられることこそ、聖霊体験と言えます。
また、心配や恐れにとらわれている方が「神様が共におられるから全てのことが共に働いて益となる」と信じて、平安が与えられるのも聖霊体験と言えます。なぜなら、このような体験は人が努力して得られるものではないからです。それだけでなく、誰からも認められなくても黙々と奉仕を続けることも聖霊の慰めのゆえにできることですから、これもまた聖霊体験と言えるでしょう。
超自然的であれ自然的であれ、このような体験をするのは、聖霊様の実体を体験することで、全てを治めておられる主なる聖霊の導きの中で生きていくためです。聖霊体験はとても大切なことですから、ぜひ慕い求めてください。
もし、使徒パウロが今私たちに同じ質問するとしたら、皆さんはどう答えますか?少し残念な気持ちになりますが、クリスチャンでも聖霊について知らない方もおられるかもしれません。
聖霊様は生ける神の霊です。そして聖霊様が私たちを導いてくださるとき、私たちは聖霊の感動を受けて悟りを得る聖霊体験をすることができます。もちろん、感動や悟りそのものが聖霊ではありません。それは聖霊による贈り物、すなわち、賜物のような体験といえます。
聖霊体験は大きく分けて二つの形で現れると言えます。一つは、超自然的な聖霊体験。もう一つは、自然的な聖霊体験です。超自然的な聖霊体験は、霊によって祈る異言、悪霊を追い出す力、病を癒す賜物などを通して聖霊を体験するものです。しかし、このような神秘的な体験だけが聖霊体験とはいえません。自然的な聖霊体験もあって、それは私たちの人格(知性、感情、意志)を通した聖霊体験を指します。
例えば、何よりもイエス様を救い主として信仰告白できることが聖霊体験です。2000年前にこの世に来られて、罪がないにもかかわらず十字架で処刑されたその方が、私たちの罪を含めて、絶望的な人類の未来を救うために代わりに死なれたこと。そして、その方が再びよみがえられたという復活の事実を理解し、信じられることこそ、聖霊体験と言えます。
また、心配や恐れにとらわれている方が「神様が共におられるから全てのことが共に働いて益となる」と信じて、平安が与えられるのも聖霊体験と言えます。なぜなら、このような体験は人が努力して得られるものではないからです。それだけでなく、誰からも認められなくても黙々と奉仕を続けることも聖霊の慰めのゆえにできることですから、これもまた聖霊体験と言えるでしょう。
超自然的であれ自然的であれ、このような体験をするのは、聖霊様の実体を体験することで、全てを治めておられる主なる聖霊の導きの中で生きていくためです。聖霊体験はとても大切なことですから、ぜひ慕い求めてください。
趙 南洙師