川崎 教会 とりなしの祈り 家の教会

2025年 年間標語 年間標語「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア1章1~9節)


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『教会の聖餐式について』 牧師コーナー(810)

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 教会の聖餐式については、大きく分けて三つの意見があります。カトリック教会では、神父がパンと杯を前に祈ると、そのパンとぶどう酒が実際にキリストの肉と血に変わると考えます。16世紀に宗教改革を主導したマルティン・ルターも、ほぼ同じ考えを持っていました。しかし、同時代を生きたツヴィングリは別の考えを主張しました。パンとぶどう酒は、キリストが私たちのために死なれたこと、そして私たちのいのちの源であられることを象徴するにすぎない、というのです。
 ところが、同じく宗教改革の先駆者であったカルヴァンは、さらに別の立場を取りました。パンとぶどう酒がキリストの肉と血に変わるわけではなく、それはキリストの死と復活を象徴するものであるが、そのパンとぶどう酒の中にキリストの臨在がある、という考えです。私もカルヴァンの見解が最も聖書的だと思います。私たちがイエス様を自分の主として受け入れたとき、外見上は何も変わらないように見えても、私たちには聖霊が臨まれ、神の霊が宿る神殿となります。
 同じように、聖餐式でパンとぶどう酒を前にして祈るとき、その中にキリストの臨在があると信じます。ですから、聖餐式で食べ、飲むパンとぶどう酒は、私たちに霊的な力を与え、癒しの働きをもたらす媒介となると考えます。このような理由から、私たちは聖餐式をとても重要視すべきです。
 受難週の金曜日の聖餐式であれば、キリストの死を思い起こし、厳粛で敬虔な雰囲気の中で行う必要があるでしょう。しかし、日常の主日礼拝で行う聖餐式であれば、もっと明るく喜びに満ちた心で臨むのが良いと思います。それは、復活されたイエス様に焦点を合わせ、聖餐式を祝う気持ちで受けるということです。
 主の聖餐に不思議な力があることは、コリント第一の手紙11章29〜30節を見れば分かります。そこには、聖餐式に正しい心で臨まなかったために死に至った人々の話が記されています。ですから、私たちは聖餐式に敬虔な心で備えて臨み、感謝と喜びをもって受けなければなりません。

趙 南洙師



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