川崎 教会 とりなしの祈り 家の教会

2025年 年間標語 年間標語「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア1章1~9節)


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『疑いを克服する信頼の再確認(再掲載)』 牧師コーナー(819)

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 人は疑いを抱かずには生きられません。とはいえ、疑い始めるときりがありません。ある知識を得るための疑い続ける姿勢は、探求者としては必要なことかもしれません。しかし、信頼を築き上げていく人間関係においては、互いの関係を破壊する非常に致命的なものです。時には損をしたくないから、または騙されたくないから疑うこともあるでしょう。しかし、疑いを持ち始めると人を信じられなくなって、むしろ自分がもっと苦しい思いをするかもしれません。
 私たちクリスチャンは疑いによってではなく、信仰によって生きるべきであると誰もが知っています。またその信仰も、可能な限り確信に満ちた信仰、つまり、どのような環境や条件に置かれていても、揺るがない信仰によって生きるのが重要であると知っています。
 しかし、マルティン・ルターのような宗教改革を成し遂げた偉大な信仰者でさえ、一時的にある疑いにとらわれ、すべての計画を諦めようとしたことがあったと言います。ですから、信仰によって生きるクリスチャンに疑う思いが生じることは、珍しいことではありません。
 ただし注意すべきことは、疑いが生じることと信仰を離れることは別だということです。私たちはさまざまな状況で生じる疑いを克服し、信仰により勝利しなければなりません。疑いと信仰は対極の概念のように見えますが、実はそうではありません。例えば、律法と恵みが対極の概念ではなく、律法が私たちを恵みへと導いてくれるように、疑いもまた、私たちを信仰へと導く過程になることを覚えておくべきです。むしろ、最初から一度も疑うことなく信仰に導かれるほうが珍しいことなのです。疑いがあるからこそ、私たちは信仰を持っているのです。
 特に信仰によって生きようとする人に疑いが生じるのは、望んでいなかった苦しい困難に直面した時が多いようです。避けたい困難が訪れると、納得しがたく、受け入れられない時が多いものです。このような時、信じる人にも疑いが生じます。
 バプテスマのヨハネも牢屋に閉じ込められた時、イエス様がまことのメシアなのかを疑いました。イエスはまことのメシアだと確信し、宣べ伝えたヨハネでさえ、一時的に疑い、イエス様に確認を求めたことがあったのです。しかし、ヨハネはイエス様の答えを聞いて疑いを克服し、殉教の道を歩みました。疑いを克服する信頼の再確認こそ、信仰に導く重要な要素なのです。ですから疑いが生じる時には毎週の礼拝と牧場の交わりを通して、神様との信頼関係を再確認する直接的・間接的な神体験をすることを願います。

趙 南洙師



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