2025年 年間標語 年間標語「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア1章1~9節)
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『幸福度は期待値と深く関係しています』 牧師コーナー(827)
ブータンという小さな国は、「幸福度世界一」として知られています。これは、2011年に行われたブータン政府独自の調査による肯定的回答率(97%)と、国民総幸福量(Gross National Happiness)という多次元的な統計アプローチに基づいて発表されたものだそうです。しかし近年では、インターネットの普及や都市化による比較意識の拡大、経済発展による格差などの影響で、幸福度の順位が急激に下落した(国連調査では95位)と伝えられています。
アメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコで、ゴールデンゲートブリッジを渡り、北へ約23km進んだミルバレー(Mill Valley)という地域は、魅力的な自然景観、豊かな文化芸術、そして高水準の住宅環境を誇り、プールやテニスコート付きの贅沢な住宅が多いことで有名です。ところが驚くべきことに、その地域はアメリカ全土の中でも自殺率が最も高い地域の一つだと言われています。
幸福は、人生に対する期待値と深く関係していると思います。多くを期待する人は不幸になりやすく、少ししか期待しない人は幸福を感じやすいのです。C・S・ルイスは、人生の幸福は「人生をホテルとして見るか、捕虜収容所として見るかにかかっている」と語りました。人生をホテルだと思えば、些細な不便も不満になります。人生を捕虜収容所だと思えば、それはむしろ非常に快適な場所になります。
私は、幸福度が比較的高いほうだと思っています。それは、幼い頃の苦労の記憶が今も鮮明に残っているからです。中学生の頃、私の家は火事に遭い、破産するほどの状況に陥りました。そのような家庭で育ったため、食べ物は不足し、中学生でありながら働かなければ学校に通うことができませんでした。また、小さな部屋で八人の家族が身を寄せ合って眠っていた記憶も、今なおはっきりと残っています。だからこそ、どんな食べ物でも空腹にならずに食べられること自体が感謝であり、どのような環境でも眠れる寝床があることに感謝しています。
その意味で、今の若者たちは、苦労の多かった親の世代ほど幸福を感じにくいのではないかと思います。多くのものを持ってはいますが、貧しさや空腹を経験したことがないため、所有しているものに対する感謝を感じにくいからです。
霊的な面でも同じことが言えるでしょう。感謝しながら信仰生活を過ごす人がいる一方で、不平を言いながら信仰生活を送る人もいます。その違いも期待値の違いから来るものだと思います。自分が受けている祝福や、仕えることのできる奉仕の機会を恵みとして受け止める人は感謝するでしょう。しかし、それを当然の権利だと考える人は、不平を言いながら信仰生活を送ることになるのです。
アメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコで、ゴールデンゲートブリッジを渡り、北へ約23km進んだミルバレー(Mill Valley)という地域は、魅力的な自然景観、豊かな文化芸術、そして高水準の住宅環境を誇り、プールやテニスコート付きの贅沢な住宅が多いことで有名です。ところが驚くべきことに、その地域はアメリカ全土の中でも自殺率が最も高い地域の一つだと言われています。
幸福は、人生に対する期待値と深く関係していると思います。多くを期待する人は不幸になりやすく、少ししか期待しない人は幸福を感じやすいのです。C・S・ルイスは、人生の幸福は「人生をホテルとして見るか、捕虜収容所として見るかにかかっている」と語りました。人生をホテルだと思えば、些細な不便も不満になります。人生を捕虜収容所だと思えば、それはむしろ非常に快適な場所になります。
私は、幸福度が比較的高いほうだと思っています。それは、幼い頃の苦労の記憶が今も鮮明に残っているからです。中学生の頃、私の家は火事に遭い、破産するほどの状況に陥りました。そのような家庭で育ったため、食べ物は不足し、中学生でありながら働かなければ学校に通うことができませんでした。また、小さな部屋で八人の家族が身を寄せ合って眠っていた記憶も、今なおはっきりと残っています。だからこそ、どんな食べ物でも空腹にならずに食べられること自体が感謝であり、どのような環境でも眠れる寝床があることに感謝しています。
その意味で、今の若者たちは、苦労の多かった親の世代ほど幸福を感じにくいのではないかと思います。多くのものを持ってはいますが、貧しさや空腹を経験したことがないため、所有しているものに対する感謝を感じにくいからです。
霊的な面でも同じことが言えるでしょう。感謝しながら信仰生活を過ごす人がいる一方で、不平を言いながら信仰生活を送る人もいます。その違いも期待値の違いから来るものだと思います。自分が受けている祝福や、仕えることのできる奉仕の機会を恵みとして受け止める人は感謝するでしょう。しかし、それを当然の権利だと考える人は、不平を言いながら信仰生活を送ることになるのです。
趙 南洙師
