2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『ネットの評価に揺れてはならない』 牧師コーナー(60)
先週テクノロジーを友達にしようとコラムを書きましたが、今週は一つだけ注意すべきことをお伝えします。インターネットは今では日常に欠かすことの出来ないとても便利な道具になっています。しかし、インターネットにはいろんな落とし穴があります。もちろんネットでニュース記事を読んでいると私たちをいろんな方向に誘惑する記事や宣伝が沢山あります。正直子供を持つ親としては一日も早く、国がこれらを厳しく規制することを願っています。でも、インターネットのSNSはもう一つの危険性を持っています。それは誤解、自己嫌悪、また他人への怒りを覚えることの出来るツールになることです。
最近のスマホはほとんど通知機能があり、メールが飛んでくるとすぐに音と共に知らせてくれます。専門家によると、テキストメッセージやショートメール、またFacebookのコメント通知音は私たちの体を少し興奮させるアドレナリン物質のあるドーパミンを放出するそうです。つまり、誰かから連絡が来ること自体に、何らかの肯定的な反応を見せることになると思われます。Facebookで私たちの友達が‘いいね’を押してくれたり、また励ましのコメントを残してくれたりするのはとても心の癒しになります。でも、もし誰かが皆さんを批判するメールやコメントを載せたとしましょう。皆さんの心はどうなると思いますか?最初は“そんなこと気にしない!”と思いながらも、どうしても気になるのがネット上の記載です。それは不思議に一度読んで、二度三度考えさせる効力があるからです。だから、これらの受け取り方によっては人を自殺に陥れるような衝動まで与えるのです。
最近日本のリアリティー番組の女優が自分の命を絶ちました。報道によるとその主な原因は視聴者たちから寄せられた批判の投稿に苦しんでいたことだと言います。なぜ人はそれだけネット上の人々の評価に左右されるのでしょうか?人には皆“認められたい”、“好かれたい”と言う欲が非常に強くあります。クリスチャンであっても、SNSで自分が言ったことをスルーされたり、Facebookでも誰も‘いいね’を押してくれないことに非常に気を落とす人もいるでしょう。しかし、私たちがまず覚えるべきことは、‘私たちはイエスキリストにあって、神様に完全に愛され、完全に受け入れられた存在である’と言う事実です。インターネットが普及される前の時代は神の愛、また家族や周りの友人の愛情だけでも幸せを感じたかも知れません。でも、今ではSNSで皆から愛されなきゃいけないと言うような妙な空気があります。もちろん、SNSを通して私たちは主の愛を分かち合うべきです。でも、それにあまり期待しすぎると私たちの自我EGOは酷く傷つきます。皆さん、インターネットSNSを正しく使うには福音メッセージを離さないことは重要です。そしてインターネットを自分のアピールして人々から愛されるツールと言うより、愛と祝福を与えるツールとして使って行きましょう。
チョ・ドリュー
最近のスマホはほとんど通知機能があり、メールが飛んでくるとすぐに音と共に知らせてくれます。専門家によると、テキストメッセージやショートメール、またFacebookのコメント通知音は私たちの体を少し興奮させるアドレナリン物質のあるドーパミンを放出するそうです。つまり、誰かから連絡が来ること自体に、何らかの肯定的な反応を見せることになると思われます。Facebookで私たちの友達が‘いいね’を押してくれたり、また励ましのコメントを残してくれたりするのはとても心の癒しになります。でも、もし誰かが皆さんを批判するメールやコメントを載せたとしましょう。皆さんの心はどうなると思いますか?最初は“そんなこと気にしない!”と思いながらも、どうしても気になるのがネット上の記載です。それは不思議に一度読んで、二度三度考えさせる効力があるからです。だから、これらの受け取り方によっては人を自殺に陥れるような衝動まで与えるのです。
最近日本のリアリティー番組の女優が自分の命を絶ちました。報道によるとその主な原因は視聴者たちから寄せられた批判の投稿に苦しんでいたことだと言います。なぜ人はそれだけネット上の人々の評価に左右されるのでしょうか?人には皆“認められたい”、“好かれたい”と言う欲が非常に強くあります。クリスチャンであっても、SNSで自分が言ったことをスルーされたり、Facebookでも誰も‘いいね’を押してくれないことに非常に気を落とす人もいるでしょう。しかし、私たちがまず覚えるべきことは、‘私たちはイエスキリストにあって、神様に完全に愛され、完全に受け入れられた存在である’と言う事実です。インターネットが普及される前の時代は神の愛、また家族や周りの友人の愛情だけでも幸せを感じたかも知れません。でも、今ではSNSで皆から愛されなきゃいけないと言うような妙な空気があります。もちろん、SNSを通して私たちは主の愛を分かち合うべきです。でも、それにあまり期待しすぎると私たちの自我EGOは酷く傷つきます。皆さん、インターネットSNSを正しく使うには福音メッセージを離さないことは重要です。そしてインターネットを自分のアピールして人々から愛されるツールと言うより、愛と祝福を与えるツールとして使って行きましょう。
チョ・ドリュー