2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『礼拝を捧げる心の中心』 牧師コーナー(60)
創造主なる私たちの主は、いと高き方であり全ての栄光と誉れを受けるに等しい方です。 礼拝とは英語でWorshipと言いますがそれは元々Worth“価値”のあるものを褒め称えることから由来しています。 私たちが毎週礼拝を捧げるのは主の素晴らしさを讃えることであり私たちにとっては喜びの時間です。
イスラエルがエジプトから救われたことも主を礼拝出来る民になるためでした(出エジプト8:1)。天国を見上げると新約教会がこの世から召されたのは、主を共に褒め称えるためだと知ることが出来ます(黙示録5:11、7:9)。私は良くバスケットボールのスーパープレーを見た時、“凄い!”と言いながら一人で熱狂する時があります。皆さんも、自分が好きなスポーツ選手やもしくは俳優がテレビに映る時に一人で応援したい気持ちで心が高まることがあると思います。これらと比較するには次元の違う話ですが、天の御座の前で主を賛美する天使たちは“聖なる聖なる聖なる、万軍の主!”に見惚れて無我夢中で賛美をしているのが分かります。
皆さんが偉い人の前で歌の発表をするならどんな備えをするでしょうか?また皆さんが偉い人にプレゼントを渡すならどんな用意されたものを捧げるでしょうか?私たちの賛美や御言葉を聞く姿勢は、全て私たちの造り主の価値を表すものであります。礼拝に関して詩篇33:3は、主に賛美するときは“巧みに弦をかき鳴らせ”と言う表現があります。巧みとは英語でSkillfully(技術を上げ)と言う訳になります。“主に技術の高い賛美を捧げなさい!” だからと言って私たちが皆プロのように演奏し、歌うべきだと言うことではありません。でも、それぞれがベストを尽くして礼拝に備え、捧げる必要性を教えてくれる箇所でもあります。なぜなら、主はそれ以上に価値のある方だからです。礼拝堂での礼拝に戻る方々、また続けてネットで礼拝をする方々、今一度私たちの礼拝の姿勢を整えましょう。
これだけいと高き方が2000年前、御子イエスキリストとしてこの地上に来られました。そして、その価値あるいのちを捨て私たちを永遠の裁きから救って下さいました。この方こそ私たちの礼拝を受けるに相応しい方であられます。 ‘私が捧げられるベストな礼拝とは何か’を考えて見ましょう。特に、礼拝奉仕に携わる奉仕者たちももう一度その仕える姿勢を整えて見ましょう。礼拝受付、案内係、賛美チーム、PAチーム、また御言葉を準備する者が皆主の栄光をあらわす礼拝を備え、捧げられることを願います。
チョ・ドリュー
イスラエルがエジプトから救われたことも主を礼拝出来る民になるためでした(出エジプト8:1)。天国を見上げると新約教会がこの世から召されたのは、主を共に褒め称えるためだと知ることが出来ます(黙示録5:11、7:9)。私は良くバスケットボールのスーパープレーを見た時、“凄い!”と言いながら一人で熱狂する時があります。皆さんも、自分が好きなスポーツ選手やもしくは俳優がテレビに映る時に一人で応援したい気持ちで心が高まることがあると思います。これらと比較するには次元の違う話ですが、天の御座の前で主を賛美する天使たちは“聖なる聖なる聖なる、万軍の主!”に見惚れて無我夢中で賛美をしているのが分かります。
皆さんが偉い人の前で歌の発表をするならどんな備えをするでしょうか?また皆さんが偉い人にプレゼントを渡すならどんな用意されたものを捧げるでしょうか?私たちの賛美や御言葉を聞く姿勢は、全て私たちの造り主の価値を表すものであります。礼拝に関して詩篇33:3は、主に賛美するときは“巧みに弦をかき鳴らせ”と言う表現があります。巧みとは英語でSkillfully(技術を上げ)と言う訳になります。“主に技術の高い賛美を捧げなさい!” だからと言って私たちが皆プロのように演奏し、歌うべきだと言うことではありません。でも、それぞれがベストを尽くして礼拝に備え、捧げる必要性を教えてくれる箇所でもあります。なぜなら、主はそれ以上に価値のある方だからです。礼拝堂での礼拝に戻る方々、また続けてネットで礼拝をする方々、今一度私たちの礼拝の姿勢を整えましょう。
これだけいと高き方が2000年前、御子イエスキリストとしてこの地上に来られました。そして、その価値あるいのちを捨て私たちを永遠の裁きから救って下さいました。この方こそ私たちの礼拝を受けるに相応しい方であられます。 ‘私が捧げられるベストな礼拝とは何か’を考えて見ましょう。特に、礼拝奉仕に携わる奉仕者たちももう一度その仕える姿勢を整えて見ましょう。礼拝受付、案内係、賛美チーム、PAチーム、また御言葉を準備する者が皆主の栄光をあらわす礼拝を備え、捧げられることを願います。
チョ・ドリュー