2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
『地上に完璧な教会などない』 牧師コーナー(63)
去年私たちの教会を訪問したある信徒と交わる機会がありました。その信徒はいろんな良い聖書的な教会観を持っていました。教会では誰も差別されることなく平等に扱われ、また互いへの愛であふれるべきだと言いました。牧師は聖書を忠実に教え、人々を愛で牧会し、人々を強制的に奉仕させず、まずは牧師がイエスキリストを現す模範として生きるべきだと言いました。そして、信徒は互いに愛し合い、赦し合い、また犠牲を払って教会を支えて行くべきだと言いました。私もその教会観に100%同意しました。
でも、私が同意出来なかったのはそこからの展開でした。その信徒はその基準を持って一度だけ訪問した私たちの教会を批判し始めたのです。信徒が牧師を“先生”と呼ぶことは教会内に階級制を設けることで、純粋な兄弟愛を壊すことだと言い始め、教会が信徒に献金促したり、奉仕順番を決めて奉仕させたりするのは律法主義だとも言いました。信徒全員が新来者に対して笑顔で挨拶しないのも愛が足りないとか、それを指摘していない牧師も実は親しめない存在ではないかと批判は続きました。それをそのまま聞いていた私がその信徒に聞きました。“あなたはあなたが夢見るような教会に行った経験がありますか?”その信徒は何も答えませんでした。私はもう一つの質問をしました。“あなたが牧師だったら、そんな理想の教会を始められるでしょうか?”
私は5年半前に新しい教会を始めたことの経験のある牧師ですが、どんなに聖書的教会観を持って教会をスタートさせても、理想の教会の姿を作り上げるのは難しいことです。現実はそんなあまくありません。不完全であることを正当化したくありませんが、もし、1世紀の使徒たちが建てた教会に問題があったなら、21世紀にある私たちの教会内に問題があるのも当然のことです。皆さんに完璧な配偶者がいますか?皆さんに完璧な子供たちがいますか?皆さんに完璧な同僚や友人たちがいますか?完璧な人がいたら紹介して頂きたいです。でも、まだ罪が残っているこの世であれば教会も完璧な所はありません。
私たちにとって重要なのは、理想を求めいつも失望することではなく、理想を持って実践に移すことです。聖書は教会から満足を得なさいより教会を愛するように教えています。教会が温かくなって欲しい人は教会で温かい人になって下さい。教会が寛容であって欲しいと思う人は寛容さを分かち合って下さい。教会がもっと明るくなって欲しいと思う人は明るく礼拝し明るく挨拶をして下さい。この地上に完璧な教会はありません。それでも、主イエスキリストはその教会のかしらであり、弱い教会を用いられます。私たちも愛の実践を通して共に教会の成長を経験しましょう。
チョ・ドリュー