2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
『75年を経て』牧師コーナー(67)
8月15日に日本は終戦75周年を迎えました。戦争について感がる時、私が小学校2年生の時に「月光の夏」という太平洋戦争で帰還することができた特攻隊員の映画を家族で見たことが忘れられません。小2の子どもが見るには分からないところも多く「怖い映画だった」という印象しかないのですが、大人になって考えると戦争責任を覚えた教育というのはとても大切であると思わされます。悲惨な歴史は繰り返さないために、過去に起きたことを覚えて未来を良くするために学ぶことはとても大切です。私たちも聖書から学びますし、歴史から教えられることは沢山あり、未来を良くするためには欠かせない事柄です。
教会で行われる“戦争責任の教育”ということを少し考えてみたいと思います。私が生まれてから26歳まで教会席を置いていた日本キリスト改革派(通称:改革派)の教会では、1946年(戦後9か月後)に戦争責任を重く考えて創立した教会です。戦前、日本の教会は天皇を神として歩でしまいました。この対応を悔い改め、みことばに立ち返ることを大切にしてきたのが日本の改革派の特徴です。ですから教会生活の所々で「戦争を繰り返してはならない。それ以上に、天皇ではない本当の神であるイエスキリストを礼拝しなさい。」ということを強く教えられました。今では当たり前のようなことになっていますが、当たり前を当たり前として受け取れないことは問題だということです。
時に「戦争は昔のことで、今の私たちに関係があるのですか?」と言ったり、疑問に思ったりする方がいます。そう思ってしまう気持ちも分かる部分があります。しかし、時間や世代が過ぎ去っていくことで、過去の問題は解決されるのでしょうか?はっきりこれは「解決しません」と答えることができます。そもそも過去の問題を時間が解決してくれるのであれば、初めに神によって造られたアダムの罪の影響がどうして私たちにも残っているのでしょうか?大きな問題は後々にも影響が及んでいることを私たちは聖書から知ることができます。そして主なる神は、その問題で人を苦しめるために、罪の影響が残るようにすることがしたかったわけではありません。そこから神の前に立ち返り、過去の大きな問題に縛られて生きるのではなく、神と共に歩むことによる喜びを望んでおられるお方です。そこに主の十字架の苦しみがあったことを覚えさせられます。課題には人が解決を試みても限界があります。それぞれが主の十字架の苦しみを覚えて悔い改め合い、復活の主を喜び合うことでしか解決はないのです。その解決を共に覚えたいと願っています。
吉村恵理也伝道師